17 The End of The Beginning
「……すまない、待たせた」
自宅の入口ドアを背にして、イチは綾香の前に立つ。
訪問者の綾香は4ドアの軽自動車を背にしていた。ここには引っ越しの移動中に立ち寄ったのだろうか。
イチは急いで着た簡素なTシャツの上にパーカージャケットを羽織っている。下半身はジーンズにベルトで腰を締めただけの安物スタイル。
目やにと寝癖を処理するべく急いで顔を洗ったため、顔周辺は湿気ている。秋風が冷たい。
対する綾香は、赤と黒を基調とした暖かそうな服だ。肩いっぱいに黑のストールを巻いて、下地には赤い毛糸の長袖ワンピース。裾から覗く脚は黒いストッキングに包まれ、肌を寒さから守っている。
そして一番目につくのが、左眼を覆う黒い眼帯。放送室でイチが綾香を守り切れなかった証左だ。
綾香の顔に自分の未熟を痛感させられながら――ふと。
イチは違和感を抱いた。
「……綾香……?」
綾香は笑っている。笑顔では、ある。
だが、その笑みは、極めて異質なものだった。
初めて彼女の名前を聞いた時のような、やさしい柔らかな雰囲気が無い。
その代わり、心胆を寒からしめるような異様な迫力をイチは感じた。
見つめてくる綾香の右の瞳に、闇が宿っている。感情が読めない……。
「桂一くゥん」
少女の声色に、ビクリと、イチは反応した。
「会いたかったよォ……あははッ、ケーイチくゥん」
微笑みながら、綾香はイチを下の名前で呼ぶ。
その呼び方がさもいつも通りの、自然体のような口調で、即座にイチは綾香の様子がおかしいと気づいた。
本来、綾香はイチを「赤川君」と呼ぶはずだ。
一度、綾香が「桂一君」と試しに名前で呼んた時、恥ずかしいから名字呼びにすると赤面しながら言ったではないか。
呼び方だけではない。眼帯付きの顔はともかく、雰囲気も、声質も、まるで別人だ。
「……綾香、お前……?」
なにか、心境の変化でもあったのか?
そんなことをイチが綾香に問いかける、その前に。
「えいっ」
――ぎゅっ。
イチは綾香に抱きしめられた。
「充ゥ電んん~」
「む、むぅ……!?」
首の後ろに手を回されて、イチは綾香に体を押し付けられる。
全身に密着する体温と、胸筋に感じる丸い柔らかさが、イチも抱きしめていいんだよと蠱惑的に誘惑する。
一応、イチも思春期を迎えたての男子ではあるので、魅力的な異性に好意をぶつけられて嬉しくないわけではない。
ましてや相手がイチの大切に想う綾香となれば、合意さえ取れればむしろ喜んで抱きしめ返したい。
ただ、綾香の立場を想うと、イチは素直に喜べない。
彼女のずば抜けた美貌は、嫉妬によっていじめを受ける原因のひとつである可能性が考えられたからだ。
「……えーと、綾香?」
イチは綾香に呼びかけた。
とりあえず、会話のきっかけがほしい。
どうして綾香がイチの家まで来たのか、目的を聞きたい。
「充電とか言っていたが……オレから電気は出ないぞ?」
「ふゥ、ふゥ、ケーイチくんのにおいだァ」
「あ、綾香?」
すりすりと、綾香は頬を擦りつけた後、
「ケーイチくんも抱きしめ返してくれると、私は嬉しいなァ」
さあ来いと言わんばかりに、綾香はイチに抱きついたまま動きを止めた。
断る理由など無い。イチは綾香の求めに応じ、腰に腕を回した。
「はゥ」
綾香の口から吐息が漏れ、イチも内心でどぎまぎ。
体も心もひとつになるような一体感だ。いろんな意味で熱い。
「……なぁ、綾香」
「んー?」
抱き合いながら、イチと綾香は互いの耳元で囁く。
「お前、この後どうするんだ」
「どうするって、なにがァ?」
「西村たちと、狩村先生にとどめを刺したのは綾香だ。そのことで、警察からなにか言われてないか」
一番気になっていた疑問を、イチは綾香に囁く。
「警察はできるだけ話を良い方向に進めるって言ってたけど……結局、綾香の罪はどうなったんだ?」
「……ケーイチくんから、先に答えてェ」
「オレが? 何を?」
「ケーイチくんも放送室で、大暴れしたでしょォ? 警察沙汰はお互い様。あの後の展開が気になるのもお互い様よォ」
「オレは正当防衛が成立して不起訴処分だ。綾香は?」
おととい、イチの下に不起訴処分の告知書が郵送で届いた。
検察の手続き上、イチにとって放送室の事件はもう終わっている。
「私はねェ、保護観察処分、って言うんだってェ」
「保護観察?」
「引っ越し先に保護司っていう監視役みたいな人がいてねェ。私はしばらくその人にお世話になるわァ」
「そ、そうか……」
予想より軽い処分に、内心でイチはホッとした。
とどめだけとはいえ、綾香が5人も殺している事を考えると極めて軽い、異例の処分だと言える。
「……ふゥ、満足!」
ここでようやく、綾香はイチから体を離した。
長いあいだ綾香と抱き合っていた事実を実感し、イチが頬をかいて照れを紛らわしていると。
