2
『感想が書かれました』
ユーザーページのお知らせ欄の下に表示された赤い文字の一言。『小説を書こう!』に作品を投稿している作者の中で、この言葉に心躍らない者はいるだろうか。いや、いないはずだ。公募に作品を提出しても個別の作品に評価や感想が伝えられるわけではない。公募で落ちた作品は、虚しく空を切ったまま、誰の感想も聞けずに消え去る運命にある。
しかし、『小説を書こう!』を始めとした小説投稿サイトはネットを通じて世界中に作品を公開しているので、それを読んだユーザーが作品をブックマークしたり、評価点を入れたり、感想を残したりできるのがよいところだ。誰にも読まれることなく、評価を聞く機会などなかったはずの作品の感想を聞くことができる可能性がある。可能性は。
とはいえ、話はそう簡単ではない。私は今まで四作品をサイトに投稿してきたが、感想が来たのは一件のみ。それも、『暗すぎるし読みづらい』という短い一言だけだった。ブックマークはもちろん0件、評価点はまだ誰にも入れられていない。更新或いは投稿をしたところで得られるPVは一桁、酷い時は0という場合もある。ろくに読まれもしないのだから、ブックマークや感想を期待するのは無謀というものだ。
国内最大級の小説投稿サイトである『小説を書こう!』には既に50万を超える作品が投稿されており、また一日に数百、数千もの小説が投稿、更新される。パソコンでもスマホでも、高速でスクロールされる画面に私の作品が映り込む時間はコンマ一秒にも満たないかもしれない。何気なく新たな小説を求めている読者が私の作品をクリック、あるいはタップする確率は極めて低い。
故に、作者の方もより狡猾になり、読者を増やしたい作者同士でクラスタを作り、作品の人気の指標となるブックマークや評価、感想をつけあう行為が横行している。むしろそうした交流を図り人脈を作らなければ、どんなにクオリティの高い作品であっても、読者がつくことは滅多にない。それを『交流』と称するのも物は言い様と感じるが、現代は編集者が臆面もなく作者にセルフブランディングを求める時代である。小説投稿サイトが低きに流れるのはいわば必然の現象と言えよう。
本題からだいぶ脱線してしまった。今重要なのは、私の作品に書かれた感想である。今度こそまともな感想が貰えるのだろうか。『感想が書かれました』の文字にマウスのカーソルを合わせつつも、クリックする勇気がなかなか出ない。投稿した作品にはどれもそれぞれ思い入れがある。しかしラノベ感覚で読みにくる読者には、この作品に込められた私の情熱はなかなか伝わらないだろう。私の作品には、安易な現実逃避も浅はかな自己肯定も存在しないからだ。
だが、どんな感想が書かれたのかは実際に読んでみなければ永久にわからない。私は自分を叱咤し、マウスに乗せたままだった右手の人差し指に力を込めた。
今回感想が書かれたのは、以前純文学の公募に提出して落選した『福笑い』という四万字ほどの中編。現代社会に蔓延する絶望感や人間関係の煩雑さ、その中で疲弊してゆく主人公を、自分なりにコミカルで読みやすい文体で描いた作品である。そして感想の文面は、以下のようなものだった。
『文章が整っていて読みやすく、スッと読むことができました。また、駿雄が繰り出す皮肉の数々も、胸にストンと落ちるものがありました。でも最後に駿雄が自ら命を断ってしまった結末には、少しモヤッとしたものが残りました』
駿雄とは本作の主人公の名前だ。この読者には、文体の読みやすさと本作の主題についてはかなり好意的に評価されたらしいが、結末にはやや不満が残ったようである。
投稿者のアカウント名は『サカナ』。性別不詳のハンドルネームではあるが、私は何となく、このユーザーは女性なのではないかと思った。『スッと入ってくる』や『ストンと落ちる』等は語彙の乏しいレビュアーが書評を記す際によく用いる言葉であるが、最後にさらに『モヤッと』と擬音語を重ねている。例えば主婦をターゲットにした通販番組などではこのように意味が曖昧な擬音語が多用される。
また、全ての文の末尾が『ました』という形で締められており、この単調さにもボキャブラリーが表れているように思う。故に、この『サカナ』というユーザーは若い女性なのではないかと私は勝手に推察した。
それはさておき、『小説を書こう!』では、書かれた感想のページに作者が直接返信できるようになっている。以前書かれた『暗い』という感想は無視したが、きちんと作品を読み込んで感想を書いてくれた読者には、こちらも丁寧に感謝の気持ちを伝えなければならないだろう。
しかし自分の作品にまともな感想を貰ったことのない私は、キーボードの上に指を浮かせた不自然な姿勢のまましばらく固まってしまった。感想への返信とは、具体的に何を書いたらいいのだろうか。単に『ありがとうございます』だけでは味気ないし、かといって感想本文より長いような返信では、何かこう、がっついているような、妙な印象を与えてしまわないかという懸念がある。
