08 覚醒
「教えてやるよ。実はな、キサマが自力でここまで来たのは嬉しい誤算だったのさ。本来なら、キサマを電話で呼び出す予定だったんだ」
イチの背中に乗りながら計画の一端を自慢げに語る狩村先生。
その存在を完全に無視し、イチはかつてない焦りに駆られていた。
『キサマの大切なものを壊す』――その宣告が、頭の中でこだまする。
マズい。
マズいマズいマズいマズい――!
最悪の予想がイチの脳を焼き尽くしていた。
こいつらならやりかねない。いや、必ずやる。
そう確信させるだけの狂気が、今の西村たちにはあった。
そうだ。いままでも、今でも、どこまでも。
こいつらは無慈悲で、悪辣で、残酷で――
「電話が留守電だったこと、弓田に俺と西村の会話を聞かれたこと。誤算が2つもあっては、さすがに計画の中止も考えたよ」
ぺらぺらと聞いてもいないことをイチの後頭部に向かって話す狩村先生は無視。
イチは周囲を見回し、逆転の一手を模索する。
なにかないか。この状況を逆転できる何か。
狩村先生にうつ伏せに倒され、両手を拘束されてる今、イチ自身は身動きを取ることができない。
ならば他の人は。人でなくても道具は。武器は。
「だが俺には時間が無かった。なぜなら――黒木綾香は、もうすぐ転校しちまうからなぁ……」
狩村先生の話が締めくくりに入っている。
いよいよタイムアップが近いのに、イチはどこを探しても逆転の一手が見つからない。
なにもない。希望が見えない。歯噛みする事しかできない。
「ッ……!!」
弓田美優は気絶したまま動けなくて。
寺内洋介はイチの位置からは見えなくて。
西村唯は――カッターナイフを右手に持ちなおしながら下劣な笑みでイチを見ていて。
日暮慎二は――マイクを握りながらイチを見下ろしてニヤニヤ笑っていて。
丸ノ内竜は――もがくのを止めた綾香を拘束しながら不快に笑っていて。
黒木綾香は――丸ノ内に背後から拘束されたまま、悲しそうな目でイチを見て、
イチと、目が合った。
「――――」
「――――」
その瞬間。
絡み合う視線の中、イチと綾香は目だけでコミュニケーションが成立した。
刹那の間に行われた感情の交換に、千の言葉以上の想いが込められた。
綾香の想いは、謝罪。
イチの返答は、疑問。
――ごめんね。
――どうして?
「西村。もう待たなくていいぞ」
「はぁーい!」
サクッ。
「痛っ」
……。
…………。
……………………。
…………………………………………。
頭が真っ白になったという表現は、今のイチのことを言うのだろう。
事実、イチはなにも考えていなかった。目の前で起きた事象をただの映像としてのみ捉え、それ以外の考察の一切を放棄した。
それほど衝撃的な光景がイチの目に飛び込んできた。現実におきた出来事だと、認めることを心が拒んだ。
西村がカッターナイフで綾香の左目を刺した。
左目の眼球のド真ん中を、ぐっさりと、刺した。
刺した。
否、刺しただけでは済まなかった。
「ああっ……!?」
綾香の短い悲鳴と共に、顔からカッターナイフが抜けていく。
その刃先に、眼球が刺さったままの状態で。
西村はカッターナイフを、眼球ごと綾香の顔から引き抜いたのだ。
「……………………?」
呆然として何も言えないイチ。
対照的に、西村の動作はスムーズだ。
カッターについた眼球を刃先から落として、右足をほんの少しだけ上げると。
ぐちゃり、と。
西村は眼球を踏み潰した。
「…………あ、ああ? え、ああ、」
空白になっていたイチの思考が、綾香の声で回復していって。
「や、やだ、ああ、う、ああああ、」
たった今、西村唯が黒木綾香の左の眼球を踏み潰した光景が、
「ああああ、いや、いやああああああッ!!!」
