13 傷の舐め合い
泣いていた弓田が落ち着きを取り戻し、病室の椅子に座りなおして数分が経った頃。
「……んぅううぅ……」
消え入りそうな声を漏らしながら、弓田は頬を染めて下を向いていた。
大人しい彼女の様子は、先ほどまで泣きながらイチに抱きついていたのとは対照的だ。
自分のした事の大胆さが今になって尾を引いているらしい。
「…………」
一方、イチは病室のベッドの中に入ったまま、熱い濡れタオルでゴシゴシと顔を拭っている。
抱きつかれた時に顔についた弓田の涙を拭きとっている。
その顔はいつも通りの仏頂面。通常運転だ。
美少女と呼んで差し支えない容姿を持つ弓田に抱きつかれたことについて、どういうわけか、イチは自然と照れくさく思わなかった。
ここが病室だという事で心がTPOをわきまえたのか? あるいは抱きつかれた時の傷の痛みが抱擁の悦楽を上回ったか? 理由不明。
2人が互いに言葉を交わさないまま時間が過ぎること、数分。
顔を拭き終えたイチが、話の口火を切った。
「弓田、オレが起きるまでに何が起こったか聞いて良いか?」
「……あ、うん。どこから話そっか?」
「まずは……」
ひとつ気になることができて、一旦イチは言葉を切った。
「……なあ、呼び捨てにしない方が良いか? 今まで通り、弓田さんって、呼び方はさん付けの方がいいか?」
「いや、呼び捨てでいいよ! むしろ、呼び捨ての方が距離が近い感じするし、そっちがいい!」
「そ、そうか」
鼻息を立てる弓田の勢いに押されながらも、イチは相槌。
彼女が気にしないというなら、呼び捨てをやめる理由は無い。
「よし。それじゃあ改めて、弓田。まずは学校の放送室で、オレと弓田と綾香以外で誰が生き延びたかを聞かせてほしい」
「ん? 放送室、というと……西村さんたちの4人?」
「プラス、狩村先生だな。特に西村と狩村先生は、喉からの大量出血で生きているとは思えんが、脈が無かったり心臓が止まってることを確認したわけじゃないから……一応な」
最後のあたりで、イチは言葉に詰まった。ためらったからだ。
いくら自分たちを痛めつけた相手でも、知人の死について語らせるのは抵抗がある。
そう思える程度には、イチの弓田への心象は良くなった。
「イチ君がさっき話してたセンジュさんって人から聞いたんだけどね……狩村先生と西村さん、それと丸ノ内君、日暮君は……もう、死んじゃった、って」
弓田の暗い声色を聞きながら、イチは脳裏で状況整理を始めた。
やはり、狩村先生と西村は死亡で確定か。
死因は、綾香に頸動脈をカッターナイフで切られたことによる失血死だろう。
それより、次からが肝心な部分だ。
「丸ノ内と日暮は結局、誰が殺し……とどめを刺したんだ? 綾香が西村を刺した所から、オレは気絶してて見てないんだ」
「……綾香ちゃんが……」
「……やっぱりそうか」
聞きたくなかった名前に、イチは天を仰いだ。
今の弓田の返答で、確定してしまった。黒木綾香が放送室で4人の人間を殺したことが。
それにしても、綾香は小学校生活の中で性格が歪みすぎだ。
1年生の頃の綾香は、西村たちのいじめからイチを庇った事を考えると、曲がったことを許せない真っ直ぐな人物だったのだろう。
そんな綾香の性分は、西村たちに逆恨みの報復を受けた事と、その後もいじめを受け続けたことによって気弱な性格に変わってしまった。
そして6年生9月の今、綾香は西村を滅多刺しにして殺してしまうほどの攻撃性を表に出した。
今の綾香の内面は、一体どうなっているのだろうか……?
