07 ようこそいらっしゃいました、死ね
してやられた。
背後からの襲撃者は1人ではなく、2人。
寺内洋介と、得体のしれない謎の大人。
襲撃者が寺内だけなら問題なかった。
現に今、イチは国語辞典で襲い掛かってきた寺内の顔面に、振り向きざまの裏拳でカウンターを決めている。
寺内一人ならなんの問題もなく対処できた。
だがもう一人の襲撃者である大人がフルスイングしてくるマイクスタンドに、イチは対処できない。
想定外の事態に反応が遅れた。この時点で、イチに攻撃を防げる余裕は無い。
ただし、それはイチ一人だけならの話だ。
「――ッ!?」
なぜか放送室内に入ってきていた、想定外の味方――弓田美優。
彼女は、マイクスタンドのスイング軌道を阻むように、イチの前に飛び出した。
恐怖と決意をごちゃまぜにしたような弓田の顔がイチに迫ってきて――
直後。
ガツン! という鈍い音と共に、衝撃。
* * *
一瞬飛んだ意識から回復して最初にイチが感じ取ったのは、匂いだ。ふわっとした甘くて良い匂い。
次に視覚が回復。まぶたを開けると、黒いリボンで結ばれた蜜柑色のポニーテールがイチの胸元に収まっていた。
ここで、匂いの正体は弓田の髪の毛だと気付く。正確に言えば、髪の毛に使われたシャンプーもしくはリンスの匂いだ。
次に味覚を感じる。舌を口の中で動かすと、口内に血の味が――
「――ぐ、ッ……!」
ズキズキと、口の中が痛む。
口内だけじゃない。前頭部と後頭部も痛い。
イチは自分が壁に寄りかかるような形で座り込んでいることに気づいた。
そして弓田は、イチを押し倒すような形で倒れていて――
ゆ、みだ?
「弓田……? おい、弓田?」
頭を触り、体をゆすってみる。だが、弓田は返事をしない。
意識を失っていると確認した時、イチは先刻の弓田の行動を思い出した。
「弓田が、オレを庇った……?」
イチの不意を突いて大人が振るったマイクスタンドは、イチの頭に大ダメージを与えるはずだった。だが軌道上に弓田の頭が割って入ったことで、イチに攻撃は直撃せず、衝撃で弓田ごと飛ばされただけで済んだのだ。
一方、イチを守った弓田は凶器の一撃をまともに受けた。当然ながら無事で済む筈もなく、彼女の後頭部に触れたイチの手にはべっとりと血がついていて――
「――!?」
イチは見た。
大人が、マイクスタンドをイチに振り下ろさんと構えている所を。
「ッ――!」
息つく暇無し!
状況整理を放棄して、イチは弓田を抱えて横に飛び出す。
直後、ガチンと頭を割くような鋭い痛みが走る!
「が!! い、痛、…………ッッッッ!!」
自分がマイクスタンドの棒部分で殴られたと自覚し、イチは頭を抑えて激痛に抵抗する。
「痛い」と言うことを途中から我慢したのは精一杯の強がりだ。
意識のない小6女子の体を抱えながら攻撃を避けるのは、水泳部で体力を鍛えたイチにも文字通り荷が重すぎた。
打点を頭の中心部から逸らし、最も痛いであろうマイクスタンド末端のベース部分を避けるので精いっぱいだった。
最悪の一撃は避けたとはいえ頭に強い打撃を受けたことに変わりは無く、イチは意識が混濁し足がふらつく。
西村はこの隙を見逃さない。
「今ね。狩村先生、イチを捕まえて!」
「んーっ、んーっ!!」
「どぅどぅ、暴れんな」
綾香はもがくが、丸ノ内の巨体に抑えられて脱出できない。
謎の大人はマイクスタンドを捨ててイチをうつ伏せに押し倒してきた。
両腕を背中に固定されてイチは抵抗できなくなる。
体格差の不利が恨めしい。
「日暮は急いでドアを閉めて! 外に音が漏れるのはまずいわ!」
「了解ですぜー唯ちゃん」
身動きの取れないイチと綾香、そして気絶している弓田に対し、西村は油断なく詰めの指示を出す。それに従い、日暮はドアを閉めた。
放送室の防音性と密室性が再確保される。これでもう助けは来ないし、呼べない。
「……そもそも、この大人は一体誰だ?」
突如として現れ、西村たちに与し、今もイチの体を抑え込む謎の大人。
西村はこの人物を狩村先生と呼んでいた。
先生――学校内の教師の一人ということだろうか?
だが教師をこんな直接的な形でいじめに加担させるなんて、どんな裏技があれば成立するというのか。
「いいのか先生、こんなことをして。バレたらクビだけじゃすまないかもしれないぞ」
体が動かせないなら口で。
イチは自分を抑えつける大人に揺さぶりを試みた――が。
「黙って、ろ!!」
ガツンと、頭頂部に強い衝撃。痛い!
