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挿絵(By みてみん)

 この街には電車がない。

 隣町に繋がる古びた私鉄が数年前まではあったのだが、地権者とのトラブルの末に廃線になってしまった。残された公共交通機関は一時間に一本あるか否かのバスとタクシーだけ。電車を利用したければ隣町のローカル線の駅まで行くか、あるいはまた別の隣町にある新幹線の駅に行かなければならず、いずれも車で三十分ほどかかる。

 本州最北端にある青森県に『市』とつく自治体はいくつかあるが、その中で駅や電車が通っていないのはわが市だけだ。観光資源としてB級グルメに力を入れたりしているが、食べに来るために高い金と時間をかけて不便な公共交通機関を利用しなければならない時点で最早B級とは呼べないだろう。市の中央商店街には店ではなくシャッターが並び、もともと多くない人口は年々減り続けている。

 栄えているわけでもなく、逆手にとって売りにできるほど田舎でもない。

 この街は詰んでいるのだ。


 日付が変わった頃、白い息を吐きながら職場を出た私は、凍てつくような寒さに身を縮めながら、駐車場に停めてある愛車――中古で買った十年ものの軽自動車へと急ぐ。

 私の職場は市の中心部及び中央商店街に店を構えるラーメン屋である。高校時代にアルバイトしていた店に卒業後そのまま正社員、副店長として採用され、今年で四年目。大学まで行かせてやる金はないと親からずっと言われていたし、緩やかに衰退してゆくこの街には働き口もそう多くない。ラーメン屋の仕事が好きなわけでは全くないのだが、学歴も特殊技能もない私が面倒な就職活動を経ずにすんなり職に就けたのは、それなりに幸運だったのかもしれない。


 市の中心部だというのに、午前零時を過ぎたばかりの今、街灯以上に明るいものは24時間営業のコンビニぐらいしか存在しない。都会では街が眠るには早すぎる時間なのだろうが、田舎はこんなものである。街中を歩く者も皆無で、いたとしても酔っ払い。静まり返った市の中央商店街は、酔っ払いの叫び声がとてもよく響く。

 秋から冬へ、冷え込みが一気に厳しくなる師走上旬のこの季節。ラーメン屋としては一年の中でも客足が渋り始める時期だ。特に平日の場合、昼間はそれなりに賑わうが、夜は数えられるほどしか客がこないこともザラである。ひたひたと迫りくる忘年会シーズン、そして年末年始という地獄に怯えつつも、今はまさに嵐の前の静けさといったところか。

 年末年始を過ぎてしまえば、あとは春が訪れるまで、客はさらに減少する。凍結した路面で車を運転し、積もった雪を漕いでまで、わざわざラーメンを食べに来る奇特な者は少ない。青森県は世帯当たりのカップラーメン消費量が日本一だそうだが、つまりそういう事情である。


 日本一といえば、青森県は数年前に日本一低い賃金で日本一長く働き日本一早く死ぬ、不名誉なトリプルクラウンを達成したことでも有名だ。やっとの思いでマイカーに辿り着いた私は、運転席の冷たいシートにどっしりと腰掛け、車のエンジンをかけた。

 安い中古の軽自動車にエンジンスターターなどという先進的なテクノロジーは搭載されておらず、冬場は車に乗り込むたびにハンドルの冷たさに震えることになる。冬場ということもあろうが、最近エンジンのかかり具合も悪くなった。高校卒業、免許取得以来ずっと世話になった車だが、そろそろ買い替えの時期に差し掛かってきたのかもしれない。


 内陸部に位置するこの街は、日本海側と比べれば雪こそ少ないが、県内でも指折りの寒さを誇る。平年なら年末年始ともなれば幹線道路もアイスバーンとなり30、40キロ進行が当たり前になるが、今はまだ道路も乾いている。赤や黄色のまま明滅する信号の下を潜り、まだ暖まらないエンジンを唸らせて、私は家路を急いだ。


 街はずれみたいな町の、そのまたさらに町はずれ、市郊外のとある集落の中に、私の暮らす家はある。先祖代々広い農地を受け継いできた農家だが、父は半農、家計における農業の割合は年々減少しているらしい――と、まるで他人事のように語るのは、私が家の生業である農業にあまり関与していないからだ。

 職場から家までは車で二十分ほど。すれ違う車も少なく、次第に街灯すらもなくなり、鬱蒼とした森の中に引かれた細く曲がりくねる道路を、ヘッドライトの二筋の光だけを頼りに走る。集落に着いても明かりの漏れている家はほとんどない。それは集落の住民の大半が高齢者という事情もあるが、そもそもの気質が農民だから、基本的に皆早寝早起きである。


