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表現の分野において近年急速に浮上してきた問題の一つが、ポリティカル・コレクトネス、略してポリコレである。
差別や偏見は悪だ。根絶しなければならない。何人たりとも、生まれ持った属性や信仰によって不当な扱いを受けることがあってはならないと思う。あらゆる人種、あらゆる性別、あらゆる宗教が互いに認め合う多様性の社会こそ、今後の人類が目指すべき姿。それには完全に同意するし、異論を差し挟む余地は全くない。
日本ではかつて男が稼いで女性は家庭を守るべき、とのジェンダー観が支配的だったが、ここ数年は専業主夫という言葉もある程度肯定的に受け入れられるようになっていると思う。それは私が生まれる前の世代だったらおそらく『ヒモ』の二文字で片づけられていた立場だ。収入の低い男に対する世間の風当たりは未だに強いが、少しずつ価値観は変わっている。ジェンダーギャップに対する問題意識の高まりによって我々男性が恩恵を感じている部分である。
しかし、この差別や偏見をなくし平等であるべきだ、という思想が『ポリティカル・コレクトネス』という運動と共に文化や生活、表現の分野にまで広く影響を及ぼし始めたことにより、しばしば論争が巻き起こるようになった。
その影響は多岐にわたるが、表現の分野に範囲を限って言えば、つい先日、アメリカの古典的な名作映画が人種差別的表現を用いているとして動画配信サービスでの配信停止措置がとられたというニュースがあった。件の映画はその数日後、当時の時代背景などの解説動画を添えられて再び配信されたようだ。まあそれが妥当な落としどころだと思われる。
映画と小説は近しい表現媒体だし、小説を含めた表現、創作物全般にまで及ぶ問題なので、これは底辺のアマチュア作家としても無視できない事象である。
小説で何かを描きたいと思ったら、まずはそのテーマについて突き詰めて考えなければならないが、次に重要なのは物語の舞台や背景、設定をいかに詳らかに描写できるかだと私は考える。たとえ物語がフィクションであったとしても、設定や時代背景の描写がお粗末では、肝心のストーリーやテーマに説得力がなくなる。舞台がファンタジーではなく現実世界ならば尚更である。だから私の場合、小説を書く際にもキーボードを叩いている時間より調べものをしている時間の方が長かったりする。
リアリティは物語の肝だ。そしてリアリティを出すためには、時に辛く苦しい描写を用いなければならない。それはその作品が描こうとする現実が辛く苦しいものだからである。差別は実在する。いじめも実在する。戦争もレイプもドラッグも犯罪も、今も世界のどこかで起こっている現実なのだ。現実の過酷さに比べたら、創作物の惨い描写なんて真綿のように優しいものだろう。物語すら直視できずに現実に向き合えるわけがない。物語の表現を規制しても現実は何も変わらない。重要なのは、それをどう受け止めるのかである。
現実において差別が問題になるのは啓蒙活動の不足のためであって作品に罪はない。トランスジェンダーの役をトランスジェンダーの俳優が演じなければ表現できないのなら、その作品のクオリティに問題があるのではないか。必要なのは演技力であって俳優のパーソナリティや属性ではないはず。果たしてそれが機会の平等と呼べるだろうか。
また、エロ、グロ、暴力等の性的および残虐表現については日本でも以前から議論されている。論点は主に二つ。これらの表現が犯罪を助長するのではないか、そしてこれらの表現が青少年の育成に悪影響を及ぼすのではないか、というものである。
前者についてはエビデンスがなく、後者については年齢制限(インターネットが発達した現代でそれが機能しているかどうかはさておき)を設けて対処している。たびたび規制を強化すべきという議論がなされることはあるものの、宗教的制約がなくポリコレの影響も比較的軽微な日本はかなり自由な創作活動が行えていると言っていいだろう。コミケなどはその最たるものだし、クールジャパンと名付けられ経済的にも日本を代表する産業へと成長したアニメや漫画、ゲームの隆盛の土台にあるのは、表現や創作活動全般に対する自由と寛容の文化だと思われる。
だがこの分野にも新たな懸念が存在する。
映像作品の視聴方法として動画配信サイトが主流になりつつあり、また書籍においても電子書籍の比率が増加している昨今では、先に挙げた映画の例のように配信元が作品の生殺与奪の権利を握っている。そしてそのプラットフォームの大手はいずれも海外資本である。このままポリコレの拡大と市場の寡占化が進めば、いずれ日本でも自由な創作活動が不可能になるのではないか。しかもそれは政治による表現の規制ではなく海外の一企業の方針であるため、批判の声が届きにくい。
プラットフォーム企業の意向一つで作品が容易に配信停止されるようになれば、そもそもそういったリスクのあるテーマを描く作品が作られなくなるだろう。結果、市場に並ぶのは今以上に代わり映えのしない似通ったものばかり――そうなる可能性は決して低くない。今後加速度的に縮小してゆく国内市場で、果たして日本のプラットフォームが海外企業に太刀打ちできるだろうか。
考えれば考えるほど絶望的な気分になるが、こうして文学や表現の未来について考えられるようになったことは、私にとっては非常にポジティブな変化だ。それはやはりサカナとの関係の変化の影響が大きいと思う。
一月ほど連絡が途絶えた時期があって以降、彼女はトーク画面などの文字でのコミニュケーションよりも多く通話を求めるようになった。メッセージの頻度自体は以前より減ったものの、代わりに彼女と直接話せる機会が増えたのだ。私の勤務時間が減って、都合が合わせやすくなった点も大きいかもしれない。一度の通話時間は10分~15分ほどと決して長電話ではなかったが、互いに予定を確認して二、三日に一度は通話をするようになった。恋人同士が夜中に何時間も長電話をするのと比べれば短すぎるかもしれないが、それでも私にとっては嬉しかったし、癒された。そして、彼女のために、やっぱり私は小説を書かなければならないと感じた。