「イチ君……大丈夫?」
弓田が心配そうにじっとイチを見ている。
考えていることが顔色に出てしまったようだ。
「……大丈夫だ、話を続けるぞ」
綾香の現状が気になりつつも、ひとまずイチは好奇心を抑えた。
「弓田、気になっていたんだが……寺内はどうなった? 西村の所の4人グループで、まだあいつの名前が出てきてないが」
「寺内君なんだけど……実は、行方がわからなくなってるって」
「……なんだって?」
「んっ。悲鳴を上げながら逃げているのを学校近くでセンジュさんが見つけて、病院に連れて行ったらしいんだけど。病室からいなくなったって。家にも帰ってないみたいで、携帯もつながらないって」
「なんだそりゃ…………む!」
怪訝な声を漏らしながらイチは放送室での事を思い返して、ひとつ、見落としていた可能性に気づいた。
逃げるのに支障をきたすような大怪我を、寺内は負っていなかったのだ。
あの場で寺内がダメージを負ったのは、最初にイチが裏拳で気絶させた時だけだ。
イチの知る限り、寺内は放送室で致命傷を負っていない。
さらにあの時、放送室で寺内は空気と言ってもいい程に目立たなかった。
行方不明の件はともかく、誰にも気づかれずに放送室から逃げることは、気絶から復帰することさえできれば可能に思える。
同時に放送室にいた、暴走する綾香に感づかれなければの話だが。
「行方不明ってことは、寺内は死んではいないってことか。つまり、綾香は寺内にとどめを刺せなかったのか?」
「多分、そうだと思う。寺内君、いつの間にかいなくなってたから。あたしが目覚めた時に、ちらっと扉から誰かの足が見えた気がしたんだけど……今から考えるとあれは、逃げ出した寺内君の足だったんじゃないかと思う」
「そうか……」
弓田の話に、イチは複雑な気分になった。
綾香が殺人の罪を死体1体分犯さずに済んだと考えれば良いニュース。
いじめ主犯格の一人が生き残ってしまったと考えると悪いニュースだ。
「あとは、騒ぎを聞きつけたセンジュさんが放送室にやってきて、救急車を呼んだの。みんなここの病院に運ばれて、治療して……これで、あたしの知っていることは、終わりかな」
「なるほどな……ありがとう、だいぶ整理できた。ついでにもう一つ、聞いて良いか?」
「ん、いいよ。何?」
「放送室でオレが気絶している間、弓田がなにをしていたか……もし良かったら、聞いてもいいか?」
無理にとは言わない、とイチは言外にニュアンスを込めた。
「……なにもしていない。なにも、できなかったよ」
「む……?」
表情を曇らせる弓田を見て、イチは首をかしげた。
口にした言葉以上の、別の意図を弓田が秘めている気がして。
「……綾香が西村たちを殺すのを、止めようとしたのか?」
「ん? どうしてわかっ……そう思うの?」
「ただの予想だよ。友達想いな弓田ならこうするんじゃないかってな」
イチは弓田を、まっとうな道義心を持つ善人と見なしている。
放送室でイチが西村たちを殺害しようとした時、弓田は必死になって止めてくれたからだ。
よってイチは自身の時と同様、弓田が綾香の殺人を止めることも自然だと考えている。
「友達想いだなんて……イチ君、買い被りすぎだよ」
「違うのか?」
「あたしは……そんな立派な人じゃないよ。狩村先生も唯ちー……西村さんも、丸ノ内君も日暮君も、あたしは守れなかったもん。綾香ちゃんに、殺させちゃったもん」
綾香はともかく、西村たちは自業自得だとイチは思う。
「けど、弓田がオレを止めてくれなかったら、今頃オレは西村を殺して殺人の罪を背負っていた」
「あ、あの時はただ……イチ君が、遠くにいっちゃう気がして、それが怖くて……」
俯いた弓田の顔は、明らかに自分を責めていることが伺えた。
それを見て、何気なしに、イチは弓田の頭を撫でた。
「――んぇ?」
突然のイチの奇行に、伏せていた弓田の顔が上がる。
彼女の頭を撫でたことに、理路整然と語れる理由は無い。
なんとか弓田をねぎらいたくなって、イチは自然に行動に出たのだ。
「お前がした事は誰にでもできる事じゃない。弓田は友達想いのすごい人だ。断言してもいい」
あの切迫した状況で自分以外の誰かを想うことができる。それだけでも十分にすごいことだ。
――少なくとも、オレにはできない。
自嘲の思いを秘めながら、イチは最後に、
「……まあ、オレからの褒め言葉なんていらないと言うなら、今の言葉は取り消すけど」
自身の性格上めずらしく、からかい言葉で話を締めた。
「……イチ君のいじわる!」
弓田は楽しげに、悪戯っぽく笑った。
口元が綻んでいて、喜びの空気が感じられる。
失ったものの多い、悲惨な事件の後ではあるが。
それでも、少しだが、弓田の元気な笑顔は戻ってきてくれた。
そんな感慨を抱きながら、イチは弓田とのひとときに没頭していった――。