現実の出来事であると、ついにイチは認めた。
認めたところで――できることなど、何もなかった。
「ぶふっ、ふふふ、あははははは! な~にイチ、その顔! ケッサク!! ツボった、マジでツボった、あはははははは!!」
下品な嘲笑を西村は部屋中に響かせる。
イチは自分が動揺を隠せていないと気付くが、だからと言ってなにかする気にもなれなかった。
もう、綾香の左目は戻らない。
彼女の左目があった場所から流れる血涙が物語る。
事態は完全に取り返しのつかない所まで来てしまった、と。
最早、ハッピーエンドへの道は無い。
絶望がイチを蝕み、動く気力を根こそぎ奪う。
「おいおい、そんなに面白いのか? 羨ましいな、俺の位置からじゃこいつの表情が見えねぇから」
「あはは、ごめんね~狩村先生! あとで写メ送るから許してちょ~!」
「お、いいのか? 悪いな、催促したみたいで」
直後、白い閃光と共に、パシャパシャとシャッター音が連続する。
狩村先生の要望に応え、西村がスマホのカメラ機能でイチを撮影しているのだ。
イチの気分など意にも介さず、ニヤニヤ笑いながら、西村はマナー違反の撮影をくり返していく。
無様だ。
最悪だ。
負け犬だ。
道端に落ちている犬の糞にも劣る。
何一ついい所が無い。
元々、綾香がいじめを受けていて、イチは彼女を助けに来たという経緯だったのに。
イチが放送室に突入してから出来たことといえば、寺内を気絶させたこと、それだけだ。
弓田を巻き込んで傷つけ、綾香の左目をなすすべなく奪われ、イチ自身は身動きを封じられ、挙句の果てには絶望の表情を撮影される醜態まで。
堕ちる所まで堕ちてしまうと、何もかもどうでも良くなる。
そのことを、イチは身をもって思い知った。
齢12歳にして、一生分の絶望を味わう思いだった。
「さあ。こっちも待ちくたびれたし、そろそろお前も最期の時だ」
虚無に溺れるイチの思考を、背に乗る狩村先生の言葉が遮った。
日暮から受け取った金槌で、ついにイチの殺害を実行するようだ。
重い金属の塊が、頭蓋を粉砕する光景が浮かび上がる。
死のイメージがいよいよ現実味を帯びてきて、イチの心が凍っていく。
「遺言なら言ってもいいぞ。聞く気はないけどな」
鼓膜を揺らす狩村先生の声が、ぼんやりと脳裏で反響する。
もうだめだ、終わりだと、全てを諦めかけたとき。
「――む?」
イチは自分の両手が自由になっている事に気づ
「死ね」
* * *
夕暮れ。
波の音。
鳥の囀り。
ヤシの木の揺れ。
浅瀬で止まる白いモーターボート。
砂浜に二人の人間が並んで座っていた。
三十代らしき大人の女性と、6歳頃の男の子。
女性は白を基調とした薄着を着ていて、どことなく清潔感を感じさせる。
一方、男の子の服は砂利と草で汚れだらけ。
女性は微笑み、男の子の頭を優しくなでると、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「母さんはな……いわゆる人間不信って奴でな。
人ってやつをどうしても、信じきれないんだ。
世の中にはいろんな人がいて、いい奴もいれば悪い奴もいる。
父さんみたいに信じていい人だって、探せばちゃんといる。
理屈としては、まあ……。
分かっちゃ、いるんだよ……。
…………けどなぁ。
私は職業柄、知っちまってるんだよ。
世の中、どーッしようもないほど悪い奴が、
うんざりするほど、うんッッざりするほど、
溢れかえっているってさ……。
もし、私の目の届かない所で、
お前が悪い奴に壊されたら、なんて思うと、
母さんは、不安で不安で仕方がないのさ……。
……ま、そんなところだよ。
お前を鍛え上げる、理由はな。
どうだ? くだらない理由で、がっかりしたか?