殴らせて拘束を緩めれば儲けものだったが、狩村先生の両手はイチから離れない。
それよりも今の男声に込められた怒り。この男は明らかにイチに敵意を持っている。
「ってえな。頭突きは駄目だな、俺も痛てえし」
「ありがとござまーす、狩村セ・ン・セ! 寺内だけじゃイチには勝てなかったし、マジ感謝してるわ~」
「なら約束は守れよ西村。これが最後になるんだから、精々楽しめ」
「もちー! ……さぁて」
こちらの知る由もない事情について狩村先生と話した後、西村はゆっくりと歩いて、イチの前に立った。
イチは狩村先生に抑え込まれながら西村を見上げ、西村は一切の不自由なくイチを見下ろす。
今の二人の立場を表すかような絵面に、イチは言い様の無い嫌悪感を感じた。
「ザマぁないわねぇ、イチ」
「――西村」
「5年前はずいぶんふざけた真似をしてくれたわね」
5年前――SNS告発作戦のことか。
西村グループのいじめをSNS上に告発し、「犯罪者予備軍」のレッテルを広めたことがイチの頭をよぎる。
素直に認めて西村の機嫌を取る気は、無い。
「なんのことかわからないな。お前の妄想じゃないのか?」
「――ッ、イチぃ!!」
熱い怒気を伴った衝撃が、イチの頬を強く打ち付ける
西村がイチの顔を蹴ったのだ。
「ずっと、あんたが、憎かった! なにが、犯罪者、予備軍だ! 生意気なんだよ、不愉快なんだよ、ぼっち虫のクソ雑魚のパシリ野郎の分際で!! よくもあたしに、はむかってくれたわ、ねぇ!!」
何度も何度も西村は、サッカーボールみたいにイチの頭を蹴りつける。
足が振るわれる度に飛び散る血が、西村と狩村先生にべちゃりと貼り付く。
「その辺にしておけ西村。こいつは体より心を折る方がいいって言ったろ」
「っ……ふふふ、そうね。ありがとセンセ、冷静になれたわ」
西村の執拗な蹴りはここで止んだが、イチの心に休まる暇は無かった。
直後に続いた狩村先生の言葉が、イチに甘えを許さなかった。
「だが確かにこいつの態度はいただけないな。最期の時くらい涙でも流して誠意を見せたらどうだ、イチ?」
「さい、ご……?」
最期――その言葉が秘める意味に、イチの心が恐怖で凍る。
命の危険すらありうるという想定が、まさか自分に牙をむくとは。
「オレを、殺すのか?」
この確認が無意味とは思いつつも、イチは口に出した。
万が一の望みを捨てきれなかったからだ。
死ぬのは怖い。
綾香の前で不様に命乞いして助かるのは御免だが、かといって無意味な死を受け入れるほど潔くもない。
こいつらに僅かでも、良心の呵責ってものがあるなら。
そんな一縷の望みから出たイチの問いに対し、狩村先生は――
「当たり前だ。全ての元凶たるキサマには死んで償ってもらわないとな」
ごくごく自然に、全責任がイチにあると言い放つと、
「オレが、全ての、元凶? どうし………………ッ!!?」
イチの脳髄に電流が走り、忘れていた記憶が蘇った。
違和感が消えた。
合点がいった。
完全に思い出した。
教師で西村グループに協力するほどイチに恨みを持つ人物。その条件に合致するヤツが一人いる。こいつなら、立場を考えればあり得る。
浮かび上がった人物像にイチは確信を抱き。
「………………逆恨み……ッ!!」
その人物の、あまりにバカバカしい動機に戦慄した。
謎の大人の正体。
狩村誠意。教師。35歳独身。
今は6-Cクラスの――綾香と西村グループのクラス担任であり。
かつてのイチと綾香と西村グループの、1年時代の担任である。
「そもそも、キサマがいじめをSNSにアップした時から全てが狂いだしたんだ」
背中に乗る狩村先生の声を、イチは後頭部で感じる。
「キサマがいじめの矛先を受けている間、他の生徒は何の被害もなく平和な学校生活を送れたんだ。キサマさえ我慢すれば全てが上手くいったのに、大ごとにしてくれたおかげで何もかも台無しだ!」
「ッ……!」
言葉に込められた積年の憎悪に、イチの体が震えた。
その生理現象をもって、イチは自分が恐怖しているのだと自覚する。
だが、怖いからなんだ。
今の狩村先生の発言は看過できない!