「貴方が、桂一君ね。綾香がいつもお世話になって……」
綾香の後ろから、聞いたことの無い女性の声がした。
綾香に似た黒いロングヘアーの大人の女性が、軽自動車から降りようと――
「ゴホッ、ゴホッ……ゴホッ!」
「お母さん! 無理しないでェ、車の中で待っててェ」
すぐさま、綾香に止められて助手席に戻る。
その一瞬、イチは辛そうに咳き込む綾香の母親を見て、ぞっとした。
「……いくらなんでも、白すぎる」
綾香も白い肌を持っているが、彼女の母親はそれ以上に白い。
だが、それは美人だという良い方向を意味しない。
むしろ、死期が近いという予感にイチは戦慄した。
車内に目を向けると、綾香の母親以外にひとり、運転席に別の大人の女性がいた。
察するに、綾香の母親は運転できないほどに弱り切っている。
そのハンディキャップをカバーするためにお手伝いを雇った、という所か。
そして、引っ越しという男手が求められる作業にも関わらず、大人の男――綾香の父親は、この場にはいない。
考えたくない憶測だが、綾香の父はおそらく、もう既に……。
「ごめんねェケーイチくん、あまり嬉しくないものを見せちゃってェ」
「綾香……」
イチは綾香にかけるべき言葉が見つからない。
何を言っても、安い同情にしかならない気がした。
「ケーイチくゥん……私、がんばるねェ」
「……?」
頑張る? 何を?
目標でもできたのだろうか。
「ケーイチくんみたいにィ、どんないじめっ子にも負けない、最高に強い人になるの。そしたらケーイチくんも、私を心配せずに済むよねェ」
「……ッ!」
心配を綾香に見抜かれて、しかし、即座にイチは開き直った。
今回、元々イチは心配を隠す気なんてさらさら無いのだ。
「心配ぐらい、させろ!」
イチは綾香の両肩を掴んで、まっすぐ目を見据える。
闇に染まった瞳が、鏡のようにイチを映し返す。
「いいか綾香、これからお前は引っ越すんだろ? という事は、またいじめが起きてもオレは助けに行けないし、下手したらもう会えないかもしれないんだ」
「や……やァねェケーイチくん。引っ越すと言っても、海外に行くわけじゃないんだから大げさよォ」
「それでもだ」
真っ向からイチの意志を受け、綾香の瞳がわずかに揺れ動いた。
闇だけと思いきや、生きた感情の動きにイチは少し安心。
「オレは綾香を心配する。時が経って、お前のことを心配しなくなっても、せめて絶対に綾香をことを忘れないでいる」
離れ離れになった恋人が再会して結ばれるようなストーリーを、イチは非現実的な夢物語だと考えている。
実現すれば素敵なのは否定しないが、広い世界で好きな人と再会する偶然なんて早々起こらないと思うからだ。
だが、距離が離れていても相手を心配したり、思い出を覚えている事くらいはできる。
相手が綾香なら、できて当然だ。
なぜなら今やイチにとって、
「綾香は――黒木綾香はオレにとって、大事な人だからだ……!」
まっすぐに少女の瞳を見つめて、イチははっきりと、一番明確に伝えたかったことを言い切った。
「……やだなァ。未練なんて、残すつもり、無かったのにィ……!」
一瞬、泣き笑いのような複雑な表情をうかべ、両手で顔を隠す綾香。
今にも泣き出しそうに見えて、イチは心配するが。
「おい、大丈夫か?」
「……大丈夫よォ」
「ッ!」
顔から手を離した綾香の、露わになった表情にイチは息を呑んだ。
「私は、ケーイチくんみたいに強くなるって、決めたんだァ。どんないじめっ子にも負けない、最高に強い人にィ……!」
綾香の目に涙は無かった。
声もけして涙声ではなかった。
弱みなど意地でも見せない、気丈な微笑みがそこにあった。
どうやら綾香はイチの、人前で涙を見せない見栄っ張りな所を真似ているようだ。
「……」
数秒、イチは言葉に迷った。
ここで「自分は弱い」と謙遜することは簡単だが、それは自分を目標にした綾香への侮辱になると感じたからだ。
「……光栄だよ」
だからイチは、綾香の評価を受け入れることにした。
彼女の憧れる「強い人」として振る舞うことを選んだ。
この瞬間、イチは普段なりたくてもなれない笑顔になれている事を自覚した。
すぐ笑顔は収まったものの、初めて笑顔を見せた相手が綾香になって、イチは言いようのない満足感を得たのだった。
「……じゃあ、そろそろ」
綾香が後ろの軽自動車を見て、イチは察しが付いた。
「お別れか」
未練がましく残ってくれなんて、イチは言うつもりなど無い。
「ケーイチくん……さようならァ」
「ああ。さようなら」
車に乗り込む綾香に、イチは手を振って別れを告げた。
その言葉を最後の餞とし、綾香を乗せた車は出発する。
イチはただ、手を振りながら車を見送るだけだ。自分との思い出が、わずかでも綾香の支えになることを祈りながら。