…………。
…………そうか。
…………。
…………。
…………。
桂一。
いつかお前は、自分が他の人と決定的に違うって知る時がくる。
だけど……たとえお前が何者になろうとも、
お前は私の宝物だよ。
…………。
…………。
生きてくれよ、桂一。
幸せに生きてくれ。
生きてくれ。
生きてくれ
生きて れ
きてく
生きて れ生き れ生き てくれ生きてく てくれ生きてくれ生きてくれ生きてくれ 生きて きてくれ生きてくれ てくれ生 きてくれ生 生き れ生き くれ生きてくれ生 生き れ生きてくれ生 くれ生 れ生き 生 れ き く れ
|生 き て く れ《他の者すべてを皆殺しにしてでも》
* * *
一瞬のうちに起こった。
ぐにゃり!! と、空気が陽炎のように歪み。
放電のような赤白い閃光と共に、衝撃がイチの体から爆ぜ。
「ギャッ――!?」
まともに閃光を受けた狩村先生が、宙に浮いて悲鳴を上げ。
その隙にイチは強引に身を起こすと。
「――ッ!」
かがんだ体勢から、狩村先生めがけて頭から突っ込み。
「ぶッ――!!」
強烈な頭突きが顎に直撃した狩村先生が吹っ飛んで、
放送室の扉に頭から激突する!
以上すべて、2秒も経たない一瞬のうちに起こった。
「…………」
頭突きの終わりで四つん這いになった体勢から立ちあがりつつ、イチは考察する。
「……多分、あの走馬燈のしわざか」
自分が他の人と決定的に違うと知る時。
母が言っていたタイミングが今、来たのだ。
「……もっと早く来ていれば、綾香を助けられたか……!?」
悔しさに唇を噛むイチだったが、すぐに切り替える。嘆くのは後だ。
『未知の力に覚醒』なんて、漫画じみた現象を体感してるせいだろうか。
妙に体が熱く感じる。力が全身に溢れているのがわかる。
だけど、こんな都合のいい状態がいつまでも続くかは疑問だ。
額からしたたり落ちる血が、イチにそう思わせた。
「頭のどこかを切ったか…………さて」
イチは現状を分析を続けていく。
今までのダメージの蓄積は、甘く見ていいレベルではない。
朦朧とする意識。
くらくらする頭。
地面から浮遊するような酩酊感。
これ以上無理をしたくないと、体が悲鳴を挙げている。
まるで飲酒運転する車のようだと、イチは自己分析した。
強力な力があっても、それをコントロールできるかどうかは怪しい。
「くそ、気をしっかり持て……!」
首をふって自分に喝を入れ、イチは状況整理を続ける。
まず、真っ先に大人の狩村先生を片付けられたのは幸いだった。
扉によりかかるような体勢で倒れている狩村先生は、ピクピク痙攣したまま動かない。
この分ならちょっとやそっとじゃ起きることはなさそうだ。
さらに寺内もまだ気絶しているから、残る敵はあと3人。
丸ノ内竜、日暮慎二、そして西村唯。
西村グループの寺内以外の残り3人だけだ。
「なによ、あんた……さっき、狩村センセになにしたのよ……」
西村の声だ。震える人差し指でイチを指している。
日暮と丸ノ内も、目に焦りを浮かべている。
特に丸ノ内の焦りようが滑稽だ。自分が綾香を手放していることに気づいてない。
「なにか、おかしいことでもあるのか?」
イチは西村の質問に、質問で返すことにした。
西村の焦りと警戒の目に、苛立ちの色も混ざってくる。
「……あんた、自分がなにをしたか分かってないの……?」
お前だけには言われたくない。
そんな怨念と共に、イチは一歩ずつ、ゆっくりと西村に近づいていく。
こいつからは、目を離さない。
こいつだけは、逃がさない。
こいつだけは、許さない。
「ッ…………あ!」
西村の表情がまた変わる。
今度はなにか妙案を思いついたような、喜び混ざりの驚きの顔だ。
だがイチは、
「……人質、一択」
この後の西村の打つであろう手を瞬時に予測し、
「動くんじゃないわよ! さもないと……」
西村がカッターを綾香に向ける前に、動いた。
まずイチは、綾香を手放して突っ立っている丸ノ内に狙いを定める。
ドン、と地を蹴って爆発的な速度を生み、丸ノ内との距離を一歩で潰す。
「――え」
瞬時に目の前まで近づかれて驚く丸ノ内の顔めがけ、イチは突進の勢いを十全に乗せた右の肘打ちをぶちかます!
――グチャリ。
鼻の骨を潰した手応えだ!
「ッううっあああああッッ!!」
鼻血を出しながら痛みで顔をおさえる丸ノ内を尻目に、すかさずイチは西村めがけて裏拳をくりだす!
