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「……じゃあ、この口紅で……あと、ギフトラッピングもお願いします」
「かしこまりました」
私が今接客しているのは高校生のきれいな女の子。友達への誕生日プレゼントらしい。女優の細川果雨がCMに出演し、若い女性を中心に人気のある商品だ。ただ、細川果雨自身がそうであるように二十代の女性をターゲットとした商品なので、例えばこのお客様と同年代のお友達が使ったら少し背伸びしすぎた印象を持たれる可能性はある。
いくつかの候補の中から彼女がこれを選んだとき、やんわりとそう伝えてみたけれど、そのお友達はとても大人びた雰囲気だから大丈夫だと思う、とのことだった。少し年上の友人なのかもしれない。
私がラッピングを始めると、彼女は思い出したように、
「あ、あの、メッセージカードとかもできるんですか?」
と尋ねて来た。
「はい、ございますよ。お持ちしましょうか?」
「あ、はい、お願いします。ここで書いてもいいですか?」
私がラッピングの作業を行っている間、女の子は一生懸命メッセージカードを書いていた。
「お誕生日おめでとう いつも遊んでくれてありがとう もっと手話の勉強がんばるね ほのか」
文面を盗み見たわけではない。彼女がメッセージを書きながらずっと小声でそう呟いていたのだ。必要以上に詮索するのはよくないと思いつつ、知り得る範囲で色々と想像を巡らせてしまうのは、接客業の性のようなものではないかと私はよく考える。
それは、私たちが取り扱っている化粧品というものの性質と無関係ではないかもしれない。ファッションにも様々な分野が存在するけれど、服やアクセサリーとコスメの大きな違いは肌に直接つけるものという点だと思う。服飾や装飾品はあくまで人を飾るものだが、化粧はある意味その人自身であり、形を持たない仮面でもある。古くは呪術的な意味合いも持っていたらしい。化粧という行為は、純粋にファッションとしての意味だけではない、とても複雑な概念を含んでいるのだ。
何をどう使うのか、メイクにはその人の個性や哲学が表れる。だから、売れ筋や店として売りたい商品はあるけれど、私はなるべくお客様を観察し、その人に合うものを薦めるようにしている。今回のお客様のようにプレゼントの場合は、送る相手に関する情報をできる限り引き出し、イメージしながら考えなければならない。
「ありがとうございました~!」
女の子は弾けるような笑顔を振りまきながら帰って行った。
「かわいい子でしたね」
と、さっきからずっとこちらの様子を窺っていた後輩の幸絵ちゃんが言う。
「うん。お友達への誕生日プレゼントだって」
「へえ。でも、高校生ぐらいですよね?」
「プレゼントをあげるお友達が大人っぽい雰囲気の子だって言ってたから、年上の子なんじゃない? それにあの子自身も、靴とかバッグとか年の割にはいいもの持ってたよ。あんまり世間ずれしてる感じもしなかったし、家が割と裕福なんじゃないかな」
「なるほど。さすがさゆりさん、よく観察してますね」
「ふふ。まあね」
などと二人で話していると、
「設楽さん、芋田さん、そろそろ休憩とっていいよ」
主任の黒川さんが声をかけてきた。
幸絵ちゃんと黒川さん、二人とは職場で特に仲が良い。遠田さんとLINEをすることになった夜、その遠因となる食事を一緒にしたのもこの二人だった。
黒川さんは私がここで働き始めたころからお世話になっている先輩。売場で唯一私より年上で、小学校高学年のお子さんがいる。結婚と出産で一度辞めたが、旦那さんの収入が不安定になったため復職し、今では売場主任となった――なっちゃった、と黒川さんは言う。女にしては珍しいくらい裏表のないサバサバした性格の持ち主。ベテランビューティアドバイザー、略してBBAと自分でよく言っている(ちなみに、ベテランの頭文字はVである)。
職場では私たちのことを設楽、芋田と名字で呼ぶが、勤務時間が終われば人懐こい笑顔でさゆりちゃん、サチエちゃんと気さくに話しかけてくる。私も仕事が終われば美和さんと呼ぶ。上司としても人間としても尊敬できる先輩なのだ。
幸絵ちゃんは二年ほど前から契約社員として働いている。青森出身で、高卒で上京してしばらくはアパレル関連のショップで働いていたが、人間関係などが上手くいかずに退職し、その後紆余曲折を経てここで働くことになったそうだ。仕事中は不自由なく標準語を使いこなしているが、休憩時間や退勤後に話すと時折訛りが顔を出すのがかわいらしい。
年が明けてから幸絵ちゃんと勤務時間が重なるのは初めてだったので、休憩時間は自然とお互いの年末年始の話題になった。
「さゆりさんは年末年始どうしてたんですか?」
「私は旦那の実家だったよ」
「あ~、埼玉の?」
「そうそう」
「へ~、いいなあ。実家も都会かあ」
「いやいや、全然。結構田舎だよ~、埼玉でも山の方だし」
「でも青森よりかは絶対都会ですよ」
幸絵ちゃんの一言に、私は遠田さんから送られてきた青森の風景の画像を思い出していた。そう、彼女も同じ青森の出身なのだ。
地方出身のコンプレックスがあるのか、幸絵ちゃんは普段あまり地元のことを話さそうとしないけれど、私は遠田さんの写真で青森の街並みや風景を知っている。もちろん東京や埼玉と同様、青森の中にも都市部とそうでない地域で差はあるだろうけど、少なくとも遠田さんから送られてくる画像は牧歌的な田園風景という感じではない。
「いや、いい勝負だと思うよ。お餅とかおせちとか、全部手作りしなきゃいけないから」
「へぇ~、うちも子供の頃、おばあちゃんがこさえてたなあ、お餅。さすがに最近はめんどくさいから買ってきちゃいますけどね。イオンで」
「ほら。お餅は青森のほうが都会じゃん」
「でも優しくて結構イケメンの旦那さんの実家だし、いいじゃないですか。うらやましいなあ」
夫は以前一度私の職場に顔を出したことがあり、美和さんも幸絵ちゃんもその時に夫と会っている。実家でも人前でも彼は愛妻家の模範的な夫であり、手を上げるどころか声を荒げることすらない。
「うん、まあ」
と私は苦笑いに見えないよう精一杯の微笑を浮かべて見せた。
!i!i!i!i!i!i!i!i!i
その日の業務は何事もなく終わり、私は美和さんと幸絵ちゃんといつものように駅で別れ、帰りの電車でスマートフォンを開いた。もう何百回、何千回繰り返したかわからない私の日常のルーチンである。
さて、今日は『小説を書こう!』でどんな作品に巡り合えるだろうか。しかしその前に、私はLINEの通知をチェックした。遠田さんからLINEが届いている。慣れないうちは緊張したものだが、今では彼からの通知を見ると何だか少しほっとする。仕事を終えたあとや休憩時間など、リラックスする時間に見ることが多いからだろうか。遠田さんとのLINEが、いつの間にか習慣になり、日常に馴染んできているのを実感する。
が、トーク画面を開いて彼からのメッセージを目にした私は、思わず数秒間呼吸も忘れて硬直してしまった。
トーク画面にはこう書いてあった。
『こんにちは。今日新しいコートを買ったのですが、どうでしょうか』
そしてその後に、姿見に映った、想像よりずっと若い男性の画像が添付されていたのである。