11 殺気
――ザクッ、ザクッ、ザクッ。
なにかを掘るような音がする。
薄暗い部屋の中、黒い長髪の女の子が、短髪の女の子に馬乗りになっている。
「あははは……あははッ、あはははは、ははッ」
狂気の哄笑が、黒髪の女の子からあふれ出る。
右手にカッターナイフを握り、短髪の女の子の首めがけ、くり返し振り上げては振り下ろす。
肉は刻まれ、血は飛び散り、床が赤く染め上げられていく。
意識を取り戻した時、イチはこの光景を前に立っていた。
見覚えがある。つい先ほど、この目で見たばかりだから当然だ。
黒木綾香が西村唯にカッターナイフを刺していく、狂気の場面。
当時のイチはこの光景を見てショックを受け、頭が真っ白になった。
倒れて気絶するまで、何も考えられなかった。
だが、今は違う。
あの時と違って疲労の蓄積が無い分、ものを考えるだけの余裕がある。
目の前で繰り広げられる悪夢のような光景に対し、イチは思った。
――ウラヤマシイ。
「……ちょっと待て」
自分の中に湧いて出た考えに戦慄する。
人を殺すことが、羨ましい、だと?
ないだろ、それは。いくらなんでも。
「別に不思議じゃないわよォ」
心を読んだかのように、綾香が話しかけてきた。
かつての綾香とは、別人のような声色と言葉遣いで。
「ケーイチくんだって、西村たちにひっどい目に遭わされたんだからさァ」
いつの間にか、ザクザクというナイフの刺突音も止んでいた。
綾香は西村を刺すことを止めて、ケーイチくん――すなわちイチをまっすぐに見てきている。
「5年前、西村たち4人はケーイチくんへのいじめを繰り返し、ケーイチくんを庇った私までもいじめて晒し者にした」
少女の右眼に、殺意の闇が。
「ケーイチくんがSNS告発作戦で罰を与えたら、4人は卑劣にも直接ケーイチくんを狙わず、庇い立てした私を狙っていじめを続けた」
眼球無き左に、血涙の赤が。
「そして今回。先生までいじめに参加させ、私の左眼を潰し、ついにはケーイチくんの命まで狙った」
怨敵への恨み辛みを、無感情な声音で綾香は口にしていく。
その異様な迫力に、イチは戦慄せざるを得なかった。
恐ろしさを感じさせる絶対的な狂気が、今の綾香にはあるのだ。
「ケーイチくんには、あるんだよォ。殺意を抱く道理がさァ」
綾香は、右手に握るカッターナイフを持ち替えた。
刃をつまみ、イチに向かって柄を差し出した。
ナイフを持てと、綾香は言外に言っているのだ。
「西村たちが憎いと。
許さないと。
消えろと!
死ねと!
地獄に堕ちろと!!
二度と生まれ変わるなと!!
この世からもあの世からも永遠にいなくなれと!!」
声量が、次第に大きくなっていく。
「心の底からそう思っても、なに一つ不思議じゃない道理が!! ケーイチくんには、あるんだよォ!!」
拳を握りしめた綾香が、力任せに床を叩く。
綾香の瞳には、あいつらを許さないという殺意がギラギラと輝いていた。
イチは自分が鏡を見ているかのような錯覚を覚える。
ついさっきまでイチも西村に対し、ありったけの殺意をぶつけていたのだ。
今の綾香のように、言葉のみならず暴力まで行使して。
外側から見る殺意のおぞましさは、イチを心の芯から震えあがらせた。
だが同時にイチは、綾香の殺意と暴力に共感してもいた。
綾香が言ったように、イチも西村に散々な目に遭わされたのだ。
「羨ましい」――イチは、綾香が西村を殺したことに嫉妬していた。
自分の手で西村を殺せなかったことを、イチは心の底から後悔していた。
殺意を肯定し、綺麗事を唾棄する。
そんなドス黒い何かが、イチの心の中で渦巻いていた。
そして、イチと綾香を苦しめ続けてきた全ての元凶・西村唯は。
喉をズタズタの血塗れにしながらも、まだ人の形を保っていた。
「さぁ、ケーイチくん」
誘導されるままに、イチは綾香からカッターナイフを受け取った!