 私はその一角にある二階建ての一軒家の前に車を停め、真っ暗な家の玄関の鍵を開けた。

 我が家は両親との三人暮らしなのだが、両親はいつも日付が変わる前に就寝するため、迎えてくれる者はいない。祖父母は私が高校生の頃相次いで病死。二つ年上の姉は上京し、今は東京で働いている。年末年始やお盆には帰ってくるのだが、一年ぶりに会う姉は毎年少しずつ、しかし確実に違う世界の人間へと変わっているように感じられる。都会の空気というのか、時間の流れが我々とは少しずれているように思えるのだ。


 踏むたびに僅かに軋む階段を上り、私は二階の自室に入った。

 小学生に上がるときに買い与えられた学習机、壁一面を覆う書架と、それを埋め尽くす大量の文庫本。テレビ台と24インチの液晶テレビ、その下のラックに収められたPS4。流行からは外れたミュージシャンのCDが詰まったCDラック。低いシングルベッド。小さなコタツと、その上に置かれたノートパソコン。部屋に荷物を放り出し、軽くシャワーを浴びてまた部屋に戻ってきた私は、コタツに電源を入れて足を突っ込み、ノートパソコンを立ち上げた。


 子供の頃から、私のほぼ唯一の趣味は読書だった。しかし、高校を卒業したあたりから、そこにもう一つ新たな趣味ができた。それは、小説を書くことである。

 休み時間になると図書室に入り浸り、目に映る本全てを手に取って読み耽っていた小学生時代。好きなジャンルや作家が固まり始めた中学生時代。そして作品を評価するようになった高校生時代。バイト代で安いノートパソコンを手に入れたのとほぼ同時に、私は自分なりに、自分が読みたいが世の中に存在しない作品を自分で書きたいと思うようになり、まずは掌編レベルの短いものから書き始めた。


 自分で自分の思い描いた世界、人物を自由に創造することができる。

 それは想像以上に刺激的な体験だった。その感動を求めて、私は今もキーボードを叩き続けている。社畜として無為に日常生活を送っている自分より、キーボードを叩いている自分、創作をしている自分――いや、むしろ創作の中の世界こそが現実であるという錯覚を起こすことも、最近では珍しくない。


 最初からまともな文章が書けたわけではない。始めの二年ほどは自分でもとても読み返せないような駄作ばかりだった。それでも諦めずに書き続けたことで、我ながらそれなりに『作品』と呼べるものに仕上げられるようになってきた。

 自分で納得できるものが書けるようになると、次はそれを他者の評価に委ねてみたくなり、私は自分の作品を文学賞の公募に出すようになった。短、中編を中心に今まで十作ほどの作品を公募に送ってきたが、結果は残念ながらすべて一次選考で落選。作家を志す者は星の数ほどいるのだから、やはりそう簡単にはいかない。


 そう、私は世間で『ワナビ』と呼ばれている存在である。いや結果としてそうなっていると言うべきか。一刻も早くプロの作家となり、小説で生計を立てたい、と明確なビジョンを持っているわけではないし、そのために流行に乗り、愚にもつかない作品もどきの商品を量産するつもりもない。私は私が必要だと思うものを書き、それがいつか日本文学の歴史の一部になると信念を持って小説を書いている。だが公募に出している時点で私は『ワナビ』となる。俗な表現だと感じるが、それは事実である。


 公募に落選した作品をそのまま捨てるのも惜しいと感じた私は、それをネット上の小説投稿サイトで公開してみることにした。

 サイト名は『小説を書こう!』。極めて安直なサイト名ではあるが、国内最大規模の小説投稿サイトだ。公募の際には本名のままで応募していたが、さすがにネット上に本名を晒して作品を公開する気にはなれず、ペンネームを考えなければならなくなった。これには一つの作品を執筆するのと同じだけの労力を要したが、私は初めてのペンネームを『遠田永久(えんたながひさ)』として、現在に至るまで小説の執筆と公開を続けている。ペンネームの由来は、自分の小説が永遠に読み継がれるような作品になってほしいという、まあ、祈りのようなものである。


 ノートパソコンの起動が終わり、いつものようにWordとChromeを立ち上げて『小説を書こう!』のマイページを開いた私は、お知らせ欄の下に見慣れぬ赤文字の一文を発見し、思わず瞠目した。


『感想が書かれました』

冒頭の画像はあっきコタロウさんに描いて頂きました。

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