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「ほんじゃ芋田くん、お疲れ~」
「お疲れさまでした」
仕事を終えて職場の駐車場で店長と別れた私は、手をこすり合わせて暖めながら自分の車に乗り込んだ。厳冬期を越えたとはいえ、夜中や朝方はまだまだ寒い。昼間好天に恵まれて暖かい日でも、夜になると放射冷却で冷え込みが厳しくなったりする。暖機運転を忘れていたため車の中でも吐く息は白く、私は舌打ちしながら急ぎ車のエンジンをかけた。
最近エンジンのかかりが悪くなってきたような気がする。冬場の車のバッテリーは要注意である。何とか春まで生き延びてほしいものだが――そう思いながら、私は凍える手でスマートフォンを取り出した。
サカナとのLINEは、相変わらず続いている。少なくとも一日1、2回、多い日は5回ほどメッセージが届くだろうか。週に一度ぐらいは自撮りも送ってくれて、信じられないほど可愛いといつも思う。
共通の趣味は読書だし、私も未だに何も書けない状態が続いているため、話題はそれぞれの好きな作家や本になりがちだ。お互いに好きな作家といえば諸星亘の他には芥川などが挙げられるが、同じ作家の作品でも好みが分かれるのが面白い。例えば芥川で選ぶなら私は『地獄変』や『蜘蛛の糸』などが好きなのだが、サカナは『鼻』のような、やや軽めでコミカルなものが好みらしい。
私は芥川以外にも谷崎潤一郎などが好きだが、彼女は太宰のほうが好きだと言う。退廃的な作風という面ではたしかに諸星亘と太宰には通ずる点があるかもしれないが、同じ青森県出身の文豪でありながら、私は太宰を今一つ好きになれない。いやにへりくだっておどけた感じがするせいかもしれないが、サカナによるとそれこそが太宰の魅力なのだそうだ。
また、彼女は女性作家の作品も多く読んでいる。私はどちらかといえばこれまで女性作家の作品を敬遠していた。それは女性作家独特の感性というのか、文体がどうにも読みづらく感じることが多かったからだ。著名なところでいえば恩田陸ぐらいなら難なく読めるのだが、サカナが名を挙げた本谷有紀子や川上未映子あたりは少々癖が強く読みにくさを覚えた。文体に関しては作品による、と彼女は言ったし、食わず嫌いしてきたことも否めないのだが。
しかし、創作のスランプに陥っている今こそ新たな感性を取り入れるべき時期かもしれない。そう思い、私は彼女が名を挙げた女性作家の作品をいくつか買って読んでみた。作品によって文体を使い分けている作家もいたが、全体的にはやはり少々読みにくさを感じた。ただ、読み進めるうちにその違和感にも少しずつ慣れてきて、今では純粋に作家の個性として受け止められるようになっている。
女性作家の作品は、私が読み慣れている男性作家と比べて文章が柔らかく、作品全体の構成よりもやや登場人物のほうに焦点が当てられる傾向があるように感じる。これは、たとえば国内最大の同人イベントであるコミケに参加するサークルに女性の比率が高いことからも、正しい洞察であるように思われる。同人誌の大半は二次創作だが、二次創作とはいわゆる推しキャラに対する自分なりの考察や妄想を具現化するものだからだ。
コミケの話を持ち出さずとも、『小説を書こう!』に投稿されている作品の中にも自作のキャラクターへの愛が前面に押し出されたものは数多存在するし、その多くは女性作家によるものではないかと私は考える。おそらく女性のほうがキャラクターに対する愛情が深いのだ。
翻って自分の創作について考えてみると、私は自作の登場人物に愛情を抱いたことはおそらくない。私が作品を通して表現してきたものは主に虚無感や孤独感であって、特定の人物やキャラクターを描きたいと思ったことは一度もないからだ。
大半が短編、長いものでも中編程度の私の作品の中で、複数回登場した人物はいない。すべてのキャラクターはその作品のためだけに生み出され、一度きりで消えてゆく。作品と共に死ぬと言い換えてもいいかもしれない。主人公は皆不幸であるが、私は彼らを可哀想だとは思わない。食用として育てられ屠殺される動物を憐れむのは良いが、度が過ぎると肉を食べられなくなるだろう。それと同じ理屈である。キャラクターに愛着はない。
小説の命はあくまで作品に込められたメッセージであり、彼らはそれを表現するために生まれて、小説の中で生き、そして死ぬ。
だが本当にそれだけでいいのだろうか……?
