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 ドブ板選挙という言葉がある。これは選挙戦術の一つで、候補者が有権者の家を一軒一軒尋ねて好感度を上げ、人柄によって支持を集めようとする作戦のことである。政策よりも候補者の人柄やプロフィール、学歴や家族構成、そして容姿等のイメージが重視される日本の政治状況において、ドブ板選挙は重要な戦略となっているようだ。


 ドブ板選挙という言葉は腐敗した政治や選挙制度を揶揄するものであったが、この概念は最近ではコンテンツの分野でも広く使われるようになっていると感じる。例えば今のアイドルはファンとの接触が一般的である。当たり前のことを言うようだが、アイドルとは日本語に直訳すれば偶像だ。親近感のあるアイドルという言葉はそれ自体が少なからぬ矛盾を孕んでおり、特にここ数年はその歪みが顕在化し始めているように思う。

 アイドルはアイドルという言葉で、ファンはファンという言葉によってそれぞれの立場を定義され、アイドルはファン一人一人の集合体である『みんな』に呼び掛けるが、この『みんな』の意味するところは複数のファンではなくファンの集合としての単数形である。

 ファンの語源は熱狂的を意味するfanaticであり、ファンはアイドルを熱狂的に盲信する存在とされるが、しかしファンも実体としては皆一人の人間でありそれぞれの思惑がある。新参、古参とファンの間にも派閥やヒエラルキーが存在し、しばしば対立を起こす。アイドルが不完全な偶像であるように、ファンもまた不完全な偶像なのだ。

 つまり、アイドルとファンの関係とは、互いに不完全な偶像同士、一対一の対話と捉えることもできる。


 思考が少し逸れてしまった。ドブ板選挙に話題を戻すが、『小説を書こう!』をはじめとした小説投稿サイトで繰り広げられている緩やかな相互評価クラスタ、つまり必ずしもあからさまに意図的ではないにせよ暗黙の了解として相互評価を求める作家同士の交流という現象は、ドブ板選挙の手法に近いと感じる。

 サイトにアカウントを持つ作家の作品を渡り歩き、感想やポイントを入れ、レビューを書く。手法そのものは極めて単純である。レビューを貰った作者はお礼として活動報告などで相手の作品を紹介する。紹介された作品は単純にPVが増える。が、効果はそれだけに留まらない。

 心の篭もった感想やポイント、レビューを行う作者なら、交流を持っておけば自分の作品にも心を込めてくれるかもしれない、と考える他の作者と交流の輪が広まる。特にこちらからレビュー等の形ではたらきかければ高確率で返礼が貰えるだろう。自分が書いたポイントやレビューが自分の作品に帰ってくる可能性があるわけだ。

 Web作家も無垢な子供ではない。相互に利害が一致すれば、『創作仲間』という名の緩やかな相互評価クラスタが完成する。たとえ最初は純粋に交流を求めた行為であったとしても、蜜の甘さを知ってなお純真でいられるだろうか。ポイントやブックマーク数がランキングに直結し、レビューや感想の数がPVに影響を及ぼし、ひいては作者や作品の知名度、書籍化へのステップにつながるとしたら尚更である。

 ドブ板選挙との違いは、Web小説における作者-読者(作者)という関係性が有権者-候補者ほどにシンプルではない点だろう。しかし戦略としては酷似していると私は思う。これはもちろん私個人の推測であって確証はない。指摘したところで誰も認めようとはしないだろう。


「おぃ~っす、相変わらず空いてんなあ」


 と、その時店の自動ドアが開き、暖簾の下から佐々木が姿を現した。吐く息は白く、頬はわずかに紅潮している。いくら記録的な暖冬とはいえ、夜が更ければ気温は零度を下回る。佐々木は手もみをしながら券売機の前に立ち、味噌ラーメンと餃子の食券を買って席に着いた。佐々木の言葉通り、今日も客はいなかった。さすがに他の客がいる時にあんな軽口を叩くような奴ではない。これでも昼時や夕飯時にはそれなりに賑わったのだが、ピークの過ぎた平日夜はこんなものだ。

 手早く調理を終えてラーメンと餃子を出すと、佐々木はラーメンのスープを一口啜ってから言った。


「なあ、そういえば和幸、あれからあの子とどうなってんの?」


 あの子、とはもちろんサカナのことである。

 今から二週間ほど前、私は佐々木のコーディネートでサカナに自分の写真を送った。佐々木行きつけの美容室で髪をカットし、イオンで佐々木に選んでもらった服を着て撮った写真である。イオンと言っても市内ではなく、隣町にある大型のイオンだ。市内のイオンはスーパーに毛が生えた程度に狭いためテナントも少なく、男物の服はせいぜいトップバリューぐらいしかない。佐々木は服を買う際は大体通販か市外まで足を伸ばすそうだ。たしかに、市内でアパレル系といえばユニクロとしまむらしか思い浮かばない。私はどちらかといえばユニクロで買うことが多い。

 佐々木が選ぶ服は対象年齢が少し高いように私には思えたが、こいつが言うにはカッコつけるならそれぐらいが丁度いいのだそうだ。一応冬物のロングジャケットらしいが、それにしては薄手で防寒具としては非常に心許ない。これを着て外を歩いたらかなり体が冷えるだろう。靴に関しても同様で、底に滑り止めの加工などしていないこの靴でアイスバーンの上を歩いたら体中青あざだらけになるのは必定と言える。

 値段が私の想定していた予算を大幅に上回っていたので、もしかして佐々木に騙されているのではないかと不安にもなったが、かといって自分で選んで失敗したくもない。私は言われるがままに服を買った。その日買った服や靴とカット代だけで、私が昨年一年間でファッションに使った金額を軽く上回ったと思われる。