そのままナイフを振り上げ、西村の顔面めがけて――
「それでいいよ、ケーイチくん!!」
思いっきりぶっ殺
* * *
「ぶっ殺してやる!!」
――起きた。
殺意の咆哮と共に、イチは上体を起こしていた。
荒い呼吸を繰り返す。
正常な判断力を取り戻すまで、ただただ呼吸に没頭すること、数十秒。
落ち着きを取り戻してから、イチは状況を整理する。
まず、視界が全体的に暗い。間違いなく今は夜だ。
窓際に下ろされたカーテンに、陽光の明るさは無い。代わりに月光や屋外の照明が布地を透かしているが、太陽の眩さに比べれば雀の涙だ。
ふとイチは、正面の壁に掛け時計があるのを見つけた。指し示す時刻は21時22分。
時間を把握したところで、次にイチは自分の身の回りを確かめる。
毛布のかかった自分の身体を包む、薄い青色の患者服。
尻に伝わってくる、白いベッドの柔らかい弾力。
体の至る所に貼り付けられた点滴のチューブ。
空気から感じる、消毒薬の人工的な匂い。
「……病室か」
どこかの刑事ドラマで、負傷した警官が運ばれた部屋に似ている。
少なくとも今いる場所が、意識を失う前にいた学校の放送室ではないのは確かだ。
それより、先ほどまでイチが見ていた放送室の光景は一体なんなのか。
西村にカッターを刺し穿つ綾香が、自分にカッターを差し出して、そして――
「……夢を、見てたのか?」
だが、どこまでが現実で、どこからが夢だったのか?
今のイチは、正確な線引きができる自信がない。
「……すぅ……はぁ。すぅ……はぁ」
とりあえず深呼吸して、イチが平常心を取り戻そうと試みはじめた時。
「……驚いたよ。小学生の子供が放っていい殺気じゃなかった」
イチ以外の何者かの男声が、病室に響いた。
「誰だ? ……あ」
声の方向に目を向け、見覚えのある少年を見てイチは息をついた。
\ /
〇 〇
ロ
↑その少年は、こんな顔をしていた。
正しく表示されてない読者諸君にも解説すると。
目が 〇 で。
口が ロ で。
眉毛が \ と / の少年がいた。
「よう。俺は葉月センジュっていうんだ。よろしく」
「――!」
センジュと名乗った変顔の少年がしゃべるのを見て、イチは驚く。
さすがにいつも変顔でいるわけではないらしい。口の動きは感情と連動した、普通の人のものだ。
その一方で、目は〇の形ままだが。どんな表情筋しているのやら。
「赤川桂一、ひと呼んでイチ。よろしく」
とりあえず、イチも返答する。
名乗られた以上はこちらも名乗らないと失礼だ。
「おう。一応、俺は医師の許可は貰った上でここにいるが……。会話して大丈夫か? 休みたいなら出直すが」
「……いや、大丈夫だ」
頭に巻かれた包帯をいじりつつ、イチはセンジュを見る。
14歳前後の体格、餅のような頬袋、頭頂部の跳ね毛、なによりギャグ漫画みたいな丸い白目の変顔……。
「センジュさんといったか。もしかしてオレの事を唐竹第一小学校でジロジロ見なかったか?」
確認の言葉を出しながらも、イチはほぼ確信していた。
ここまで特徴的な顔はそうそういない。記憶違いとは思えない。
「おお、よく覚えてたな! ……なんかとげとげしいけど、俺ってもしかして嫌われてる?」
「当たり前だ。そもそも家族でも友人でもないのに病室にいる時点で怪しすぎる」
「わっはっはっは! 細かいことは気にするな、俺とお前さんの仲じゃないか!」
「赤の他人だろ。仲もクソも無いだろ」
「わーっはっはっは!」
高笑いするセンジュに嫌悪感を覚え、イチはセンジュへの好感度を落とした。
こういう馴れ馴れしいノリは好きになれない。