こうして黒木綾香は、西村たちいじめグループのいる小学校と――
唐竹第一小学校と、縁を切ったのだった。
* * *
綾香の乗る軽自動車の見送りをイチが終えた、その後。
イチは自分の両手を見た。
放送室の死闘で、とどめこそ刺せなかったものの、西村たちを殺す気で殴り倒した両手。
もし、この血に汚れた手が綾香にイチへの憧れを生んだのなら、とんだ皮肉だ。
「……どんないじめっ子にも負けない最高に強い人、か」
綾香から授かったその言葉を、イチは重く感じていた。
別れ際の時には否定しなかったが、とても自分に似合うとは思えない。
もっと強く、いや、ものすごく強くならないと名乗るのは無理だ。
そこまで考えが至った所で、ふと、イチは思い出した。
「確か病院で、センジュさんが言っていたな……」
* * *
自宅に戻り、自室に入り、イチはスマホを取り出す。
通話ボタンから手動で11桁の番号を入力し、コールする。
「はぁい、葉月でーす!」
どことなく軽薄そうな声色の主は、葉月センジュ。
病院でイチを陣内自警団の訓練校にスカウトした張本人。
「もしもし、センジュさんですか? 赤川桂一、ひと呼んでイチです。病院ではお世話になりました」
「おぉ、イチか! 覚えてるぞ! スカウトの返事、決まったか? というか、どうしたんだ、以前と違って畏まっちゃって」
「病院でセンジュさんが話した事で、確認したいことがいくつかあります」
「……言ってみな」
電話越しのセンジュの相槌は、いつになく低く、重い口ぶりだった。
まるでイチが言おうとしている事を、予期しているかのようだった。
「……センジュさんは確か、言いましたよね?」
数秒、間をおいてからイチは話し始める。
「単純な話、オレは強くなれると。無尽蔵の殺意によって、めちゃくちゃに強くなるポテンシャルがオレにあると。この言葉に嘘は無いですか?」
「無い。断言できる。お前さんは強くなれる」
センジュの即答に、イチは会心を得る。
最初の段階は、成った。
「次です。センジュさんは病院で、上層部が単独戦闘力の高い駒を欲しがっていると言ってましたね? 存在が、核兵器なみの抑止力になるくらいの強さが欲しいと」
「……できれば、な。さすがに無茶を言っていることはわかっている」
歯切れの悪いセンジュの返事に、イチはとっかかりを掴んだ。
ここからが勝負だ。
「センジュさんは、オレが強くなることは自分の願望も入ると言ってましたが。仮にオレが訓練校に入ったとして、オレが強くなることはセンジュさんの利害と一致しますか?」
「……一致するな。強くなればなるほど良い」
「たとえその強さが、核兵器なみの抑止力でも?」
「……ああ。そうだな」
「それなら」
間をおいて、イチは決定的な一言を口にした。
「センジュさん、オレを弟子にしてください」
「……は?」
息を呑む気配を電話越しに感じつつ、イチは話を続ける。
「陣内自警団の訓練校のスカウト、受けさせていただきます。異能を鍛えて、殺意を活かして、オレは強くなりたいです。存在が核兵器並みの抑止力、目指したいです」
「……」
「もちろんその境地は、独学ではたどり着けないことでしょう。しかし、覚えていますよ? 病院でセンジュさんは自分の強さを、『存在が核兵器なみの抑止力になるくらい』と言いました。つまりセンジュさんは、オレが目指す到達点の先輩という事になります」
「……仮にそんなバケモノじみた強さを手にしたとして、お前さんはなにをしたいんだ? 正義の味方でも目指すか?」
「いえ、オレには誰かを守りたいなんて殊勝なことは言えません。しかし、悪質な屑が誰かを踏みにじる前に、ぶっ殺したいとは言えます」
「……」
「誰も止められなくて被害者が泣き寝入りするしかない、そんな怪物みたいな凶悪犯とオレは戦いたいんです。そのためには、強さが必要です」
電話越しにセンジュに語り掛けながら、ふとイチは、ある直感を抱く。
根拠は無い。だがそれでも、本能が警告した。
これ以上センジュと話を進めたら、もう二度と今までの日常に帰れないと。
友人になったばかりの弓田美優と、普通の生活に戻れなくなると。
ポニーテールを揺らす弓田の、悲し気に眉をひそませた栗色の瞳に、背後からじっと見られているような幻覚を感じつつ、
――悪いな、弓田。
それでもイチは、立ち止まる選択を選ばない。
弓田への謝罪を胸の片隅に残し、イチは言い切った。
「センジュさん。オレが強くなることが、センジュさんの利害と一致するなら……お願いします。オレを弟子にして、強くしてください!!」
◆The inexhaustible desire to kill was born.
◆誕生秘話 終
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。




