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「痛っ!」
『和幸回復!』
「……すまん佐々木」
『ぼやっとすんな起き攻め食らうぞ』
出勤日と勤務時間が減り、数年ぶりにまとまった自由時間ができたので、私は学生の頃以来久しぶりにゲーム機を起動してどっぷりゲームにハマっている。今のゲーム機はネットに繋がっているのが当たり前で、家に居ながらにして誰かと遊ぶことができるのが、このコロナ禍の中での強みと言えるだろう。現に私はこうして佐々木と話しながらゲームをしているが、お互い自宅の自分の部屋にいる。ヘッドセットを用意し、ゲーム機のボイスチャット機能を使えば、わざわざ会ったり相手の家に行かなくても一緒に喋りながらゲームができるのだ。
遊んでいるのは前々から佐々木に誘われていた『ビーストハンター』というタイトルのアクションゲームで、プレイヤーはハンターとなってビーストを狩猟する。携帯ゲーム機でリリースされた昔のシリーズ作品は、ゲーム機を持ち寄ってマルチプレイを楽しむスタイルが社会現象レベルで大ヒットした。
私も当時このシリーズをプレイしていたが、専らソロプレイヤーだった。大抵の敵は一人で倒せたし、マルチは甘えとすら思っていた。自分なりにこだわりを持っていたのだ。そんな私でも、高校を卒業してからはめっきりゲームをやらなくなった。限られた余暇時間を創作に充てるようになったせいもあるが、仕事で疲れて帰ってくるとゲーム機を起動する気力すら湧かなかったからだ。
一方、友人の多い佐々木は昔からマルチプレイで遊ぶことが多かったらしく、今回も誰か知り合いと一緒に遊びたくて私に声をかけた、そういう事情のようだ。
元々やり込んでいたシリーズなのでそれなりに自信はあったのだが、なかなか思うようにいかない。強い装備を作るまでにとにかく時間がかかる。ゲーム自体も進歩していて、昔の作品に比べたらだいぶ遊びやすくなっているはずなのに、煩わしく感じる部分が多かったのは、私がしばらくゲームから離れていたからだろうか。去年発売されたゲームで、発売当初からプレイしていた佐々木の方が装備が揃っているため、佐々木に手伝ってもらってどうにか倒せた敵もいた。
元来ソロプレイヤーなのでマルチプレイに対する戸惑いもあった。顔馴染みの佐々木が相手でさえ、話しながらのゲームは妙に緊張する。焦りと緊張でプレイが雑になり、佐々木に叱責されてさらに焦るという悪循環。佐々木は戦闘中こそ厳しい口調になるが、クリアしてしまえば、
『楽しかった、お疲れ』
と明るく言ってくれる。ほっとする反面、自分が惨めにも思えた。マルチは甘え、などと考えていた私の矜持はどこへやらである。野良マルチもできるゲームなのだが、野良はどうにも怖い。特に自分のせいでクエストが失敗したら何を言われるか、どう思われるかわからない。だから私がマルチプレイをする相手は今のところ佐々木だけ。気心の知れた相手なら楽しめるが、他人の目を気にしながらするゲームは精神衛生上良くない。少なくとも私にとっては。
動画配信サイトの隆盛とゲーム実況動画、ブロードキャストの流行によって、ゲームを取り巻く環境も大きく変化したと感じる。ゲームといえば、数年前はスマートフォンを主体とするソシャゲが覇権を奪い、このままコンシューマーゲームを駆逐してしまうのではないかとさえ言われていた。が、最近はまた風向きが少し変わっていて、オンラインマルチプレイが可能で配信映えのするコンシューマゲームが話題をさらっている。中でも今は特にバトルロイヤル系のFPSやTPSが流行しているようだ。
FPSとはFirst Person Shooter、TPSはThird Person Shooterの略で、それぞれ一人称視点、三人称視点という操作性や細かい仕様の違いはあるものの、基本的なゲーム性はよく似ている。チーム或いは個人で戦闘を行い、生き残った者が勝ち。シンプルなバトルロイヤルである。
この街のような田舎でも光回線が使えるようになり、オンライン環境が整備された影響もあって、最近はマルチプレイ前提のデザインのゲームも多い。ゲーム配信者は喋りながらゲームをした上で、不特定多数のリスナーのコメントを捌くという離れ業をやってのける。マルチでの協力プレイでは個人としてのプレイスキルだけではなくチームとしての立ち回りやコミニュケーション能力が求められる。
かつて現実逃避の場であったゲームの世界が少しずつ現実の世界と融合して、私のように根暗でコミュ障な人間はゲームの世界にも居場所がなくなりつつある。
一昔前はネットの世界と現実世界を切り分けて、まるで別世界のように語られることが多かったように思うが、最近ではマスメディアでさえそういう報道は少なくなってきたように感じる。スマートフォンと高速で大容量な回線の普及によって、誰もが常にごく自然にネットに繋がっている社会になった。SFで描かれる世界観に近づくにはまだかなりの時間がかかるだろうが、現実とネットは少しずつ、確実に融合しているのだ。
