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 笑いとは、実は知的なメカニズムによって起こるものである。


 笑いに必要なのは意外性だ。日常生活を送る上で、人間は自らの意識の中に常識を構築している。そして、常識に基づいてあらゆる事象に対してある程度の予測を立て、その予測から外れた現象や発言を意外だと認識する。意外という認識にも様々な種類があり、例えば身の危険を感じる類のものであれば恐怖を覚えるし、自らの倫理観に反するものであれば怒りを覚えるだろう。

 その中でも、『笑い』はよりポジティブな意味で予想を裏切られた場合に起こる反応だ。笑いにも色々あり、単に奇抜な行動を取って笑いを取るものもあれば、意図的に受け手の意識を誘導して笑いを産み出すものもある。前者の代表は一発ギャグであり、後者は漫才やネタと呼ばれるものであったりする。より広義には冷笑や嘲笑なども笑いの一種として分類され得るが、ひとまず意味合いの異なる別種のものとしておく。


 笑いは知的なメカニズムによって起こるものと私は述べたが、それはもちろん何のヒネリもなくただ奇抜な動きや奇声を上げるだけの一発ギャグを指しているわけではない。よく練り上げられたネタや漫才は、笑いの一言だけでは済ませられないほど巧みに聞き手の心をコントロールしている。その手法は手品や叙述トリックのミステリにも通ずるものがあると私は考える。

 心を掴むという点では、小説もお笑いから学ぶべきところは多いと思う。作家は作品のテーマに沿って読者の心を掴み、心に訴えかけなければならない。この一文、この登場人物に対して、読者はどういう感情を抱くか。物語をどう進めれば、読者の心を動かすことができるのか。それは小説に限らずあらゆる創作物の肝である。毒にも薬にもならないハウツーエッセイなどよりは、お笑いのネタの構成を研究したほうがよほど作品の質が上がっていくだろう。その意味では、お笑い芸人が芥川賞を受賞したことは不思議でも何でもないと言えるかもしれない。


 だが、笑いの世界にも近年問題が生じている。それは最近の問題点というよりは、元々お笑いを含むバラエティが抱えていた根本的な問題が、時代と価値観の変化によって顕在化したと解釈した方が正しいだろう。問題とは、容姿をいじることの是非である。

 誤解を恐れずに言えば、お笑い芸人は容姿の優れない者が多い傾向があるように思う。中にはモデルや俳優顔負けのルックスを持つ芸人もいるが、どちらかと言えば俗に不細工と称されるタイプが多い。そしてほぼ例外なく他人に容姿をいじられ、また自らもネタにする。この傾向は女芸人に特に強いように思う。

 顔が不細工である。太っている。頭がハゲている。あごがしゃくれている。動物に似ている。容姿や顔の造形は一目見ればわかる類のものなので、これは意外性を突いた笑いではない。強いて言えば嘲笑だろうか。あるいは、常識的な倫理観があれば思っても言わないようなことを敢えて口にするという意外性か。

 イジる、という行為と、いじめる、という行為は、字面の類似以上に紙一重のものだと私は考える。例えば誰かが何か些細な失敗をしたりドジを踏んだとき、そのまま周りが静まり返ってしまったら本人が気まずくなってしまうから、笑って空気を和ませる。それは失敗をした本人も気が楽になるし、イジりとして許容される範囲と言えるかもしれない。だが、生まれつき容姿が醜いことは本人の失敗だろうか。他の国で公共の場において他人の容姿を豚や猿に喩えたら顰蹙を買うどころか、公人ならば進退問題にまで発展するはずである。

 お笑い芸人はそれを職業として行っているから許されるという理屈もあるだろう。しかし職業として成り立つものなら何でも正当化され得るのかは一考の余地があるはずだ。軍隊は職業の一環として人を殺す場合がある。しかし本来殺人は犯罪だ。軍隊であっても、戦争などのごく限られた状況でしか殺人を許されない。誰もが戦争のない平和な世界を望んでいるだろう。軍隊の存在はいわば必要悪なのだ。では、お笑い芸人の容姿をいじることは必要悪か。誰がそれを必要としているのか。

 ただし昨今、セクシャルハラスメントに対する風当たりが強くなった影響もあるのか、バラエティ番組などで特に女性の容姿を表立っていじることは以前より少なくなったように感じる。男性芸人のハゲやデブや不細工は未だにネタにされるが、おそらくこちらも今後少しずつ減っていくだろう。それ自体は良いことなのだが、容姿をいじられなくなっても尚、芸人を取り巻く事情は大きく変わっていない。女性芸人の肥満率は日本の一般的な成人女性のそれを大きく上回り、もしかしたら肥満が社会問題となっている米国すら超えているかもしれない。私はそこに欺瞞を見る。


 職場の休憩室の椅子にどっしりと腰掛け、私は黙考していた。厨房からは絶え間ない食洗器の音。それに混じって、中野渡くんと客の声が聞こえてくる。ついに年末年始の忘年会シーズンに突入し、飲食店の経営者にとっては稼ぎ時、従業員にとっては地獄の季節が始まった。夕方の開店時から客が途絶えることはなく、夕飯時を過ぎれば閉店時間までほぼ満席が続く。飲み会が終わる時間帯には空席待ちが発生する日もある。

