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 西暦2020年、令和二年の一月一日、零時零分。つまり年が明けた瞬間に、私は新年一作目の短編を『小説を書こう!』のサイト上に投稿した。

 タイトルは『ポジティヴ・ディストピア』。ネガティヴな発言が罪に問われるようになった世界を描いた5000字ほどの短編である。今、世間はポジティヴで前向きなメッセージで溢れている。歌も映画も小説も、明るい気分になれる、前向きになれる、ほっこりする、楽しくて心温まる作品ばかり。まるでネガティヴな思考が忌むべきものであるかの如き風潮である。このままではいずれネガティヴな思想や発言が罰せられる時代が到来するのではないか――そんな危機感を自分なりにシニカルに表現してみたいと考えた。

 構成としては、特定の主人公を置かず大衆心理の滑稽さを三人称で俯瞰するタイプの物語だ。アイディア自体は以前から漠然と持っていたが、執筆を始めたのは30日の仕事納めより帰宅してから。31日の昼に目を覚まし、雑事を済ませた後、午後に一気に書き上げた。一日で5000字も書けたのは初めてかもしれない。このところ仕事の疲れで全く書けない日が続いた反動だろうか。締め切りに追われるプロの小説家ならもっと安定したペースで書けるのかもしれないが、今の私にはこれが限界だろう。それでも自分なりの執筆字数最高記録を更新できたので、2019年の書き納めとしてはこの上ない成果だと言える。


 私の場合、新しい作品が書き上がってもすぐに『小説を書こう!』に投稿して公開はせず、公募に出す機会のためにストックしておくことが多い。今回の『ポジティヴ・ディストピア』をすぐにサイトに投稿したのは、本作が公募に出すにはあまり適さない習作に近い短編であるという点もあるが、最大の理由は、早く公開して感想を聞きたかったからだ。

 これは私にとって初めての感覚だった。今まで反応を求めて『小説を書こう!』に投稿したことなど一度もない。PV等のチェックはするが、どうせゼロか一桁だし、感想やブックマークはほぼ付かない。小説投稿サイトというよりむしろSNSのような使われ方をしているこのサイトにおいて、クラスタを持たない私が反応を期待しても無駄だと思っていた。私にとって読者とは、気ままに飛んで来てはすぐにどこかへ去って行く、蝶や蜻蛉のような存在だったのだ。

 しかし今は違う。一人の読者と交流を持った私は、読者を明確に人間として意識するようになった。読んでくれる人がいる。感想もくれるかもしれない。そう思うと、一刻も早くこの作品を公開したい衝動に駆られたのだ。


 投稿直後のPVは0だったが、これは想定の範囲内だ。『小説を書こう!』には予約投稿という機能があり、何月何日の何時に投稿したいと予め設定しておけば、その日時にユーザーが操作しなくても自動で作品が公開される。予約投稿の間隔は一時間刻みであり、予約投稿された作品は0分に一斉に投稿される仕様になっている。時刻が切り替わるタイミングで投稿すると、予約投稿された大量の作品に埋もれてしまい新規の読者に読まれる可能性は極めて低くなる。新年を迎えたタイミングということで、競争率はさらに高いはず。普段から一桁PVが当たり前の私の作品が0PVになるのは必然と言ってもいいだろう。だが、今の私には確実に一人、読んでくれる人がいる。

 彼女はどんな感想を持つだろうか。早く読んで欲しいとは思うが、催促するのはさすがに気が引ける。でも早く感想が聞きたい。期待と不安の入り混じった気持ちでスマートフォンを眺めていると、階下から私を呼ぶ声がした。


「和幸~、蕎麦できたよ~」


 東京から帰省してきた姉の幸絵(さちえ)である。

 一階に降りダイニングに入ると、既に両親はテーブルについており、テーブルの上では四つ並んだどんぶりが湯気を立てていた。姉が作った年越しそばである。普段日付が変わる前に寝ている両親はとても眠そうな顔をしている。紅白は寝落ちせずに最後まで観られたんだろうか。


「ごめんねえ、ほんとは年が明ける前にって思ってたんだけどさ、色々手間取っちゃって」


 台所に立つ姉が苦笑しながら、肘まで捲っていたトレーナーの袖を下ろした。こっちにいた頃はよく母の家事や料理を手伝っていたが、東京ではあまり自炊をしていないらしい。久しぶりに料理をして戸惑ったのかもしれない。いいよ、とだけ答えて私も席に着いた。

 市販の麺つゆを薄めただけの汁に、若干茹ですぎた感のある生蕎麦。おそらく近所のスーパーで買って来たものだろう。何の変哲もない普通の蕎麦である。


「あけましておめでとう」

「うん、あけおめ」


 簡単に挨拶を済ませてから、私は蕎麦を啜った。茹でたての蕎麦は温かかった。

 両親は蕎麦を食べるとすぐに寝支度に入り、食卓には私と姉だけが残された。そういえば、この年末はまだ姉とほとんど話をしていない。姉が帰ってきたのは昨日だが、私は昨日も夜中まで仕事だったし、今日は私が昼まで爆睡、姉は午後から両親と一緒に買い出しに出ていたからだ。


