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ぴっちぃのソーラーシステム大冒険  作者: 溟翠
プロローグ☆ぴっちぃモノローグ
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ぴっちぃのぬいぐるみ人生

 いまここにいるぼくは実体ではない。


 ぼくの実体がどこにあるのか、どうなっているのか、誰も知らない。ぼくにもわからない。もう何年ものあいだ、ぼくの魂はひとりぼっちだ。


 ママにはもうぼくの存在は必要ではないし、ぼくのように実体の所在がわからなくなっているものは、じじさまたちのいるあの世へも入ることができない。

  ぼくの魂はここにいてママを見つめているのに、ママにはぼくの姿が見えないのだ。


 ぼくらの種族は昔から、人間の代わりに打たれたり埋められたり流されたりして使われてきた。そのためにぼくらは創造されたともいえる。

 やがて単なる身代わりとしてだけでなく、愛玩用のものも作られるようになり、人間の子どもに抱っこされると、かれらの喜びや悲しみを理解できるものも現われた。

 そうするうちにだんだんと、ぼくらは人間の優しさや残酷さ、それから哀しさを知った。


 どのようなものとして製造されたにせよ、息が吹きかけられることによって、ぼくらはもうひとりのかれらとして、もうひとつの世界の中で働き、かれらのもうひとつの運命を担うことに変わりはない。



 ひとりぼっちになる前のぼくは長いあいだ、ママの人生と一緒に旅をしてきた。

 はじめにママはぼくに名前をくれた。


 ぴっちぃ


 ママが小さいころ、当時大学生だった従姉妹のおねえちゃんにピンク色のクマのぬいぐるみを買ってもらった。これがぼくだ。おねえちゃんは色違いの同じぬいぐるみを買った。

 体長約二五センチ。前足は丸くて短くて、肩のところでまわるようにできている。後足はもっと丸くて短くて、お尻をついてすわっている形で、豆つぶみたいだけどしっぽもいちおうついている。


 ピンク色のぼくは、『ぴんくだからぴっちぃ』なのだ。

 おねえちゃんのはたしか茶色だったけど、ママによって『はいいろだからはっぴぃ』と名づけられてしまった。ママは色の名前を間違えた。

 でもあいつは『ちゃいろのちゃっぴぃ』よりも『はっぴぃ』でよかったと思う。なんか幸せそうな名前だし。


 ママはぼくを決して呼び捨てにしなかった。いつも『ぴっちぃちゃん』と呼んでくれてた。よく抱っこしてもらったし、大切に扱ってもらった。

 乳歯の抜けたお口をぱかっと開けてぼくに笑いかけてくれるママの顔がぼくは一番好きだった。そして、きれいな声で話しかけてくれるのだ。

 自分の存在がママを笑顔にできることが嬉しくて、この家に来てほんとによかったと思える瞬間だった。

 ママが学校から帰ってくると、ぼくは玄関へ走り出てママに飛びつき、お帰りなさいのすりすりをした。心のなかで。


 ママが大きくなってもぼくに対する態度は変わらなかった。

 いつも抱っこして話しかけてくれるから、ぼくにはママの思考まで手に取るように解るようになった。


 ママの母さんもぼくを赤ちゃんのように可愛がってくれて、よだれかけも縫ってもらった。

 ママの父さんは朴訥な人ではあったが、不器用なりにぼくを愛してくれていた。大きな手でぼくの背中をわしづかみにして床を這わせ、車さんごっこをしてくれたこともある。このときはたしか、車の内輪差を説明するために、たまたま近くにいたぼくをつかんで動かしたというだけなのだが、ぼくは、そんな使い方をする父さんがなんだか愉快で、嬉しかったことを覚えている。


 こんなふうに言うと平和な家庭のように思えるかもしれないが、実際はちょっと複雑な家庭で、ママの心は次第に大きな不安や悩みを抱えるようになっていた。


 夜遅く、ママが泣きながら外へ飛び出したことがある。

 絶対家には帰らないつもりだったのに、荷物をなにも持たず、ぼくだけを抱っこしていた。

 ぼくをぎゅっと抱き締めて泣いていたママ。そのころはまだ本当のママじゃなくて、ぼくも名前で呼んでたけど。

 ぼくはママの名前を呼びながら一生懸命慰めてあげた。いい子いい子してあげた。心のなかで。



 ぼくの実体がいつ頃から行方不明なのか、おそらくママは覚えていないだろう。ママの子どもたちはぼくを知らないはずだ。パパはひょっとしたらぼくの姿と名前くらいは覚えているかもしれない。

 実体と魂がいつの間に分離してしまったのか、ぼくにもよくわからないのだ。

 自分ではずっとママのそばにいると思っていたのだけれど、気がついたら実体がなくなり、魂がひとりぼっちになっていた。


 たとえ魂だけになってもこの家にいられるだけでいいんだ、とぼくは自分に言い聞かせ、淋しくても我慢していた。


 でも、触ってもらえなくなると、まずママの考えていることがわからなくなってくる。

 いちおう長年連れ添ってきた仲だけあって、具体的内容はわからなくても、嬉しいとか悲しいとかいうおおまかな気持ちくらいは漠然とではあるが伝わり、それがかえってもどかしく、辛かった。


 この数年の間に、ママは身体的にも精神的にもずいぶん衰えてきた。出かける用事がなければ寝てばかりいる。家の中だってきちんと片付いていることがない。

 そのうちにとうとう、ママの言葉も感情も、まったくぼくに理解できなくなってしまった。

 それはひょっとしたらママの心が何も感じなくなってしまったからかもしれないと思った。心の中がぽっかり虚ろになっているみたいだ。

 ぼくのほうは魂だけになってしまったけれど、ママのほうは魂が抜けてしまったかのようだ。


 それとともに、妙なことが起こるようになった。


 ぼくの心のなかに、あるイメージが、ぼんやりとした映像を伴って顕われるのだ。

 それは、ぼく自身の無意識から生まれたものではなく、ママの心に浮かんだ映像であるように思えた。

 喜怒哀楽といった感情ではなく、なぜそんな映像がママのなかに涌いてきて、なぜそれがぼくの心にダイレクトに投影されてくるのか、それが何を意味するのか、よくわからない。


 それは明瞭な形ではなかった。なんだか知恵の輪か、ちょうちょか、左右非対称だが無限大記号のようでもある。

 そんな輪っかのようにも見える映像を伴って、そのイメージは顕われるのだ。


 それが顕われるたびに、なぜかぼくは、どこかへ飛んでいってしまったママの魂に呼ばれているような心地になる。

 ママの魂はどこか暗闇のなかで迷子になっちゃったんだろうか? 心細くて泣いてるかもしれない。

 その輪っかのヴィジョンは、ママの魂から送られてくる遭難信号であるようにも思える。


 ママがぼくの実体を見つけ出して抱っこしてくれることは、もう二度とないだろう。

 けれど、魂だけになっても、ぼくはママの魂に寄り添っていたかった。

 ぼくは決めた。

「ママの魂を取り戻してあげよう」

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