06 綾香を救え
「廊下は走るな」という壁の張り紙をイチは完全無視して疾走していた。
窓の外の大雨が悲劇を連想させ、胸騒ぎは加速する一方。
全力疾走の苦しさを根気でねじ伏せ、ただ足を動かす。
「ッ……!!」
歯を食いしばり、イチはひたすら走る。階段を駆け上がる。
杞憂であってくれと、手遅れになる前に間に合えと、祈りながら。
結論を短絡的に言ってしまえば、イチが疑っている可能性は昨日と同じ。
西村グループ4人による黒木綾香へのいじめである。
学校に着いた時イチは、6-Aクラス1人と6-Cクラス5人、計6人分の生徒の下駄箱に上履きが無いことを確認した。ここからイチは6人の生徒が上履きを使っている、すなわち校内にいると推理した。
唯一の6-A生徒の正体は、イチが下駄箱の持ち主を覚えていたことから弓田美優で確定。彼女はいじめと関係ないので以降の考察から除外。
6-C生徒5人のうち1人は、西村グループ4人組の1人である寺内洋介で確定だ。職員室ですれ違ったばかりなので、間違いない。
6-C生徒2人目について、イチは黒木綾香の可能性が高いと踏んだ。廊下で綾香らしき後ろ姿を目撃したことが根拠だ。
残りの6-C生徒3人の正体については、断定できるほどの情報は無い。ただ寺内が学校にいる以上、彼がつるんでいるグループの残り3人がいないとは思えない。
よってイチは残り3人の正体を、いじめグループの残り3人と同一視した。すなわち丸ノ内竜・日暮慎二・西村唯の3人だ。
これで学校内に西村グループと黒木綾香――いじめっ子といじめられっ子が揃ってしまった。
「――――」
次に、いじめが行われる場所について。
イチは放送室が怪しいと睨んでいる。
根拠は、寺内が職員室から放送室の鍵を持ちだした事だ。
このことは職員室の先生に確認済みだ。
放送室の鍵は放送委員にしか貸し出されないという縛りは、寺内が放送委員である以上、問題にならない。
また、放送委員の肩書きは綾香を呼び出す際にも使えるだろう。
学校内放送の打ち合わせとか言って、用事をでっち上げることができる。
いじめ関係者以外の他の放送委員に綾香を誘わせれば、警戒される恐れも軽減できるだろう。
「――――ッ」
そしてイチが最も不安に駆られている要因は、放送室の密室性と防音性にある。
放送室は鍵をかけられたら最後、教職員の管理する予備の鍵を使う以外に外から入る方法は無い。
そしてどんなに大声を上げても音が外に漏れないほど、防音性が高い。校内放送でマイクを使って大きい音を出しても外に漏れないほどだ。
つまりもし、綾香が放送室内で西村グループ4人からいじめを受けたら。
綾香はどんな目に遭おうと、
・誰にも目撃されない
・逃げ出すこともできない
・泣き叫んでも誰にも声が届かない
という、3拍子揃った最悪の状況になる。
ここまでいじめっ子に有利な条件が整えば、いじめのタカが外れて綾香に取り返しのつかないことが起きる可能性は十分ある。命の危険すらあり得る。
イチは自分へのいじめという前科がありながら綾香にもいじめを繰り返す西村たちに、良心の呵責など全く期待できなかった。
「――ッ、――ッ……!」
無論、杞憂に終わるならそれでいい。
寺内が放送委員であることを綾香が知っているなら、綾香がいじめから自衛するため放送室に来ないこともあり得る。
6年以外の下駄箱をイチは見ていないので、イチが見た少女の後ろ姿は綾香に似ているだけの下級生ということもあり得る。
寺内が放送室に呼び出した人が綾香だと断定できる根拠は無い。呼び出した目的もいじめではなく、ただの放送委員としての用事かもしれない。
本来なら命の危険まで予想するイチの考えの方が飛躍しすぎなのだ。
イチが想定する最悪のパターンは起こらないと考える方が自然だ。
「ハァッ、ハァッ……!」
だが、イチは止まらない。
息を切らしても、足を止めない。
脳裏に浮かぶ最悪の想定に、背中を押されて走り続け――
「イチ君待って!!」
道を塞がれた!
正面に現れたのは、両腕を広げて立つ蜜柑色のポニーテールの女の子。
弓田美優に通せんぼされたと、イチは瞬時に理解する。
だが一刻を争うイチに待つ余裕は無い。
放送室までの距離はあと8メートル弱。
あと少しという所で足止めをくらい、イチの焦りはさらに加速する。
「なんだ、今は急いでるんだ!」
「放送室に行くんでしょ?」
「わかってるなら話は早い、どけ!」
腕を振り払い、明確に拒絶を示す。
だが弓田が道を開ける様子は無い。
焦燥にかられたイチは、強硬手段に出た。
「どけって、のに!!」
弓田の肩を掴んで押しのけ、体勢を崩した隙に駆け抜ける!