 サカナの反応は悪くなかった。そう思うのは希望的観測だろうか。いや違うはず。何故なら、彼女の返信にはハートマークの絵文字が使われていたからだ。LINE上の会話の中で、彼女はよく絵文字を使うのだが、ハートの絵文字が出て来たことは一度もなかった。佐々木が言うには、顔を見せて連絡が途絶えたりあからさまに頻度が落ちる場合は脈ナシらしいのだが、その点彼女の態度に変化はなかった。むしろ文面からは以前よりもくだけた印象を受ける。心理的距離が縮まったという解釈も可能か。安い買い物ではなかったが、金をかけただけの価値はあったようだ。

 そしてもう一つの指標は、相手がどれだけ自分の情報をこちらに開示してくれるか。より直接的な表現を用いるなら、彼女自身の顔や容姿を見せてくれるかどうかである。うまくやれば結構エロい自撮りとか送ってくれるかもだぜ、と佐々木は下卑た顔で言うが、別に私はそこまで求めているわけではない。サカナはそういうタイプではないと思うし、軽々しく自分の肌を晒すような女性だったらむしろ幻滅してしまう。


 これらの状況を踏まえて佐々木の問いに答えるとすれば、良くも悪くも変化はない。私は率直に佐々木にそう伝えた。


「う~ん、そっか。もう二週間ぐらい経つよな。いや、ムズいな。和幸といい感じになるコがどういうタイプなのかよーわからん。引かれてるわけじゃねーんだべ?」

「うん。特に変わりない」

「ぼちぼちリアクション欲しいとこだよな……都会の子はなんか違うんかなあ」


 佐々木はぼやきながら首を捻る。女性の心理について佐々木以上に私が理解できることなどおそらくないだろう。直接コンタクトをとっているのが私の方であったとしても。

 その時、不意にスマートフォンがLINEの通知音を発した。スマホの通知は常に不意であり突然である。私はポケットからスマートフォンを取り出し、通知を確認した。

 私の職場では、客がいない時間の過ごし方は、厨房にさえいれば基本的に何をするのも自由である。とはいえ急な来店にすぐに対応しなければならないため実際にはできることは限られるのだが、スマートフォンをいじるぐらいでは店長も何も言わない。調理に入る前に手を洗えばいいだけのことだ。バイトの学生などはテスト期間が近くなるとテスト勉強をしていたりもする。佐々木がいるから厳密には客は存在するのだが、まあこいつは客としてカウントしなくてもいいだろう。

 そして、私にLINEを送ってくる奇特な人間は一人しかいない。案の定、相手はサカナだった。永久凍土のような私の生活で唯一の温もりである。だが、トーク画面を開いた私は驚きのあまり思わず息を呑んだ。


『今日美容室に行ってきたんですけど、どうですか?』


 その一言に添えられていた一枚の画像。それは紛れもなく、若い女性の顔を至近距離から撮った写真。いわゆる自撮りだった。胸のあたりまである長いブラウンの髪の毛先が緩くウェーブしている。

 涼しげな目元に長い睫毛、形の良いすらりとした鼻梁、小ぶりな唇、ほんのりと染まった頬、それら全てが、癖のない卵型の輪郭の中にバランスよく収められている。控えめに言っても美人。私の店には多くの客が訪れるが、彼女ほどの美人はそうそう見かけない。

 服装は胸のあたりまでしか見えないが、薄いグレーのセーター。ピアスなどのアクセサリーはつけていない。背景は白い壁が見えるだけだ。

 マジか……。全く期待していなかったと言えば嘘になる。だが、私の作品を読み、感想をくれ、私とLINEをしていた相手がこんなにかわいい女の子だなんて、いったい誰が想像するだろうか。


 いつの間にか口の中に溜まっていた大量の唾液を飲み込むと、スマートフォンの向こう、視界の端でニヤリと薄笑いを浮かべながらこちらの様子を窺う佐々木の顔が見えた。


「例のコから何か来たんだべ」

「……いや、別に」

「隠すこたぁねえべな、俺とお前の仲だろ? なんだ、自撮りか?」

「……まあ」


 咄嗟に嘘をついてはみたが、やはり佐々木には通用しなかった。佐々木は興味津々といった顔でカウンターから身を乗り出す。


「どれどれ、見してみろよ」

「は? ダメだって」

「いいべな、お前が送った写真の服選んでやったのは誰だと思ってんだ? 俺にもちらっと見る権利ぐらいあるだろ」


 たしかに。そう言われると反論の余地はない。

 私は渋々サカナの自撮りを佐々木に見せた。


「うっわ! マジか! めっちゃかわいいじゃん!」


 佐々木の反応は私よりずっと素直だった。私には何故これができないのだろう。佐々木の素直さを今ほど羨ましく感じたことはない。私は心にもなく疑ってみせた。


「まあでも本人の自撮りとは言い切れないけどな」

「いや、それだったらもっと早く送ってきてると思うぞ。他人の画像拾ってくるだけだったら五分もかかんねえもん」

「……本人だとしても、奇跡の一枚かもしれない」

「それ言い出したら和幸だって人のこと言えねえだろ。それに奇跡の一枚とかバリバリ加工してたとして何か問題あんのか? お前にかわいく見られようと思ってがんばったことに意味があるんだろーが」


 ぐうの音も出ないほどの正論である。もっとも、佐々木は私が本当に彼女を疑っているわけではないこともお見通しだった。


「そんな照れんなよ和幸。俺にはそうやってひねくれて見せてもいいけどな、相手の子にはちゃんと素直にかわいいって返信しとけよ? ったく、ボーッとしてるように見えて、スミに置けねえヤツだなお前は」

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