 年末年始等の繁忙期はもう決まった時間に休憩をとることは不可能で、客が少なくなったタイミングに急いでまかないをかきこむしかない。現在時刻は午後十時過ぎ、ようやく満席が解消されたため私が休憩に入り厨房は中野渡くん一人で回しているが、もし突然団体客が殺到してどうにもならなくなったら無理せず私を呼ぶように言ってある。中野渡くんはバイト歴約四か月。佐藤さんほどベテランではないが真面目で責任感が強く、よほどのことがない限り私にヘルプを求めないだろう。時々様子を見に行った方がいいかもしれない。一時間きっかり休憩をとるのは難しい。

 この状況は年末年始の休業を挟んだ三が日まで続く。年末年始の休みと言っても大晦日と元日の二日間だけであり、元日には仕込みのため短時間ではあるが出勤しなければならない。つまり休みは実質一日半しかないのだ。三が日を過ぎればまた暇になるとはいえ、それまでのたった二週間足らずの時間が果てしなく遠く感じられる。年末年始はキツすぎる。創作のことを考える余裕は、心身共に全くない。


 そんな私にとって、サカナとのLINEが今唯一の楽しみであり、心のオアシスだ。

 彼女からは一日に数回LINEが来る。私は可及的速やかに返信を送る。仕事や連絡以外にLINEやメールを使ったことのない私にとって、通知を待つという感覚はとても新鮮なものである。

 好きな本や作家の話は『小説を書こう!』のメッセージで一通り済んでいたし、LINEで連絡が取りやすくなったところで肝心の話題が尽きてしまわないかと不安はあったが、意外にも話は途切れなかった。話題が小説から日常生活へと移ったからだ。最初は当たり障りのない天気の話などをしていたが、そこからお互いの住んでいる場所や生活へと話が広がっていった。

 ここ数日でサカナについてわかったことがいくつかある。まず、彼女は東京生まれで東京在住だということ。そして、彼女も社会人だということだ。あまり深く詮索はしていないが、どうやら接客業らしい。飲食店も当然接客業なので、一応私たちの共通点だと言える。私と同様高卒で働いているのか、それとも大学を卒業して間もない新社会人なのかは少々気になったが、女性に年齢を尋ねるのが極めて失礼な行為であることぐらいはコミュ障の私でも知っている。まあその辺りの情報も、今後の会話で少しずつわかってくるはずだ。私もまだ彼女に自分がラーメン屋の店員だとは伝えていないが、いずれ伝えることになるだろう。


 まかないのラーメンをすすりながらスマートフォンを手に取ると、LINEの通知が一件あった。最近は芸能人や企業のオフィシャルアカウントの類の通知も全て切ってあるし、この時間帯に仕事のグループトークも考えにくい。

 相手はやはりサカナだった。メッセージの内容は、


『今日は仕事帰りに職場の同僚とラーメンを食べました』


 という他愛のないものである。彼女の職場は基本的に朝から夕方、もしくは昼から夜までのシフトらしい。まあそれが普通の労働環境だろう。私のように昼前から深夜まで拘束される職場なんて、きっと大都会の東京には存在しないのだ。

 そんなことよりも、刮目すべきは今回のLINEには画像が添付されていることだった。絵文字でもスタンプでもなく、画像である。それは彼女が食べたというラーメンの画像だった。

 見たところ、標準的な醤油ラーメンである。具材はチャーシュー、海苔、半切りのゆで卵がそれぞれ一つずつ、脇にメンマ、そして全体に輪切りのネギが散らしてある。麺は細めのストレート麺だろうか。器には店名が印字されていて、全国的に有名なチェーン店のものだが、市内には存在しない。このチェーン店がもし市内に出店したら私の職場も相当客足を奪われるだろうが、まあそんな心配は無用だろう。なにしろセブンイレブンが出店したのもつい最近のことなのだ。


 ラーメンの観察を終えた私は、次に画面の左下に注目した。サカナのものと思しき左手の白く細い指先が、わずかに画面に映り込んでいる。ネイルなどはしていない。辛うじて第二関節までが確認できる程度だったので指輪の有無まではわからないが、女性的で白く綺麗な指先。男の手には見えない。別に疑っていたわけではないが、彼女が女性であると改めて画像で確認できたことに、私は内心安堵していた。

 それと同時に、私は不可解な胸の高鳴りを覚えてもいた。これまで文字と文章の存在でしかなかったサカナが、急に生身の人間として私に迫ってくるような気がした。そして彼女の左手の指先というごく限られた情報から、私はサカナの人物像について推察を始めた。少なくともギャルではなさそうだ。社会人で接客業なら、イメージはうちのバイトの佐藤さんに近い感じだろうか。

 一口に接客業と言っても、分野は多岐にわたる。ショップの店員、受付業務、飲食業、夜の仕事――はさすがに考えにくいが、職種によって求められるTPOは異なるはずだ。私の職場では調理中三角巾とマスクの着用が義務付けられているため佐藤さんはあまり化粧をして来ないが、一般的に接客業の女性は化粧をしている。彼女はどうなのだろう。


 そんなことを考えているうちに、休憩の一時間はあっという間に過ぎてしまった。

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