「和幸、最近どう?」

「ん? いや、普通」

「仕事とか」

「まあ昨日までは普通にクソ忙しかった。正月明けたら暇になると思うけど」

「そっか~。彼女とかできた?」

「いや」

「職場にバイトの女の子とかいないの? 前行った時、結構かわいい子いるじゃんと思ったけど」

「……あぁ、佐藤さんのことか。別に、仕事の話しかせんよ。そんなもんじゃない? 普通」

「そっか」

「そっちは? 姉さんこそ、向こうで彼氏とかできたの」


 すると、姉は不意に遠い目をして言った。


「まあ、色々ね」


 その時の姉は、うちで暮らしていた頃には見せたことがない顔をしていた。何か言い様のない寂しさが浮かんでいるように見えたのだ。田舎者の私でも一応何度か東京に行ったことはあるが、都会の人間は何故か皆寂しそうに見えたのがぼんやりと印象に残っている。

 姉はそれっきり何も言わなかった。家族とはいえ、口を濁したことを敢えて尋ねるほど私はデリカシーのない人間ではないつもりだ。ただ、子供の頃からこの家で一緒に育ってきた姉がまた一歩遠い存在になってしまったように思えて、私も一抹の寂しさを覚えた。




 翌朝、元日。私たちは家族揃って市内の神社へ初詣に出かけた。

 神社に来るのは去年の正月以来。初詣以外に訪れる機会はない。例年なら境内の地面は分厚い氷に覆われスケートリンクのように滑りやすくなっているが、今年は記録的な暖冬のため地面が部分的にしか凍っておらず、非常に歩きやすかった。相変わらず雪も少なく、スタッドレスタイヤが勿体なく感じてしまうほどに道路は渇いている。正月に道路のアスファルトが見えたことは、少なくとも私の記憶にはない。

 境内にある三か所の社に参拝した後、私たちは家族揃っておみくじを引いた。両親はどちらも末吉で、姉は小吉、私はなんと大吉だった。年に一度しか引かないおみくじで大吉を引くのは初めてである。私はその大吉のおみくじをスマートフォンのカメラに収めた。


「何? 記念に撮ってんの? 珍しい」


 と手元を覗き込む姉。


「うん、まあ」


 私はそう答えたが、ただの記念ではない。本当の目的は、この画像をサカナに見せることだった。



 初詣を終えた私たちは、特にどこかに寄ることもなくそのまま帰路に就いた。私が午後から仕込みのために職場に向かわなければならない点も理由の一つではあるが、どこかに行くにしても行先はせいぜいイオンぐらい。子供の頃はそれが楽しみだったし両親も必ず連れて行ってくれたが、さすがにもうイオンを喜ぶ年ではないし、正月だからと張り切って行く理由もないというのが本音である。

 食料の買い出しは昨日姉たちが済ませているし、イオンにはいつでも行ける。正月の準備の疲れもあるし、わざわざ忙しい今日を選ぶ必要はない。この感覚を、私たちの地方の方言では『たいぎ』と言う。

 両親によると、昔は市内に何軒もスーパーがあって、正月ともなればスーパーをはしごして買い物するのが楽しみだったそうだ。しかしそのスーパーも全て潰れるか撤退し、残されたのが郊外のイオンのみというわけ。


 父が運転する帰りの車内で、


「昔は福袋とかよく買ったけどねえ」


 母がぽつりとそう漏らした。



 帰宅し自分の部屋に戻った私は、上着を脱ぎ捨てながらいそいそとスマートフォンを確認した。まだサカナからのLINEは来ていない。昨日の夕方に私が送ったメッセージにも既読はついていなかった。まあ、年末年始だから彼女も何かと忙しいのだろう。

 ラーメンの画像を送られて以降、私たちは時折、その日に食べた物や街並、綺麗な空など日常の風景をスマートフォンのカメラに収めて送り合うようになっていた。機種変してから約一年。今までほとんど空っぽだった画像フォルダに、たった数日間で何枚もの写真が保存されている。私が自分で撮った画像もあれば、サカナが送ってきた画像を保存したものもある。


 さて、ひとまず彼女に新年の挨拶をしておくとして、新作を投稿したと報告するのは、まるで早く読んで感想をくれと催促しているような感じがする。だが、黙っているとそれはそれでよそよそしく思われるだろうか。いや、やっぱり忙しいのに急かすようなことを書くのは良くないだろう。新年の挨拶なのだからシンプルでいい。

 私は拙いタッチタイピングでごくありふれた一言を入力し、大吉のおみくじの画像を添えた。


『あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。ところで本日初詣のついでにおみくじを引いたのですが、なんと大吉でした』

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― 新着の感想 ―
[良い点]  毎回楽しく拝読しています。 「読者とは、気ままに飛んで来てはすぐにどこかへ去って行く、蝶や蜻蛉のような存在」とは言い得て妙ですね(詩人ですね!)。読んでもらった形跡があるのに、感想まで…
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