「ひっ……!?」
西村がびびって後ろに下がったことで、イチの裏拳は空を切る。
隙ありだ。西村が綾香から離れた。
すぐさまイチは綾香を抱きかかえ、素早く走り抜け距離を取って、綾香を背にして西村たちに向き直る。
「綾香は、返してもらったぞ……!」
「ああっ、ちょっと! 返せえっ!」
西村だまれ。
そもそも綾香は西村のモノじゃないし、人を所有物扱いする神経もくそくらえだ。
「この野郎!!」
怒声を上げながらイチめがけて突撃してくるのは日暮だ。
そばかすのついた顔を怒りに歪め、マイクを振りかぶって襲い掛かる。
今度は避けられない。
避けたら、そばにいる綾香が危ない。
ならば、避けずにしのぐまで。
「死ねえええッ!!」
勢いよく横薙ぎの軌道を描くマイクが、イチに強烈な一撃を、
「――な!?」
与える寸前で、マイクが止まった。
マイクを持つ日暮の腕が、イチにガッシリと掴まれていたからだ。
「そして、捕まえたぞこの野郎ッ!」
イチは日暮の勢いも利用してグイッと腕を引っ張ると、つられて日暮の体が倒れかける。
「うわっ」
転倒をこらえようとたたらを踏む日暮は、ただの的でしかない。
イチは利き腕の右拳で、全霊の殺意をこめて、日暮の頭めがけて、
思いっきりぶん殴る!!
「――ッッだあっ!!!」
渾身の一撃が、日暮の側頭部にめり込んだ。
そのままイチは日暮を地面に叩きつけるべく、右腕を全力で振り抜く!
……この後、日暮の身に起きたことはイチも予想していなかった。
まず――バン!! と大きな爆発音が響いた。
次に、イチの拳が寺内に直撃した一点から、赤白い光の爆発が発生。
日暮は赤い火花を伴いながら地面に激突し、バウンドして、勢いを維持したまま飛んでいく。
飛んでいく先には、パイプ椅子やマイクスタンドといった、放送室で使われる備品類が集まっていて、そこに。
――どがしゃああん!!
と、大きな音を立てて日暮が着弾!
あらゆる機材がドミノ倒しのごとく連鎖的に倒れて日暮を巻き込み――
最終的に、日暮の体は右手しか見えなくなった。
そして、右手が見える所から血がジワァと広がっていき、まさに死をイメージさせる光景ができあがったところで〆る。
以上。地獄絵図ここに完成。
余談。爆発は、それを起こした張本人たるイチ自身には特に害はなかった。
「…………」
「…………」
「…………」
日暮の身に起こったあまりの仕打ちに西村も丸ノ内も茫然とする中、イチは右手を見ていた。
日暮を殴った右手。
殴打の時に、謎の赤い爆発を起こした右手。
「これも、さっきの走馬燈で目覚めた力の内に入るのか……?」
身体能力が普段以上に発揮されるのはまだ良いとして、さすがに爆発現象は人間の力の領分から離れ過ぎだ。
母が自分になにをしでかしたのか、イチは不気味になってきた。
「……早めに決着をつけた方が良さそうだ」
赤い爆発現象が必ずしも味方である確証は無い。暴発でもして綾香や弓田に被害が及んだら困る。
それに、ダメージの蓄積で意識が朦朧とする不利は依然続いている。長期戦では万が一があり得るのだ。
幸い、今のイチは格闘だけでも西村グループを圧倒できている。全容がわからないスパークに頼らず短期決着をつける事は可能だろう。
残る敵は、西村と丸ノ内の2人のみ。
綾香という人質は既に奪還した。
今や、イチと西村たちの力関係は完全に逆転している。
イチは茫然とする西村と丸ノ内にゆっくり近づき、威圧する。
西村と丸ノ内の顔が青ざめる。1歩ずつ後ろに下がる。
やがて西村たちは壁にぶつかり、逃げ場を失くしてしまう。
追い詰められて体を震わせる西村に、イチは口を開き、いままで密かに抱え続けてきた疑問を投げつけた。
「西村。オレは不思議に思っていることがあるんだよ。それも最近のことじゃないぞ。5年間、ずっと違和感があったんだ」




