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クラウドという言葉をこのところよく耳にする。
今年リメイク版が発売予定の大人気RPGの主人公のことではない。オンライン上のデータの保管場所はクラウドストレージと呼ばれるし、主にネットを通じて広く資金提供を募る行為をクラウドファンディングと呼んだりもする。水蒸気のように細かいものが集まって一つの大きな塊となり、その塊から降り注ぐ雨粒のように広く遍く還流される、そういった概念を雲に喩えた言葉のようだ。たしかに上手い比喩だと思う。
SNSを眺めていると、たとえばどこかの店が惜しまれつつも閉店する、といった類のニュースがタイムラインに流れたとき、だから好きな店にはちゃんと金を落としましょうという趣旨のツイートが拡散されることがある。小説や漫画、ラノベ、音楽などの分野でも似たような現象は見られる。好きなコンテンツにはきちんと金を払いましょう。つまり買い支えを呼び掛けているわけだ。至極真っ当な主張である。
しかし、富は無限ではない。所得格差が拡大しつつある日本では、むしろ生きるだけで、食うだけで手いっぱいな者が増えている。一人暮らしの学生や若年層で、一日三食きちんと摂っている人の割合はどれぐらいだろうか。一つの店、一つの産業を買い支えられるほど、今の日本人と日本経済に余力はない。
それでも世の中のどこかに実は溢れるほどのお金が埋もれていて、そのお金が然るべきところに渡れば多くの人が救われる。そんな幻想が世の中にはまだ蔓延っているように思う。実体のない雲のように。雨乞いの儀式を行えば恵みの雨が降り注ぐはず――そう、それは祈りにも似ている。
私が子供の頃に起こった政権交代にも、その心理が多分に働いたと私は見る。日本国債が何百兆円あろうとも、政権が変われば、隠されていた埋蔵金がどこからともなく湧いてくる。そんな根拠のない甘い願望が、日本全体に漂っていたのだ。
富は自然現象とは違う。日本には『金は天下の回り物』との慣用句があるが、現代の資本主義経済において富は偏在するものだ。『石油王』という言葉も最近特にネット上で目にする機会が増えたように思うが、もし私が石油王だったなら、市内の書店は一つとして潰れることはなかっただろう。そんな夢想が何の救いになるだろうか。
文化も芸術も、今や娯楽の一分野として弱肉強食の資本主義経済に投げ込まれた。我々物書きはその潮流の中で、流行に阿るのか、あるいは抗うのか、自らの拠りどころを考えなければならない。忘れてはいけないのは、流行は現象としてしか歴史に名を残さないが、作品は個体として永遠に残り得るという点である。
とその時、ポケットの中で鳴り響いたLINEの通知音によって、私の意識は現実へと引き戻された。今はまだ勤務時間だが、店内に客はいない。時刻は午後10時過ぎ。三が日を過ぎてしまえば、客足はこんなものである。とはいえ、勤務時間中にマナーモードにし忘れているのは我ながらさすがにたるんでいる。地獄の季節が終わり、ほっとして気が抜けているのかもしれない。私はポケットから急ぎスマートフォンを取り出した。
「和幸さ、なんか最近やたらスマホ気にしとるよな」
前言撤回。そうだ佐々木がいた。佐々木は声を潜め、にやけ顔で言う。
「おい、相手は女の子だべ?」
「いや、別に」
「隠すことねーじゃんかよ、俺とお前の仲だろ?」
「違うって」
「いーや嘘だ。お前嘘つくのヘタクソだもん。自分ではわかんねーだろうけどな、お前嘘つくときめっちゃ鼻ふくらんでるから」
「なっ……」
私は咄嗟に鼻を押さえた。そんな癖、今まで一度も言われたことがなかったが……。
佐々木は不敵な笑みを浮かべる。
「ほらやっぱ嘘だ。鼻なんて膨らんでねーよ。カマかけただけだ」
「くっ……佐々木お前……」
「和幸、お前今まで女の子と付き合ったことあるんか?」
その佐々木の質問に、虚勢を張ろうかとも一瞬考えたが、たった今嘘を見抜かれたばかりなのでやめておいた。
「……ないけど」
「だろうな。いや、なんか事情があるとかだったら別にこれ以上は聞かねーけどさ、お前一人でうまくやれるか? 俺以外に誰か相談できる相手とかいるんか?」
「……」
私は何も言い返せなかった。佐々木の言葉は実に痛いところを突いている。私は女子と交際した経験もなければ、個人的な会話をしたことすらない。今はまだ一日数回のLINEだからまだなんとかサカナとのやりとりが続いているが、それでも話題はいつか尽きてしまうだろう。この頻度ですら話題に困る有り様なのだから、面と向かって話す機会が訪れたら、もしくは通話する機会があったら、会話は5分と持たないかもしれない。もう既に飽きられ始めているのではないかという不安は常にあるし、相談相手が欲しくないといえば、それは自分に対する嘘にもなる。
佐々木の他に客はいない。佐藤さんはさっき休憩に入ったばかりでしばらくは戻ってこないはずだ。話すとしたら今が絶好のタイミングである。
