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『とてもかわいくて驚きました。髪型も似合ってますね』


 帰宅してシャワーを浴び、部屋に戻った私は、サカナにこのように返信した。かわいいと感じたことをなるべく率直に伝えたいとは思いつつも、物書きとしてはあまり浮ついた文面にもしたくない。私なりに色々考えた結果がこれであったのだが、送信してしまってからどうも淡々としすぎていないかと不安になってきた。

 佐々木のように、素直に『超カワイイ』とかのほうが良かっただろうか。しかし重ねて『超カワイイ』などと送っても気持ち悪いだけだし、だいいち私の語彙ではない。

 発言を削除して取り消すこともできたのだが、既読はすぐにつき、サカナからの返事が来た。


『ありがとうございます』

『嬉しいです』


 この短い返信の中に、ハートマークが二つも使われている。どうやらしくじらずに済んだようで、私はほっと胸を撫でおろした。

 だが、ノートパソコンを起動し執筆フォームを立ち上げると、気分は暗転する。


 実は、私は今、創作において、これまで経験したことのない極度のスランプに陥っていた。

 具体的に言えば、『ポジティヴ・ディストピア』以降、ただの一文字も書けていない。


 私は小説におけるテーマの重要性にようやく気が付いた。ただ人間の心理を描けばいいというものではない。時代や社会への問題提起、人間の存在意義、読者への問いかけ。それらの要素が作品の本筋に沿って、時に暗喩的に、時に人物の心理を通して描かれていなければ、それは文学とは呼べない。そしてテーマが普遍的に人間の本質を描き心の琴線に触れるものであったときに初めて、その作品は時を超えて読み継がれる名作となる。

 そうした観点から振り返れば、これまでの私の作品は児戯に等しく、小説とはとても呼べない代物だった。テーマが薄く、文体も幼稚で、読後感も希薄。作品と呼ぶのすらおこがましい落書きだ。

 下手なりに私の創作活動は文学だという自負があった。しかしそのちっぽけな自信は、考えれば考えるほど、自惚れた自分への怒りに変わっていった。こんなものをよく文芸誌や公募なんかに出せたものだ。私のくだらない作文は下読みにも嘲笑われていたに違いない。そう考えると、今すぐこの世から消え去りたいほど恥ずかしかった。私は今まで自分が書いた駄文や密かに書き溜めていたものの文書ファイルを全てデスクトップのごみ箱に入れ、すぐに完全に消去した。

 本当は『小説を書こう!』に公開してあるものも全て消し去ってしまいたい衝動にかられたが、このサイトは小説を削除しようとすると、システム負荷軽減のためなるべく作品は残しておくよう求められる。そのおかげで、作品の全削除はどうにか思い留まることができた。もしも弾みで本当に全ての作品を削除していたら、私の手元にはもう何も残らなかったかもしれない。おそらく私にとって唯一の読者であるサカナにも心配をかけていただろう。このサイトの仕様に救われたと言っても過言ではない。


 『小説を書こう!』に限らず、Web小説投稿サイトでしばしば問題になるのが『エタる』という現象、つまり投稿された作品が未完結のまま更新されることなく放置されることである。そしてその場合、大半は作者がそこで筆を折っている。

 作品がエタった場合、それを追っていた読者は未完結のまま放り出された作品について永久に消化されないしこりを抱える羽目になる。読者としてはそれを避けるため、ある程度作品を完結させた実績のある作者の作品を選んで読む。そうなると新規で一から小説を書きサイトに投稿する作者の作品はさらに読まれなくなり、作者はバカらしくなって筆を折り、作品がエタる。その悪循環が起こっているのだ。相互評価クラスタ問題の根もここにあると言っていいだろう。

 作者と読者、いずれの行動も間違っているとは思わない。創作は一般に思われているほど気楽な作業ではなく、時間も労力もかかるし、ものによっては資料や調査が必要になる。今はググれば大抵のことは調べられる時代だが、インターネットの普及前に創作を始めていた作者は、物語を紡ぐために必要な膨大な量の情報を自力で集める必要があっただろう。それは執筆以上に気の遠くなる作業だったかもしれない。