悩んだ末、私はこう答えることにした。
『感想ありがとうございます。文体や登場人物、心理描写は意識して工夫した部分なので、お褒めに与り光栄です。結末についてですが、私は諸星亘という作家が好きで、彼の作品へのリスペクトの意味も込めてこういう結末になりました』
諸星亘とは、二年前小さな文学賞を受賞してデビューした作家である。一般的な知名度は決して高いとは言えない。これまでに書籍化されたものは二作だけだが、デビュー前は電子書籍の自費出版で何作か作品を出していた。また彼は昔『小説を書こう!』に作品を投稿していたので、今でも当時の作品をいくつかこのサイトで読むことができる。
彼の作品の特徴は、軽妙な文体ながら現代社会の暗部を鋭く描いている点だ。文豪で喩えるならば太宰治が最も近いタイプだろうか。さらにもう一つ付け加えるとすれば、彼の作品の主人公は自ら命を絶つことが多い。ある時期からその傾向が特に強くなったので、彼の精神状態を不安視する向きもなくはないが、彼にとっては死という究極の選択と向き合わなければ描けないものがあるのではないかと私は考えている。
話を自作に戻す。リスペクトと表現すれば聞こえはいいが、『福笑い』は私なりに彼の作風を真似て書いてみた作品なのだ。あまり苦労はなかった。ごく自然に彼の作風に寄せることができたのは、もともと私が彼の作品のファンであり、私が描きたいものと諸星亘が描いているテーマが比較的近いからだろう。
届いた感想への返信を書き終えると、私はそのまま、結局一文字も書かずにパソコンをシャットダウンしてしまった。仕事の繁忙期には帰宅してパソコンを起動する気すら起きなくなることが多いが、今日は割と暇な日だった。疲労がないとは言わないが、全く書けないほど疲れていたわけでもないと思う。つまり感想への返信に気力を使い果たしてしまったのだ。
初めて心の篭もった感想を貰ってみて、感想を書いてくれる読者は極めて貴重なものだと改めて実感した。クラスタを形成し、互恵的行動として心にもない感想をつけあっている者たちとは違う。純粋に私の作品に対する評価なのである。
既に四作品も投稿しているので、一時的にブックマークがつけられたことは何度かある。現在0件になっているのは、一度ついたブックマークがすべて外されたからだ。ブックマークだってもちろん嬉しい。ブックマークが外された時は、相手が死んだと思えば別に腹は立たない。死んだら読めないのは当たり前だからだ。しかしブックマークだけだと、読まれているという実感が乏しいのも事実。
だから感想が書かれると素直に嬉しい。今回実際に貰ってみて、嬉しいものだと改めて実感できた。麻薬めいた魅力とすら言える。いわば感想大麻である。この快感が忘れられずに、他の作者たちは相互評価クラスタに手を染めていくのかもしれない。
私は冷たい布団に包まれながらそんなことを考えた。初めて貰った感想の興奮はなかなか冷めず、その夜はなかなか寝付けなかった。
!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i
感動とは儚いものである。一晩寝て起きると、私は感想を貰ったこともすっかり忘れ、普通に職場に行って適度に仕事に励んだ。昨夜の一件を思い出したのは、仕事を終え深夜に帰宅してノートパソコンを立ち上げてからのことだった。『小説を書こう!』のユーザーホームのお知らせ欄の下に、昨夜とは異なる赤文字の通知が表示されていたのだ。
『新着メッセージが1件あります』
これも初めて見る表記だ。感想ではない。このサイトにユーザー同士でメッセージを送り合う機能があるのは知っているが、わざわざ他のユーザーにメッセージを送る機会などあるのかと私はずっと疑問に思っていた。他には、『小説を書こう!』運営からの通達(主に投稿内容に対する警告など)、他の作品に書いた感想への返信の通知などにもメッセージ機能が使われるらしい。だが、私はまだ他の作品に感想を書いたこともないし、運営から警告されるような内容の作品も投稿していないはずだ。書籍化のオファー……ではないか、さすがに。
となると、このメッセージは何だろう。私は首を捻りながら新着メッセージの通知をクリックした。
送信者名はサカナ。昨日感想をくれた読者である。送信日時は今日の午後九時過ぎ。件名は『こんばんは』とだけあった。
運営からの警告でなかったことにひとまず胸を撫でおろしつつ、では内容は何だろう、とまた疑問が湧いてくる。いかがわしいビジネスの勧誘などでなければいいがと思いつつメッセージを開くと、本文にはこう書いてあった。
『突然のメッセージ、失礼します。諸星亘お好きなんですか? 実は私も彼の作品が好きで、まだこのサイトで無名の投稿者だった時代からずっと読み続けてるんです』