サカナに薦められた作品を読み、また彼女が作品について語るのを聞いて、私は少しずつ自分の信念が揺らぎ始めていた。
しかし、私の中ではサカナの存在が日に日に大きくなっているのに、彼女からの通話はかかってこなかった。
こちらからかけてみようかと考えたことも一度や二度ではないが、彼女にとって迷惑なタイミングに当たってしまったら敬遠されるだろう。いや、そもそも、私との会話がつまらなかったからもう通話はしたくない、たったそれだけの理由なのかもしれない。それなら納得がいく。
私は佐々木のようにスムーズに会話を運ぶことができない。LINEやメッセージのような文字でのコミニュケーションなら、タイムラグもあるしゆっくり文章を整理して送れるのだが、リアルタイムでの会話は全く別だ。咄嗟にどう返していいかわからず頭がパニックになる。サカナとの初めての通話のときも私は小学生並みの語彙になっていたではないか。
本音ではもう通話はしたくないが、私の方からかけられたら困るので彼女からかけると言った。また話したい、という言葉もよくある社交辞令だったのだろう。そう考えるとすべて合点がいく。
それはそれとして。私は仕事中に届いていたサカナからのLINEに返信した。内容は、ついこの間読み終えたばかりの川上未映子の小説の感想。もちろん彼女に薦められたものだ。車が暖まるまで、とそのままじっとしていると、すぐに返事がきた。
『お疲れ様です。今お仕事終わったところですか?』
私もすぐに返した。
『はい。今終わって車でまったりしているところです』
既読はすぐにつき、それから数秒後、LINE通話のコール音と共に、応答を促すアイコンが画面に映し出される。相手は当然サカナ。彼女が通話をかけてきたのだ。
いや、まさか。あまりに突然のことで心の準備ができておらず、私は十秒ぐらいはその画面をじっと見つめていたと思う。しかしふと我に返り、慌てて応答の緑のアイコンをタップし、スマートフォンを耳に当てた。
「はい、あ、あの……?」
『ごめんなさい、突然かけちゃって。まずかったですか?』
「いえ、全然、大丈夫です」
『よかった。ちょっと家族に買い物を頼まれて、近くのコンビニまで来たので、その帰りなんです、今』
時刻はもう午前一時近い。農民の生活リズムが身についている私の両親ならもう鼾をかいて爆睡しているはずの時間だが、都会の人間は違うのかもしれない。
彼女は続けた。
『次は私から、って言ってたのになかなかかけられなくてごめんなさい。コロナが流行ってきてるから、外で喋るのは危ないなと思って、それでタイミングがあんまりなかったんです。最近私の職場も営業時間が短くなったから、時間はあるんですけど……』
「いえ、全然……かけてくれただけで嬉しいですよ」
二月の末あたりから首都圏の百貨店や商業施設は営業時間の短縮を始めているらしく、私の姉の職場も同様の措置がとられたそうだ。
『でも、今はたまたま周りにあんまり人がいなかったから、お話しながら帰ろうかと思って……そちらはどうですか? コロナの影響とか』
「ええ、まあ、青森は田舎だからまだ感染者はいないんですけど、でも普通の年の今ごろに比べたら客はちょっと少ないと思いますね」
『ああ、やっぱり……こちらもお客さんはだいぶ減ってるし時差出勤も始まってますけど、それでも仕事は休めないし人通りは多いしで、学校の休校とかも結局気休めにしかなってないんじゃないかって。感染者数はどんどん増えてますし……』
「そうみたいですね。テレビで見てます。これからどうなるのか……」
少し前まで政治や芸能人のどうでもいいスキャンダルばかり取り上げていたワイドショーも、ここ数日は新型コロナ一色になっている。こんな状況で東京オリンピックが開催できるのか、という声も上がり始めた。
サカナはここで話題を変えた。
『そういえば、川上未映子の作品読んでくれたんですよね。どうでした?』
「はい、まあ、今回は『ヘヴン』を読んでみたんですけど、前に読んだのよりはだいぶ読みやすかったですね」
『前に読んだのって、どの作品です?』
「ええと、『乳と卵』かな」
『ああ……たしかに、あれはちょっと独特ですもんね、文体が』
「はい。それで話もあんまり頭に入ってこなかったし、よくわからなかった。でも『ヘヴン』は普通に読めた。いい作品だと思いました。感想がまだ上手くまとまらないけど」
『乳と卵』は昔、芥川賞の受賞作ということで気になって書店で軽く立ち読みしてみたことがあり、実は最初の数ページで疲れてやめてしまった。今ならどうにか最後までは読めるかもしれないが、まだ中学生だった当時は感覚の違いに戸惑ったものだ。その経験から川上未映子はずっと読まず嫌いしていたのだが、もしも最初に触れた作品がこの『ヘヴン』だったら、さほど苦手意識は持たなかっただろう。
サカナの声のトーンが少し上がる。
『ほんとですか? よかった。あ、あの、もうすぐ家に着くので、今日はこの辺で』
「あ、はい」
『遠田さんも、これからお家に帰るんですか?』
「ええ、はい、そうですね」
もう車の暖機は十分で、エアコンをつけるとちゃんと暖かい空気を吐き出してくれた。
『少しだけど、お話できてよかったです。帰り道、お気をつけて。じゃあ、おやすみなさい』
「はい、こちらこそ。おやすみなさい」
それから二、三秒の間があって、通話は向こうから切られた。
相変わらず壊滅的な自分の語彙に辟易しながらも、約束通りサカナが彼女の方から通話をかけてくれたこと、そして久しぶりに彼女の声を聞けたことで、私は一日の疲れが一瞬で吹き飛んだような心地さえした。
しかし、それにしても――車を走らせながら、ふと疑問が湧いた。
新型コロナの影響で、外で話したくないから通話できなかったという理由は一応理解できる。だが、彼女は何故そうまでして家で通話することを避けるのだろうか。