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 サカナへの心理的依存度が日に日に高まっていると感じる。


 二十二年あまりの人生の中で、自分以外の人間はすべて遠い存在だった。家族以外は皆他人だった。家族だって、たまたま血が繋がっているだけで、本質的には個別の人間であり他人なのだ。趣味も嗜好も価値観も異なる。だからこそ、姉さんは上京したのだろう。この街では得られない何かを求めて。

 私には友人と呼べる存在がいない。人付き合いも下手だ。コミュ力がない。だからこれまでずっと、人間の社会から疎外されてきた。少なくとも私はそのように感じていた。いじめやシカトをされていたわけではない。いじめを肯定するわけでは全くないが、いじめられている人間はまだいじめられる存在としての役割が用意されている。私にはその役割すらもない。まさに空気だった。

 それは決して過去形ではない。職に就いた今でも、私にはラーメン屋の店員という立場しかない。客にはラーメンを作るだけの機械に見えているだろうし、店長やバイトにとってはただの社員だ。佐々木だって私を暇つぶしの話し相手ぐらいにしか思っていないだろう。

 だから私にとっては、周囲で生活している普通の人間より、小説の中の登場人物やそれを描いた作家のほうがずっと近い存在だった。主人公の目を通して私は作品の登場人物と関わることができた。描かれた作品を通して、私は作家と対話ができた。もしも私が人間社会に難なく溶け込める普通の人間だったら、ここまで小説の作品世界を内化しなかっただろう。

 私は孤独だったが故に孤独ではなかった。親しい友人がいなくても、話し相手がいなくても、私の意識の中にはいつも広大な世界が広がっていて、周りの群衆より遥かに多様な思想、価値観を持った人物たちが心を開いて待っていたのだ。

 だから、家族や上司など日常生活を送る上で関わらなければならない人間を除いて、自分以外の人間、他者を必要だと感じたことはなかった。それで十分だった。私は私の内に広がる世界だけで満足していた。


 その私が、まだ会ったこともない他人である彼女を、これほどまでに欲するとは……。


 何も書けない状態である、とサカナに悩みを打ち明けたときから、彼女をもっと知りたいと思う気持ちは堰を切ったように強まり、気付けばそれは純粋な興味の範疇を超えていた。前にも増して彼女からのLINEを待ち遠しく感じるようになった。病的ではないかと自覚してしまうほどに。

 スマートフォンを取り出して眺める時間も増えた。自室でパソコンに向かっても相変わらず筆は進まないので、気付けば彼女のことを考えていたりする。私はこんなに弱い人間だったのだろうか。悩みを打ち明けたことで、何かの箍が外れてしまったのかもしれない。

 そして私は、ついにこのようなメッセージを送ってしまった。


『サカナさんの声を聞いてみたいです』


 送ってから、私は激しく後悔した。これではまるで出会い厨みたいではないか。

 出会い厨。異性との出会いを目的にネットを利用する者を揶揄する言葉で、主に男のネットユーザーに対して使われる。広大なネット空間の中にはもちろん男女の出会いを目的とするサイトやアプリも存在するが、そうではない場で出会いを目的とした言動をすると、もれなくこの蔑称がつけられる。

 『小説を書こう!』でサカナとメッセージを交わすようになって以降、私から彼女に何かを求めたことは一度もない。LINEを始めたのは彼女の提案だ。彼女が送ってくれる自撮りについても、佐々木に言われてこちらから送った私の写真に対する返礼という意味があるにせよ、私から見せてほしいと頼んだものではない。

 だが今度は違う。私の方から、彼女の声を聞きたいと望んでしまったのだ。

 話したい、声を聞きたいと思ったのは事実だが、何の脈絡もなく唐突にそれを伝えて不審に思われないだろうか。出会い厨と思われて敬遠されるのが最も恐ろしい。


 既読はなかなかつかなかった。声を聞きたいと送ったのは今日の昼前。それから職場に着いて、今、夜の休憩時間になっても既読はついていない。彼女も社会人だし、勤務時間はシフト制。午後からの勤務の場合は退勤が夜になるとも聞いた。接客業だからおそらく仕事量にもムラがあるだろう。客が急に増えれば休憩が満足にとれなかったりするし、休憩に入れてもスマートフォンを見る気力がない場合もあるかもしれない。私の職場がそういうブラックな環境だから、事情はよくわかる。

 しかし返事が待ち遠しくて気が気ではない。仕事や接客も今一つ手につかず、このままでは何か大きなミスをやらかしてしまいそうだ。かといって急かすようなメッセージを送るのは逆効果だろう。女々しい、ウザい、気持ち悪いと思われるか、最悪の場合怖がられてブロックされてしまう可能性もある。どんな返答でもいい、早く何らかのリアクションが欲しい。通話まではちょっと……という返事でも全然構わない。私の作品を読み、創作活動を応援してくれるだけでも感謝してもしきれないほどなのだから。

 いや、返事がまだでも、せめて早く既読だけでもついてくれないだろうか。既読がついてしばらく返事が来なければ、ああ、そういうことか、と諦めがつく。その場合はすぐに違う話題を振ろう。彼女にわざわざ断らせて気まずい思いをさせるのは本意ではないからだ。


 もうすぐ夜の休憩時間が終わる。すっかり延びきったまかないのラーメンをすすりながらぼうっとスマートフォンの画面を眺め、意味もないのに何度も何度もLINEのトーク画面を確認する。そんな自分が急に馬鹿らしくなり、最後にサカナとのトーク画面を開いたその時、ようやく既読がついているのを確認した。

 サカナはなんと答えるだろう。画面の向こうでドン引きしてはいまいか。私は固唾を呑んで彼女の返信を待った。しかし、なかなか返事が来ない。一時間の休憩時間を既に1、2分オーバーしていたが、私はスマートフォンの画面を食い入るように見つめながらじっと待ち続けた。

 2分、3分……返事はまだ来ない。やはり嫌だったのだ。彼女にとっては通話までしたいと思うほどの関係ではなかった。何か別の話題を、と思いスマートフォンのタッチパネルに手を触れた瞬間、


「おい芋田! そろそろ休憩終わりだろ?」


 厨房から店長の怒号が飛んできた。店長は決して理不尽に厳しい人ではないが、休憩時間には割とシビアだ。私は慌てて立ち上がった。


「はい! 今行きます!」


 その後、近くで飲み会でもあったのか、夕飯時を過ぎた真冬の夜にしては珍しく大勢の客が押し寄せて、私と店長はてんてこ舞い。客の波が引いたのは閉店時間近くだった。LINEの通知が来ているかどうかすら確認する暇もなく、締めの作業を終えて退勤し、その帰りの車内で、私はサカナからの返信が届いていたことに気づいた。


『通話ということですか?』

『でも急にかかってきたらびっくりするので』

『前もって都合のいい時間を教えてもらえると嬉しいです』

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