創作はおろか読書すら避けていた時期があったことを考えると、我ながら単純なものだと思う。ド底辺アマチュア作家の、たった一人のファンではあるけれど、だからこそ私にとっては誰よりもかけがえのない存在。彼女と話していると、そのことを改めて実感させられる。
話の内容は大抵他愛のないものだった。コミニュケーションの頻度が減ったとはいえ、せいぜい日に二、三度のメッセージと通話とでは情報の密度が違う。これまでの話題は創作や小説に関するものが多かったが、最近はそれに日常会話や仕事の愚痴などが加わった。
頻繁に通話をするようになって、サカナに対する印象が少し変わった。私が勝手に想像していた以上によく喋る子なのだ。彼女は色々な話をしてくれた。彼女の職場には私と同郷の青森出身の同僚がいるらしく、その人から青森の様々なことを聞いているそうだ。
他には、たとえばコンビニの話などをした。
東京と青森(の中でも中位ぐらいの私の街)では発展の度合いが違いすぎて世間話をするにもなかなか話が合わないが、唯一コンビニだけは同じ系列の店が存在して、だいたい同じ商品が陳列されている。サカナはよくコンビニスイーツを食べるらしく、新商品でおいしいものがあると私によく勧めてきた。私も仕事帰りにコンビニに寄った際には、彼女に勧められたものを素直に買って食べてみたりした。
元々甘党でもないので今まであまりコンビニスイーツというものを食べたことがなかったが、たしかに値段の割には美味いと思う。サカナと好みが合っているのか、彼女が勧めてくれたコンビニスイーツはどれもハズレがなかった。
時節柄、話題は自然にコロナ禍にも及んだ。緊急事態宣言の影響を最も強く受けた分野の一つである飲食店は、東京ほどの大都会でも閉店する店が散見されるらしい。東京アラートが解除され、休業要請が緩和されても、ただちに客足が戻るわけではない。私の職場も同じである。
ステイホーム生活で外出の機会が減ったせいか、サカナの仕事である化粧品の売り上げも落ち込んでいるらしい。姉の方は大丈夫だろうか……。
だが、そんな暗い話題について話していても、私はサカナの声が聞けるだけで楽しかった。創作でも仕事でも全く先が見えない状況の中、私にとって彼女が唯一の光明に思えるのだ。
「な~にニヤけてんだよ和幸」
「……はっ?」
カウンターの指定席に座った佐々木が薄笑いを浮かべながらこちらを見上げている。
東北北部も梅雨真っ只中の六月末。平日、時刻は八時半。普通の年の普通の日ならそれなりに客が入っているはずの時間帯だが、日中からしとしとと降り続く雨のせいもあり、客は佐々木のみ。まあ、晴れていたとしてもさほど状況は変わらなかったかもしれないが。
相変わらずのワンオペなので、厨房には私一人。つまり、今店内にいるのは私と佐々木の二人だけということになる。
「気持ち悪い顔でぼけーっとして。店長もバイトもいねえからって、ちょっとたるんでんじゃねえか?」
「……まあ、客がいないときの飲食なんて、大体こんなもんだろ」
「俺も客だっつの……そういやさ、あれ、あの子……LINEしてた子いただろ、結局どうなったんだ?」
LINEしてた子といえば私にとってはサカナしかいない。そういえば、佐々木がサカナのことを尋ねてくるのは随分久しぶりのような気がする。
頻繁に通話するようになったし、会おうという約束までしたものの、彼女との関係や距離感についてはまだ手探りの部分が大きい。だから実のところ、佐々木の意見も聞いてみたかったし、奴のほうから尋ねてきてくれたのは渡りに船と言える。創作をしていることはやはり伏せておきたいのでありのままに話すわけにはいかないが、しばらく連絡が途絶えていたこと、でも最近よく通話していること、そして新型コロナが収束したら会おうと話していることはそのまま佐々木に伝えた。
「うおおおお! マぁジかよ! やったじゃん!」
佐々木はまるで我がことのように喜んでくれた。他に誰もいないし、どうせ客も来ないので、声を抑える必要もない。
「いや~、こないだまでお前全然元気なかったからさ、振られたんかなと思って聞かないようにしてたんだけど。そうかあ、もうそこまで話は進んでたんだな」
「……うん。まあ、今こういう状況だし、俺が東京行くのも彼女がこっちに来るのも色々ややこしいから、収束したらって話で」
「東京の女の子がこんな田舎に来て、どこさ連れてくんだ? わざわざ青森くんだりまで来てイオンで遊ぶはねーべ。そこは迷わずお前が東京行くに決まってんだろ」
「……あ、それもそうか……」
「あたりめーだべが。しかし、コロナが収束したらか……いつになるんだろな。まあでも、東京の方だって、今はだいぶ落ち着いてきてるんだろ?」
六月の東京の新規感染者数は、緊急事態宣言と外出自粛の効果か、ずっと二桁で推移している。梅雨に入って湿度が上がり、夏になれば気温も上がるだろうから、ひとまず次の冬までは小康状態を保つだろうという論調も見られる。また、コロナ禍によって飲食業界と並んで壊滅的な被害を受けた観光業を支援するため、夏から『Go Toトラベル』という名称のキャンペーンが実施される予定だ。世の中は少しずつ動き始めている。
「そうらしいな。夏ぐらいには、会いに行ければいいんだけど」
佐々木は振り返ってガラス越しに外を眺めた。日中と比べれば雨脚は少し弱まっているが、市の中央商店街を歩く人影はほぼ皆無で、濡れた道路が車のヘッドライトやアーケード街のライトを鈍く照り返している。
「……まあ、何とかなんだろ」