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 声を聞いてみたい――そう遠田さんに求められて、私は即答を躊躇った。


 通話がいやだったわけではない。むしろ、どちらかといえば私も話をしてみたい。遠田さんの写真は見せてもらったし、文章でのコミニュケーションは頻繁にしているが、声色や話し方にはその人の性格が最もよく表れると思う。最近は動画サイトや配信サイトでゲームの実況が流行っていて私も時々見るけれど、それはやはりゲームをしている最中の言動にその人の素の一面が垣間見えて面白いから。顔を出して配信している人もいるし、芸能人もこの分野に進出し始めている。2Dや3Dのアバターを使ったVtuberという新しい形式も生まれた。でも、一般的には無名の人の解説やリアクションを聞くだけでも結構楽しいものだ。


 相手を知るには会ってみるのが一番確実ではあるけれど、その次に、通話などリアルタイムで話すことの情報量は多い。だから、私も彼と話をしてみたい。もし私が独身だったら、迷わずに二つ返事でOKしていたと思う。

 もし独身だったら――そう考えることが最近特に増えた。夫の暴力に怯える生活を無理だと感じ始めたからかもしれない。もし夫が昔のように優しかったら、遠田さんのこともきっと一人のアマチュア作家以上の存在としては意識しなかったはずだ。『小説を書こう!』のメッセージ機能で多少の交流は持ったかもしれないが、LINEまでは絶対にしなかったと断言できる。でも今の私は、通話を断ることではなく、いかに夫の目を盗んで彼と通話するかを考え始めているのだ。

 気づけば私はこう返信していた。


『わかりました でも急にかけられてもびっくりするので』

『前もって都合のいい時間を教えてもらえると嬉しいです』


 しかし、夫に絶対に気付かれずに通話ができ、しかも私と遠田さんの勤務時間から外れる時間帯となるとだいぶ限られてくる。私の勤務時間はシフトによる変動があるにせよ主に日中から夜で、遠田さんは昼から深夜。そして彼の方は休みがだいたい週に一日。二日休めることは稀らしい。夫の帰宅時間は日によってかなりバラついていて、日付を跨ぐ日もあれば、遅番の日の私より先に帰っていることもある。営業という職種の都合上、取引先との食事や飲みを断れないのだそうだ。平均すれば夜の11時前後かもしれないが、部屋で通話するのはリスクが高い。

 職場の休憩時間を利用する手も考えたけれど、職場では美和さんや幸絵ちゃんの目がある。通話の内容に聞き耳を立てられたりはしないと思うが、夫以外の男性と通話していることが知られたら、さすがに怪しまれるだろう。


 職場も家もダメとなると、残るは通勤や退勤の時間か、もしくはどこか外で話すしかない。遠田さんからの返信が届く時間はある程度決まっていて、深夜以外では大体午後三時前後と午後九時前後。おそらくこの時間帯が職場の休憩時間なのだと思われる。午後三時は無理だが、午後九時のほうだったら、私の遅番の日の退勤時間と上手く合わせて時間を作ることができるかもしれない。

 夜中に通話ができないことを怪しまれるだろうか。私が夫と交際していたころは、よく深夜に長電話をした。通話といえば深夜のイメージがある。深夜のほうがたっぷり時間がとれるし、なんとなく自分の内面を話しやすい気分になるからだと思う。遠田さんとも本当は落ち着いた場所で深夜に話したい。今は絶対に無理だけど――。


 遠田さんから返事が来たのは深夜だった。きっと仕事終わりだろう。既に日付は変わっていたが、夫はまだ帰宅していない。


『本当ですか?』

『私はだいたいいつもこの時間に仕事が終わるのでこれ以降の時間であれば空いています』


 だが、深夜は私の都合があまりよくない。幸い家族構成などについてはまだ何も話していなかったので、ここは実家暮らしという設定でいくことにした。


『私は実家暮らしなので、あまり深夜だと両親に怒られそうで』

『朝は忙しいし……遅番の日は仕事終わりが9時ぐらいなので』

『それから11時ぐらいまでの時間で空いている日があればという感じです』

『友達と遊んだりすることもあるし』


 実際は職場の同僚以外の友人と会う機会なんて最近は滅多にない。私は元々友人が多いほうではないし、結婚して小さい子供を持つ子も何人かいる。時々連絡を取り合ったりはするけれど、会うのは大抵時間的にも体力的にも余裕のある休日、それも比較的早い時間だ。お互いに都合がある。でも、遠田さんが思い込んでいる年齢層の設定で忙しいことを端的に伝えるには、それが最もいい方法に思えた。

 遠田さんの返信はこうだった。


『わかりました』

『大体私の職場の休憩時間が9時ぐらいなので、その辺りでお互い都合がつく時に』

『こちらは明日でもいいですけどどうですか?』


 明日か。明日は遅番だから、こちらも都合がつけやすいはず。私はすぐに返事を送った。


『多分大丈夫だと思います』

『通話できそうな感じだったらこちらからかけますね』



!i!i!i!i!i!i!i!i



 そして翌日。残業もなく無事に上がれた私は、職場近くのカフェに入った。夫には職場の同僚と食事を済ませてから帰ると前もって伝えてあるので、多少帰りが遅くなっても怪しまれはしないはず。

 時刻は9時の5分前。時間的にはまだ少し余裕がある。注文したホットコーヒーを飲みながら、


『今仕事終わりました。そちらはどうですか?』


 と送信した。

 砂糖もミルクも入れたはずだが、コーヒーの味がよくわからない。昼食の際は全く問題なかったので、ウイルスの初期症状として知られている味覚、嗅覚の異常ではないと思う。無意識のうちにキョロキョロと周囲を見回している挙動不審な自分に気付く。緊張しているのだ、私は。

 LINEで文字や画像だけのコミニュケーションをとっているときは、これほど人目を気にする必要はなかった。スマートフォンの画面を覗き込まれさえしなければそれでよかった。しかし通話は話す内容を声に出す必要があり、話している最中、万が一知り合いに出くわしてしまったら非常にまずいことになる。もう少し職場から離れればよかったか。

 いや、知り合いでなくとも、カフェの店員や他の客たちすべてに監視されているような気さえする。後ろめたさの自覚はある。それなのに止められない。どうしてこんなことに――。

 その時LINEの通知音がした。


『こんばんは。今休憩に入りました』

『通話できますか?』


 私は急いで会計を済ませてカフェを出て、人のいないところ、誰にも会話を聞かれずに済む場所を探した。が、この東京のど真ん中にそんな都合のいい場所がすぐに見つかるわけもない。人ごみの中を早足で歩き、待ち合わせ場所としてよく使われる駅近くの電気店の前に辿り着いた。

 待ち合わせ場所だけあって、スマートフォンをいじっていたり、誰かと通話して連絡を取っている人も多い。ここなら通話しても目立たない上に、万が一誰かと遭遇しても、雑音や他の誰かの話し声に紛れて私の声が聞かれにくくなるはずだ――なんて、冷静に考えての行動ではない。明らかなこじつけ。色々考えて時間を設定したはずなのに、いざとなると不安でたまらない。

 混乱しつつも、私はスマホを取り出して返信した。


『OKです』


 数秒後、LINEの軽やかな着信音と共に、画面に『Kazuyuki.I』という名前、そして応答あるいは拒否を求める緑と赤の受話器のアイコンが表示される。

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