とっさに弓田も走るイチを掴もうと腕を伸ばすが、届かず空を切る。
「ッ、行っちゃだめ、イチ君! イチ君!!」
背中に響く少女の声を、イチは無視して走り去る。
一瞬、なぜ弓田が放送室への道中で待ち構えいたのか疑問がわくも、すぐに脳裏から排除する。そんなことに構う余裕はない。
イチは放送室の扉の前に着くと、すぐにドアノブを回し、引っ張る。
――ガチャガチャ。
鍵が掛かっている。開かない!
「くそっ!」
イチは足を開いてドアの正面に立ち、右足の裏で思いっきりドアを蹴る。
蹴る!
蹴る!!
「くそっ、開かない!」
鍵のかかったドアの蹴破り方をイチは知識としては知っているが、実践するのは初めてだ。一撃でドアを蹴破れるような技量は無い。
急がないと、綾香がどんな目に遭わされるかわからないというのに。
くり返しドアを蹴るイチの脳裏に、過去の光景が浮かび上がる。
かつて綾香がイチを西村グループのいじめから庇ったことで、見せしめとして相合傘を黒板に描かれた事件。
クラスの生徒全員が綾香を笑いものにして、彼女の尊厳が蹂躙された忌まわしい事件。
あんな無念を、あんな悲劇を、あんな殺意を、
「もう二度と、繰り返してたまるかぁ!!」
咆哮と共に放たれた11回目の蹴りで、ドカッと音を立てて扉が開いた。
ただちにイチは突入して室内の状況把握を試みる。
* * *
放送室内に確認できた人間は次の通り。
大事な人。V字前髪の黒い長髪美少女、黒木綾香。
肥満体の肉男、丸ノ内竜。
鼻元そばかすの芋男、日暮慎二。
宿敵。短髪白カチューシャの性悪女子、西村唯。
「……寺内がいない」
今回の件の発端である西村グループの4人目、寺内洋介が見当たらない。
クマのついた目の地味な男子だとイチは記憶しているが、その姿が無い。
この状況把握でイチの心に生まれたものは、寺内がいないゆえの警戒が5割。
残りの5割は――憎悪と殺意だ。
丸ノ内によって両脇を抱えられて力なく立たされた綾香は、体中が傷だらけだった。
遠目から見てもわかるほどの、切り傷と打撲痕と内出血。
口の中から血はこぼれ、目には涙の痕が残り、表情には生気が無く、黒い長髪は乱れて痛んでいる。
綾香に備わっていたはずの美しい容姿が、見るも無残に汚されている。
こんなみじめな姿になるまで綾香を傷つけたのは、間違いなく西村と日暮だ。
その確信が、イチにはあった。
なぜなら、2人は凶器を握っていたからだ。
日暮の右手には無線タイプのハンドマイク。カラオケやアイドルライブで見かける一般的なイメージの手に握るマイクだ。
これだけなら日暮の握る物は凶器だと言い切れないが、西村唯が右手で握る物も考慮に入れれば話は別だ。
ひと目見ればすぐ人に向けてはいけないと分かる、銀色の薄い刃。
西村は、カッターナイフを持っていた!
「お前らああァ!!」
「うっざ! そんな大声で叫ばなくても聞こえてるっての」
イチの憤激を、即座に西村は取るに足らんと笑い捨てた。
「ふざけるなよ西村、自分が何やってるかわかってるのか!!」
超えてはいけない一線を完全に超えている。
日頃からいじめをくり返しているだけでもアウトなのに、武器を、ましてや刃物を使うのは問題外だ。普通に傷害事件だ。
ここまで心無い行動を繰り返せる人間がどうして学校に庇われるのか。なぜ子供がしたことだからと許されるのか。イチはもう理解を諦めた。
もう駄目だ。こいつら4人は、今この場で潰さなければ駄目だ!!
「――4人」
西村唯、丸ノ内竜、日暮慎二、そして寺内洋介。
姿の見えない西村グループの4人目――寺内洋介が、どこかに隠れているはず。
その警戒をイチが強めた瞬間。
綾香は死んだ表情から一転、目に焦りを浮かべてイチに叫んだ。
「赤川君、後ろに――んぐっ」
丸ノ内に口を押さえられ、綾香は最後まで言い切れない。
だが、十分だ。イチは寺内の居場所を確信した。
根拠はドアを蹴破った時にある。手ごたえが妙に軽かったのだ。
イチの蹴りによってドアが開く直前、わずかにドアがひとりでに開いたのだ。
そのためイチは、室内からドアを開けた人物がいて、そいつがドアの陰に隠れている可能性をあらかじめ疑っていた。
綾香の言葉によって、イチは疑いを確信に昇華できた。
「来ることが分かっていれば――」
簡単に対処できると、イチが振り返った瞬間。
驚愕した。
戦慄した。
混乱した。
ぶったまげた。
愕然とした。
目の前の光景に、目を疑った。
良いニュースと悪いニュースが同時にイチを襲った。
良いニュースは、味方が一人増えていた事。
弓田美優がイチについてきて、放送室内に入ってきたのだ。
悪いニュースは、敵もまた一人増えていた事。
背後から奇襲を仕掛けてきた人物が、寺内だけでなくもう1人。
それもあろうことか、大人がいたことである。
大人はマイクスタンドを構えた体勢から、イチめがけて横薙ぎに思いっきりフルスイングを仕掛けてきた!!




