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『ポジティヴ・ディストピア読みました』

『とても面白かったです。なんというか、遠田さんが作家として一皮むけた感じがしました』


 一月二日の深夜、営業時間を終えてくたびれながら車に乗り込んだ私は、エンジンをかけ暖機をしながらスマートフォンを手に取った。

 今日は新年最初の営業日である。暇と金を持て余した客が昼から深夜までひっきりなしに訪れ、目の回るような忙しさだった。まだ正月休みの店も多いので、自然と客は集中する。だがその疲れも、サカナから送られてきた一言のLINEによって吹き飛んでしまった。

 些か恥ずかしい話ではあるが、私はこの二日間、彼女からの感想をずっと待ち侘びていた。今日の仕事中も、絶え間なく押し寄せる客への接客や調理に追われながら、心の中ではLINEの通知音を待っていたのだ。これまでは作品を投稿しても感想どころかブックマークすらろくに付かなかった。正確な統計かどうかはわからないが、感想を書いてくれる読者は全体の1%程度だと言われている。読者の反応なんて無いのが当たり前である。

 『ポジティヴ・ディストピア』の現在の総PVは11。単純に計算すれば、感想を書いてくれる読者は0.11人ということになる。作品を読んで感想を書くだけなら頭部と片手だけがあればいいので0.11人でも辛うじて足りるかもしれないが、仮に頭と片手だけの読者がいたとしても心臓がないので、感想を書ききる前にすぐ死んでしまう。そもそも1%という割合は、実感と比べるとかなり楽観的な数字だと思う。0.1%ぐらいが妥当なところではないだろうか。


 冗談はさておき、感想をこれほど待ち遠しく感じるのは初めてだ。感想をくれると期待できる相手がいることで、こんなに心構えが変わるものだろうかと自分でも驚いている。

 私にとって、読者は文字でしかなかった。PVで表される数字の総体でしかなかった。実体を持たない、形而上的な存在だったと言っても過言ではない。だが今や名前を持ち、一人の人間として私とコミニュケーションを行っている。送られてくる画像に映り込んだ彼女の指先やコートの袖口などから、私は彼女が数字でも文字でもない、実在の、肉体を持った人間であることを確認するのだ。

 いったい彼女がどんな声で、どんな容貌をしているのか。どんな姿で私の作品を読んでいるのか。興味がないと言えば嘘になる。しかしここから先へ踏み込んでしまったら、作者と読者という関係性をいよいよ超えてしまうような気がする。相手は女性なのだ。不用意に接近を試みればさすがに拒まれてしまうかもしれない。私自身の個人的な興味のせいで、私の作品の貴重な読者を失いたくはない。本や創作の話、日常会話をLINEで気軽に行える相手ができただけで、私にとっては十分すぎる。何も不満はないじゃないか。


 何はともあれ、『ポジティヴ・ディストピア』が気に入られたようでひとまず安心した。

 正直なところ、不安もあった。これまでの私の作品は特定の主人公の一人称視点から比較的狭い範囲の世界を描くことが多かった。短編とはいえ、一作全てを三人称視点で書いたのは初めての試みだ。また、昨今の世間の風潮に対する風刺、アイロニーを作品に込めたのもこれが初である。サカナが『一皮むけた』と評してくれている部分はおそらくこの点だと思われる。


 自分の思想を作品に投影させることにはメリットもデメリットもある。商業作品などでは特にそうだろう。その思想を快く思わない読者を失うリスクが発生する。それはビジネスとしては好ましくない行為だ。

 だが、人は全く知らないものを書くことはできない。物語を紡ぐ上で自分の知識の範囲外にあるものを書かなければならなくなった場合は、それについて調べる必要がある。私の創作活動の中でも、キーボードを叩いている時間より調べ物をしている時間の方が長くなることは珍しくないし、だからこそ自分の辻褄のよい形に世界観を創造できるファンタジーがよく書かれているという側面もあるだろう。

 いや、そもそも、自分が全く知らない分野の事柄について何かを書きたい、表現したいと思うことのほうが稀なのではないか。創作は世間一般に思われているほど気楽な活動ではない。動機がなければ始められないし、情熱がなければ続けられない。『小説を書こう!』等のWeb小説サイトに投稿された作品の未完率、いわゆるエタる作品が多いのは、なんとなく流行っているからと始めてみたが文章を書くことが予想以上に大変で、しかも読者からの反応が薄いか全く皆無だからだろう。自分の中に表現したいもの、創造したい世界、そして強い意志がなければ、創作とは基本的に虚しい行為である。

 それほどまでに強く自分を投影した分身のような作品に、自分の思想を介入させるなというほうが無理ではないかと私は思う。それが道徳上、倫理上、多少の問題があったとしても。たとえ政治的なメッセージが込められていようとも。フィクションである限り、表現の世界では全てが自由なのだ。


 などと考えながら、私は家へと車を走らせた。繁忙期の仕事終わりにこれほど多幸感を覚えたことは未だかつてない。疲労と苛立ち、倦怠感に襲われながら帰路に就くのが常である。