 創作は根気と情熱、そして信念がなければ続けられない。誰にも読まれないからと筆を折る作者を責めることは今の私にはできない。創作の沼に一歩足を踏み出した者なら、誰もが明日は我が身と感じるはずである。すっぱりと辞められたらどれだけ楽だろうと思う。実際自分がスランプに陥ってみて、初めてその気持ちを身に沁みて理解した。誰にも読まれずに萎えて筆を折るぐらいなら、相互評価クラスタに手を染めてでも書き続けた方が、たしかに合理的なのかもしれないとさえ思った。


 しかしその点、私はまだ恵まれている。私にはサカナという、自分の作品を読んで感想を届けてくれる読者がいる。彼女がいったいどうやって私の作品に辿り着いたのかはわからない。だが、彼女の存在によって私は確かに救われていると感じる。私がこの世から消し去りたいと思った作品を読み、感想を伝えてくれたばかりか、そんな下らないものばかり書いている私と交流を持ち続けてくれているのだ。

 たった一人そんな読者がいてくれれば、一人の作家と、それが生み出す数多の作品は救われる。存在を許される。書いてよかったと思えるし、もっと書こうと意欲が湧いてくる。私は何故かそういう読者に恵まれた。こんなうまい話があっていいのか。これは夢ではないだろうか。思い切り頬をつねってみたが、落ちかけた瞼が跳ね上がるほど痛かった。


 私はまだ終わっていない。私はまだ書ける。その意志さえ尽きなければ、いくらでも書き続けられるだろう。何を書けばいいのかはわからないが、諦めさえしなければいつか光明が見える。私が書くべきもの、私にしか書けないものが、まだどこかにあるはずだ。


 私はスマートフォンを手に取り、LINEを起動してサカナの自撮り画像を眺めた。

 熱心に応援してくれる読者の存在は、作者にとって創作の大きな原動力になるが、同時にプレッシャーにもなる。下手なものを書いて彼女に呆れられ、見限られてしまうのではないかという不安が、おそらく今回のスランプの一因にもなっている。自分一人で好きなものを書いていれば満足できる状態ではなくなったのは確かだ。それが進歩なのか退化なのかは、何も書けなくなった今はまだわからない。次に書く作品が私にとっての試金石となるだろう。

 それまでに見限られないよう、貴重な読者であるサカナを大切にしようと思った。


 ここまで極度のスランプは初めての経験だが、何年も創作を続けていると、気分が乗らなかったり疲労のためにあまり書けない日というのはもちろんある。そもそも小説を書く際も、ずっと画面とにらめっこしながらキーボードを叩いているわけではない。ずっと文章を書き続けられるなら間違いなく天才だと思うが、私の場合はパソコンに向かっていても実際に文字をタイピングしている時間は全体の十分の一にも満たないだろう。

 ではそれ以外の時間は何をしているかだが、調べもの以外にはネットのニュースサイトやSNS、動画サイトなどを見ていることが多い。全く書けない気分ならば読書やゲームで時間を潰すが、書けそうだけど何となく筆が進まないという場合、基本的にはパソコンを開いたままできることをする。


 私のように田舎に暮らしていると、世の中の話題や流行には本当に疎くなる。せいぜい仕事中にテレビのニュースやワイドショーを眺めるぐらいだが、テレビは基本的に営利企業であり、しばしば偏向報道が問題とされる。だから、これらの大手メディアとSNS等個人が情報を発信するソーシャルメディアの双方を活用して情報を集める必要があるのだ。ネットとパソコンとスマートフォンがあって本当によかった。

 作品のテーマを定める上でも、世間の動向や世論の潮流を知り、考察することは重要である。文学が描くべき対象は人間であり、人間を描くためには社会を洞察しなければならず、社会を知るためには常にあらゆる分野の情報に対して敏感であらねばならない。田舎に住んでいることはハンデになるが、それでもインターネットがない時代より遥かにマシである。


 私は何とはなしにブラウザを立ち上げてニュースサイトを開いた。数多くの見出しが並ぶ中で目についたのは、中国で新たな感染症が流行し始めているという記事だった。それ以外は、国政には直接関係のない政治スキャンダルであったり、芸能人のスキャンダル、スポーツの話題など、既にテレビで見て知っている内容か私にはあまり馴染みのない分野のニュース。特に芸能人のスキャンダルには全く興味が湧かない。それに比べたら、同じアジアで流行している感染症の話題の方がはるかに重要だろう。

 だが、厄介な感染症は今も世界中に数多く存在する。国内で発生したら一大事なのだろうが、現時点では特に気にする必要もあるまい。私はそう判断し、すぐにSNSのチェックに移った。

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