私は、自分が小説を書いていることとそれを『小説を書こう!』に投稿していることを伏せ、本好きが集まるSNSでサカナと知り合った、というストーリーを即興で作り上げて現状を佐々木に相談した。嘘は下手かもしれないが作り話は不得手ではない。むしろ作り話こそ物書きの領分と言える。
一通り話し終えると、佐々木はこいつにしては珍しく思案顔になった。ガチャにしたら間違いなくウルトラレアである。
「ほ~ん、まあその本好きが集まるサイトってのがよくわからんけど、とにかくLINEしたいって言いだしたのは向こうの子のほうなわけか」
「うん、まあ、一応」
「やるじゃねーか和幸」
「そうなのか?」
「そーそー。女の子の方から聞いてくるってのはめっちゃ話が盛り上がってないと難しい。ただそういうネット関係だとネカマが怖いよな」
「ネカマか……」
ネットオカマ、略してネカマ。ネット上で男が性別を偽る行為のことだ。いったい何の意味があるのかは私には想像もつかないが、ネカマはインターネット黎明期からよく見られていたらしい。その可能性は私も全く考えないではなかったが、メッセージやLINEの交換をする中でその疑念は薄れていった。LINEの名前が女性だったというのも大きい。
ネカマを見抜く方法として一般的には下着や化粧品の話題が挙げられるが、最近では化粧をする男も増えているらしいので確実とは言えないかもしれない。だいいち下着や化粧品の話題を振ったところで、私自身にその分野の知識が皆無なのだから、相手が出まかせの返答をしていても見極めようがないのである。
それに、サカナが本当に女性だった場合、下着や化粧品について質問したら確実にドン引きされるだろう。本や小説の話の中にそれとなく紛れ込ませられるような話題でもない。
佐々木は言った。
「じゃあ、今んとこ相手の子についてわかってるのは、東京在住ってことと、手がキレイってことだけなんだな?」
「まあ、そうなるか」
「写真なんてネットからいくらでも持ってこれるからな……年は?」
「聞いてない。女性に年を聞くのは失礼かと思って」
「昭和かよ。別に年代ぐらいは聞いてもいいんじゃね? まーでもマッチングアプリとかじゃねーんだもんな……ややこしいな。まあ普通は話してるうちになんとなくわかるもんだけど」
私が読み耽っている文学作品は昭和かそれ以前のものが多いので、感性の古さは否定できない。明治かよと言われないだけマシだとも言える。
「まあ女かどうか確実に確かめる手段っていったら声かな、やっぱ。自撮りもいいけど、画像なんてググればいくらでも拾ってこれるし、インスタのスクショとかでもいいし、最近は女装野郎も結構いるからな。東京だとすぐ会うってわけにもいかねーし、やっぱ通話だろうな」
「通話か……しかし、なんか、ハードルが高いな」
「そうか? じゃあまずは自撮りかなんか見たいって言ってみれば?」
「……どうやって?」
「めんどくせーなお前……見たいって言うのがはずいんだったら、じゃあ自分から送ってみればどうよ?」
「送る……何を?」
「何って、決まってんだろ、自分の顔とか服装とかをだよ。お前の方から先に見せたら、相手の子だって自分も見せなきゃ気まずいかなって思って見せてくれるかもしんねーじゃん」
「お、俺の……?」
私は思わず自分の両手と体を見下ろした。手には水色の薄いゴム手袋、服装は職場の制服である。もちろん常にこれを身に着けているわけではないが、普段から服にはあまり金をかけていない。別段顔が整っているほうでもないので、おしゃれに金をかけるのはコストパフォーマンスが悪いと考えている。
「俺の顔なんて見せても……」
「そこはほら、カッコよく見せるんだよ。そん時だけでもいいから。服とか髪とかわかんねーんだったら、俺が教えてやっから。それで返事よこさなくなるようだったら、そもそも会ってもどうにもならんかったってことだべ?」
「まあ、そうかもしれないが……でも、突然写真なんか送ったら驚かれるんじゃないか?」
そう、何の脈絡もなく近づこうとしたら、誰だって驚くものではないか。サカナからLINEを交換したいと言われた時、男の私でも驚いたのだから。
「あのなあ和幸。『人』っていう字は、人と人とが支え合って成り立ってるって言うだろ?」
と、佐々木は突然こいつらしからぬ、金八先生のようなことを宣った。
「でもな、ただ支え合ってるだけじゃない。ほら、人って字は、片方が長いじゃんか」
と、佐々木は自分の手のひらに指先で『人』の漢字をなぞって見せる。Webやパソコンの一般的な書体では人の字はほぼ線対称になっているが、手書きで書く際はたしかに一画目のほうを長く書く。『入』の字と左右を入れ替えた形である。
「つまりだ。人ってのはな、どっちかが手を伸ばさないと、交わることすらできねーんだよ。その覚悟を、お前は全部相手の子だけに押し付けるつもりか?」