「よし、順を追って説明しよう。まず、ここに俺がいる理由についてだが、お前さんを含む学校の怪我人に救急車を手配したのが俺だからだ」
「えっ」
救急車の単語に反応し、イチは弓田美優と黒木綾香を思い浮かべた。
左の眼球を失った綾香はもちろん、弓田も狩村先生からマイクスタンドの一撃を喰らって大怪我を負っていたはず。
「ちょっと待て、綾香と弓田は大丈夫か!? 大丈夫なのか!?」
「うおっ、いきなり来たな!」
「黒いロングヘアーの女の子と、蜜柑色のポニーテールの女の子だ。あいつらは無事か!?」
体のだるさを根性で殺し、イチは身を乗り出して語気を強めた。
二人の安否の確認はなによりの最優先事項だ。
「待て待て、落ち着け! 順を追って説明するって言ったろ!」
センジュはコホン、と一度咳ばらいをしてから話を再開した。
「まず! ポニーテールの子、弓田美優は昨日意識が戻った。命に別状は無いそうだ。後遺症が残るかどうかは、治療中につき今はまだ不明だ」
弓田の現状を聞かされて、イチはわずかに安堵を覚える。
後遺症の可能性がまだあるとはいえ、ひとまず弓田の命は助かった。
「それで、綾香の方は?」
「黒髪ロングの方だな」
センジュの確認に頷いて肯定しながら、イチは準備を整える。
悪夢のような現実を受け入れる心の準備を。
「黒木綾香も今から3時間ほど前に目を覚ましたらしい。眼球を失った左眼は……義眼をはめ込んで痛みを和らげる治療をしている。視力の回復は残念ながら不可能だそうだ」
「……そうか」
左眼の視力の回復は不可能。その報告に、イチは胸を痛める。
そりゃそうだ。一般人に手が届く医療技術に、眼球を失った眼に光を与える魔法が存在するはずも無い。
落胆はイチの中でやがて、自分の無力さへの怒りに変わる。
放送室にもっと早く到着していれば。
謎の異能・赤電の覚醒がもっと早ければ。
そもそも、綾香にいじめが行われていたこと自体を、もっと早く察知できていれば。
ここまで事が大きくなる前に、できることは山ほどあったはずなのに。
小学1年から小学6年という、膨大な時間まであったのに。
「……おい、大丈夫か? マジで顔色が悪いぞ?」
センジュが心配そうにイチを見てきた。眉をハの字にしている。
落ち込んでいるのが表情に出てしまったらしい。
イチは両手で自身の頬を叩き、気を引き締めてからセンジュに向き直った。
「……大丈夫だ。それよりセンジュさん、救急車を呼んでくれて感謝する。おかげで綾香も弓田も、命が助かった」
「お、おぉ……コホン。わっはっは、気にすんな! 俺はたまたま――」
センジュが話している途中で、ガララッという物音が聞こえた。
引き戸が横に動き、見慣れた蜜柑色のポニーテールが目に入る。
「イチ君! 意識が戻ったって!?」
この『イチ君』呼び、まごうことなき弓田美優。
イチと色違いの、薄いピンクの患者服に身を包んでいる。頭に巻いた包帯が痛々しい。
だが、活力に満ちた弓田の声と表情は今のイチには清涼剤だ。
元気が伝染してきて、実にありがたい。
弓田はスリッパをぺたぺた鳴らしながら、走って……ではなく、早歩きで病室内にあがりこみ、センジュに視線を移す。
「ん? ごめんなさい。お話中でしたか?」
「いや、俺の本題は優先順位が低めだから後回しでいいよ。事件の詳しい現状は、友達のお前さんから話したほうがいいだろうしな。赤川君も、それでいいか?」
「……構わない」
センジュの言う本題に興味はあったが、彼の提案は歓迎できるものなのでイチは受け入れた。
「それじゃ! まったね~」
おどけた別れの言葉と共にセンジュが病室内を後にすると、代わりに弓田が椅子に座り、イチと向き合った。