「……全部上手くなんか、いってない!! 現に綾香は実害を受けたじゃないか! 1年の頃にオレを庇ったことで晒し者になったんだぞ!」
小学1年時代、綾香はいじめからイチを庇った。
そのせいで綾香はいじめの標的になってしまったが、彼女の行いは間違いなく正しかった。
それを軽んじる狩村先生の今の発言は――あの時の綾香の勇気ある行動を侮辱する発言は絶対に許せない。
「余計なことをしたんだから当然の報いなんだよ! キサマら、自分たちが正しいことをしたとでも思っているのか? あァ!?」
「当たり前だ、いじめと戦う事のなにが悪い! お前ら先生が助けないなら自力で戦うしかないじゃないか!」
「戦うという考え方自体が間違ってるんだよ! 学校がある限りいじめは無くならないものだ。生贄1人で被害がすめばむしろ最善なんだよ!」
――この野郎!!
イチは背に乗る狩村という男を八つ裂きにしてやりたかった。
生贄呼ばわりは、いくらなんでもあんまりだ。
5年前、イチのいじめの件で当時の担任だった狩村先生は徹底的に不干渉を貫いた。
当時その事をイチは「自分から助けを求めなかったからだ」と疑問に思わなかったが、もっと不自然に思うべきだった。
狩村先生は教師でありながら、見て見ぬふりという、いじめの共犯者だったのだ。
過去でも――そして、今でも。
「大体、受けた実害で語るなら学校側の方が酷いぞ。信用を落として入学者が大幅に減るはめになったんだ。この学校が碌にIT設備も無いオンボロのままでいる理由がわかるか!? キサマのせいで学校に金が入らないからだよ!!」
「――ッ!」
イチの反論が止まる。
狩村先生の言葉に怯んでしまった。
小学6年にして一人暮らしを営むイチは、生活における金の重要性を知ってしまっている。
ゆえに、金が入らないというパワーワードは強烈なインパクトがあった。イチから狩村先生の言葉の真偽を考える余裕を奪うほどに。
「俺も上から処分を受けるわ、ネットでバッシングを受けるわ、住所特定されて正義面のバカに付きまとわれるわ、婚約者に逃げられるわで、散々だ! 全部キサマのせいだ! キサマは俺の人生を滅茶苦茶にした悪魔だ!」
「――――」
ここでイチが予想した狩村先生のいじめ参加の動機が的中する。
5年前にイチがいじめをSNSに告発したことで、立場を悪くした当時の担任が復讐してくるという筋書きをイチは想定していた。
ただ、狩村先生の破滅ぶりはイチの想定を遥かに超えていた。
一人の人間の人生を破壊した事実は、イチの芯を大きく揺るがした。
「……オレを恨むのは筋違いだろうが! 西村たちいじめっ子を恨めよ!」
自分のしたことは本当に正しかったのだろうか。
迷いがイチの言葉から勢いを奪い、力を削ぐ。
「黙れ! キサマが最初に余計なことをして学校の和を乱さなかったら、こんな事態にはなっていなかったんだ!」
狩村先生は自分は何も悪いことをしていないと叫んでくる。
狂っているのはお前の方だと、言外にイチを糾弾する。
「全ての始まりは、キサマだ!
全ての元凶は、キサマだ!
この場で一番死ぬべきなのは、キサマだ!
もうキサマなんざ、死んでも喜ぶ奴しかいないんだよ!!」
「…………!!」
心を黒で塗りたくるような憎悪の絶叫に、ついにイチは沈黙してしまった。
何も言い返せない。
言い返す資格も無い。
ここまで狩村先生を追いこんだのは、他でもないイチ自身だから。
狩村先生にとってイチは、最低最悪のいじめっ子だったのだ。
「もうそろそろ良いですかい、狩村先生」
「日暮……ああ、そうだな。例の物を出してくれ。こいつの頭を叩き割る」
「もう用意してありますぜー、どぞどぞ」
日暮が狩村先生のために用意した物を見た瞬間、心臓を鷲掴みにされたような緊張がイチに走った。
長い木製の棒の先に、重そうな円柱の塊がついたフォルム。
金槌だ。
本来の用途は工作用で、決して人を殴るための道具ではないそれは、何の葛藤もためらいも無く、日暮から狩村先生の手に渡ってしまった。
「キサマは死ぬ。当たり前だ。これは前提だ」
狩村先生もためらう気は微塵も無いようだ。
逆転の突破口を欲したイチは全身に力を込め、狩村先生の拘束が緩んでいる箇所が無いか探る。
「ッ……」
だが拘束は堅く、わるあがきは無為に終わってしまう。
もうできる事は無い。完全に詰んだ。
そんなあきらめの想いが、イチの全身を包み込んだ、直後。
「だが、ただでは死なせない。キサマの大切なものを壊す」
「……え」
狩村先生の発言に、イチは血の気が凍りついた。