 帰宅後、更なる幸福が待ち受けていようとは、この時はまだ知る由もなかったのだ。


 いつものようにシャワーを浴び、一日の疲れを洗い流してから自室のノートパソコンの電源を入れた私は、湯冷めしないようウルトラライトダウンを羽織った。炬燵の電源もつけてはいるが、温まるまでにはまだ少々時間がかかる。遅くなったパソコンの起動も、炬燵よりはだいぶ速い。

 ブラウザを立ち上げ『小説を書こう!』のマイページを開くと、そこには今まで目にしたことのない赤文字が躍っていた。


『レビューが書かれました』


 私はそれが何を指す通知なのか理解できず、一瞬と呼ぶには長すぎる時間、完全に思考が停止してしまった。


 レビュー?


 レビューというと、あの、感想とは別に、作品を紹介するための小文のことか?

 感想は年に一度、ブックマークは半年に一件もつけば上々の私にとって、それは望外の僥倖と言ってもいい。レビュー機能はクラスタ専用のもので、私のようにコツコツと創作に打ち込む者にとっては都市伝説だとさえ思っていたのだ。

 その私の作品にレビューが書かれただと? 総PV4桁にすら一度も達したことのない私の小説に? 単なる冷やかしではあるまいか?

 指先の震えをどうにか抑えながら、赤い文字で強調された通知をクリックした。

 レビューのタイトルは以下のようなものだった。


『明るく楽しい未来へようこそ』


 続いて本文。


『本作は、昨今のメディアやSNS、創作物などの一般的な風潮に対する痛烈な皮肉が込められています。ほんわかと温かくなれる物語、共感できる主人公、明るく前向きな気持ちにさせてくれる歌。それは気持ちのいいものですけれど、そんな言葉を欲している私たち自身と向き合うことを忘れてはいけないと思います。とても考えさせられる作品です。


 投稿者:サカナ』


 なんだろう、直接感想を伝えられるのとも違う感覚である。なんだか少しこそばゆいような、照れ臭いような。でも、たしかに、うれしい。


 この感謝の気持ちを早く彼女に伝えなければ。

 感想欄ならば作者から直接返信をつけられるが、レビューには返信を書くことができない。今更サイトのメッセージというのもよそよそしい。つまりLINEだ。私は急ぎスマートフォンを手に取った。LINEで連絡を取り始めた当初は夜中に送っては迷惑かなどと考えていたが、最近は日付が変わっても特に気にせず送っている。彼女からの返信が夜中に来ることもあるし、むしろ夜中の方が返信が早い傾向もある。私より遥かにSNSを使いこなしている佐々木曰く、日中は皆忙しいし、LINEでの会話が盛り上がるのはむしろ深夜なのだそうだ。社会人ならば尚更である。

 それに、日中ではなかなかできないようなディープな会話も、深夜なら――と、佐々木はもっと直接的な表現をしていたが。

 いや何もそれを期待しているわけではない。私は彼女にレビューへの感謝を伝えたかったのである。


『こんばんは。レビューを頂いていたことに先程気付きました。本当にありがとうございます。レビューをもらったのは初めてです』


 とりあえずこのように送信してみた。だが、この文面だけで私の興奮が伝わっているだろうか。まだどこか事務的な印象を受けるかもしれない。しかしどうすればこれ以上に気持ちを伝えられるだろう。絵文字やスタンプを使えばアクセントにはなるかもしれないが、その反面軽く、ふざけているような印象を持たれる可能性も拭えない。それは私の本意ではなかった。

 言葉は意思や思考を伝える上では極めて便利なものだが、例えばこのように瞬間的に感情を届けたい場合にもどかしさを感じる。言葉は万能だが、言葉だけでは不十分な場面はたしかに存在すると思う。頻繁にLINEを交換するようになって距離は縮まったが、それでもまだ不便はあるものだ。


 私は無意識のうちに、トーク画面右上にあるアイコンを見つめていた。電話の受話器を模した、通話のアイコンである。

 相手の電話番号を知らなくてもLINEで繋がっていれば通話できる、LINEの機能の一つだ。つまり私がこのアイコンをタップして、サカナがそれを許可すれば、それだけで通話が行える。私の声で感謝の気持ちを伝えることができるのだ。その環境は既に整えられている。

 だが、通話となると心理的障壁も大きいのではないか。私の方は声を聞かれても何ら問題はないが、相手は異性なのだ。突然通話したいなどと言い出したら怪訝に思われるかもしれない。それに今は深夜。迷惑の度合いはトークの比ではないだろう。


 私はそのままスマートフォンを置き、パソコンの執筆フォームを立ち上げた。私は物書きである。彼女の期待に応えられるような作品を残すことが、何よりの恩返しになるはずだ。

 しかし、次の構想がまだ練り上がっていなかったせいもあり、その夜は結局一文字も書くことができなかった。

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