2.5次元という言葉もここ数年にわかに使われるようになった。アニメや漫画の作品を、現実の役者を用いて、なるべく原作の世界観を壊さずに再現するミュージカルから生まれた言葉である。しかしこの種のミュージカルや演劇以外にも、今ではアニメの声優がキャラクターそのままに歌を歌い、ダンスを踊ってライブを行うのが当たり前になっている。虚構と現実の境界線が曖昧になり始めているのかもしれない。コンテンツの楽しみ方が増えること自体は歓迎すべきだと思う。だが、現実世界で生き辛さを抱えている人間が虚構にすら逃避できなくなってしまったら、その先に待っているのは何だろう――そんなことを私は最近考える。
『さすがに眠ぃわ。そろそろ寝る』
「おう。お疲れ」
『お疲れ。お前ももう寝ろよ』
と、VCの終わり際に佐々木は珍しくそんな小言を言ってきた。時刻はもうすぐ午前2時になろうというところ。私は今日は昼のシフトだけで、帰宅してから夕方までひと眠りしたのでまだ全く眠気が襲ってこない。一方の佐々木は一日仕事だったが、佐々木の職場のパチンコ店も営業時間を短縮しているため日付が変わる前に帰ってこられて、私が『ビーストハンター』をしていたから参加してきた、という感じらしい。私と佐々木はゲームのアカウントでもフレンドになっているので、オンラインになっていれば相手が何のゲームをプレイしているかがわかるのだ。
そのまま一人でゲームを続ける気分でもなかったので、私はゲーム機とテレビの電源を落としてノートパソコンを立ち上げた。
このところ、パソコンを起動しても小説の投稿フォームを開くことはほとんどなくなり、ぼんやりとSNSや動画サイトやゲームの配信を眺めてばかりいる。それにも飽きたら佐々木に勧められたアニメを見たりする。大抵くだらないものだが、暇つぶしにはちょうどいい。
本を読もうと思っても、どうにも集中力が続かない。コロナ禍での文化人の言動に幻滅していることも一因かもしれないが、それにしても急に読めなくなってしまった。小説を読むことすら満足にできないのに、自分で書くことなんてできるはずもない。
最近何をしても楽しめなくなった。ゲームも楽しいから遊ぶというより、ぼんやり何となく手を動かしているだけだ。睡眠時間の短い生活リズムに慣れてしまったせいか、寝ても4~5時間もすると目が覚めてしまう。もしかしたら、軽い抑鬱状態に陥っているのかもしれない。
原因は色々考えられる。元々私は年明け以降小説が書けなくなったという悩みを抱えていた。それに加えて、コロナ禍で職場の経営危機、失職するかもしれないという不安、生活リズムの変化――いや、違う。数々の要因がある中で最大の理由は、やはりサカナのことだろう。
もはやLINEには既読もつかない。拙い私の小説に、あれだけ熱心に感想を伝えてくれて、また毎日のようにメッセージを送りあっていた彼女に、私は見限られたのだ。
通話した際の、彼女の穏やかでいてどこか儚い声が、私の耳にはまだはっきりと残っている。
我ながら未練がましいと思いながらも、彼女が送ってくれた自撮りを未だに時折見返してしまう。
そしてすべての始まりだった、彼女が私の作品に書いてくれた初めての感想。
私にもっと良い小説を書く力があったら、彼女はまだ私に対する興味を失わないでいてくれただろうか。贅沢は言わない。作者と読者、ただそれだけの関係でよかったのだ。
しかし、もう何もかも終わった。私はもう小説を書けないかもしれない。彼女は感想どころか私との連絡を断ってしまった。
何も手につかない。何も楽しいと思えない。何もかもが虚しい。自分が呼吸と食事と排泄をするだけの機械になったように感じる。心にぽっかりと穴が空いたような。こんな喪失感を味わうのは初めてだ。これはまるで、恋愛小説に出てくるあの感情――そう、失恋みたいではないか。
私はYoutubeを開き、パソコンの画面を眺めるともなく眺めた。流れる広告をスキップする気すら起きない。気付けば窓の外が白み始めている。五月の夜明けの早さが、今は恨めしく思えた。
やがて朝になり、雀の鳴く声が聞こえ始める。結局一睡もできなかった。今日のシフトは夕方からなので、まだ時間の余裕はある。さすがに仮眠でもいいから少し休まなければ、仕事に支障を来すだろう――と思ってからも、優に二時間はぼんやりとパソコンの画面を見つめていたはずだ。
パソコンをシャットアウトし、いい加減仕事前にひと眠りしようと思ったところで、突然スマートフォンが鳴り始めた。
通知音は一瞬では終わらず、ずっと鳴り続けている。電話の着信音ではない。これはLINEの通話のコール音だ。こんな時間に誰だろう。佐々木が起きているとは思えない。バイトからの連絡も最近はシフトをあまり入れてあげられないから当然減っているし、そもそも通話で連絡が来ることはない。怪訝に思いながら私は、スマートフォンの画面を霞む目で覗き込む。
そして一瞬で目が覚めた。
画面に表示されていた名前は『さゆり』。
もう一月以上連絡が途絶えていた、サカナの本名だったからである。




