01 赤川桂一、ひと呼んでイチ
『人さらいの車に乗せられたら、アクセルを踏んで事故らせろ』
これが赤川桂一――通称イチが、初めて知識に刻んだ母の教えだ。
幼い頃、イチは母から「自分だけでも生きていけるように」と、生活の知恵と身を守る術を徹底的に叩き込まれた。
自炊の仕方からはじまり、金の使い方、ネットの使い方、読書を通じた国語能力の習得、最低限の社会常識、悪い大人の撃退法、基礎体力の強化、ケンカの勝ち方、勝負のかけ引き、etc――
「一人で生きていく」というテーマにそったあらゆる知識や技術を、虐待じみたやり方で徹底的に詰め込まされた。
異常な教育が始まる前の、優しかった母親はもういない。
ある日いきなり訪れた母の変貌に、当時のイチは戸惑った。
だが教育が進むにつれイチの幼い内面は強引に矯正させられ、最終的に子供としての幼さは枯れてしまう。
そんな日々を経て、イチが7歳の誕生日を迎えたころ。
父と母が、イチを自宅に置いて仕事で外国に行く事を告げてきた。
イチは少しドキリとしたが、さほど驚かなかった。
理由は2つ。
まず、当時のイチは金さえあれば両親がいなくても生活に困らない位には生活力に自信があったから。
そしてなにより、今までの教育方針が“一人で生きていく”ことをテーマにしていた事から、イチはいつか両親と離れることを感づいていたからだ。
ゆえにイチが離別の話を聞かされた時の心境は疑問でも悲しみでもなく、「いよいよこの日が来た」という覚悟だった。
父から仕送りという金銭的支援が行われることになるため、これは完全な自立とは言えない。
だがイチの心は、親の愛に溺れる一般的な7歳児に比べれば、十分に自立していると言ってよかった。
「大丈夫だ。オレは独りでやっていける」
そんな自信が、今までの教育が根拠となってイチの心を満たしていた。
だが――結論を先に言うと、その自信は誤りだった。
後にイチは、自分に決定的に欠けているものがあると思い知る。
両親から教わっていないもので、なおかつ社会を生きる上で重要なもの。
コミュニケーション能力。
* * *
イチは人と接する力が同年代の子供にくらべてかなり乏しかった。
7歳まで母からいささか特殊な教育を受けていたイチは、幼稚園に行ったことがない。
価値観のほぼ全てが母から教わったものがベースで、他の人の価値観にふれたことなど今まで無かった。
アニメの話題、漫画の話題、ゲームの話題、スポーツの話題、芸能人の話題、自警団の話題――子供たちの話題になにひとつイチはついていけない。
小学校で同世代の子供と初めてふれあって、初めてイチは他人と自分の育ちが違うことを痛感した。
クラス内でイチが孤立するのに、そう時間はかからなかった。
イチがいじめの標的となるのも、早かった。
後ろの席から丸めた紙くずを投げられたことが始まりだ。
上履きを隠され、画鋲をいすに仕込まれ。
昼休み中に寝ている所を後ろから針で刺されるという仕打ちも受けた。
クラスで友達ができない事には別にイチは不満は無い。
だが、いじめというくだらない嫌がらせがはびこる日々はさすがに不快だった。
「まぁでも……放っておけば、いつかいじめっ子たちも飽きるだろ」
当時そう判断したイチは、いじめに対し様子を見ることを対応策とした。
荒っぽいやり方でいじめに反撃できなくはないが、準備が必要で手間もかかる。
穏便に済ませられるなら面倒がない分、それに越したことはないからだ。
だが結論から言って、その判断は間違いだった。
いじめっ子はいじめに飽きるどころか、エスカレートさせていったのだ。
まるでゲームでも遊んでいるかのように、いじめっ子たちはイチをいじめ続けた。
新しいいじめの方法を試して、イチの嫌がる反応を楽しんで、もっと別の反応を見たいからまた新しいいじめ方法を試す。
いじめっ子は、イチに対するいじめの試行錯誤を楽しんでいたのだ。
イチがいじめに無反応でいようとする態度も、止めるべき大人の目をかいくぐるという難題も、いじめというゲームを盛り上げるゲームギミックでしかない。
なにより、いじめっ子はまだ小学1年生の子供だ。
一度ハマったおもちゃを手放すという発想が存在しない。
ここがイチにとって最大の誤算だった。親の価値観にしか触れてこなかったがゆえに、子供の無邪気な残酷さを想定できなかったのだ。
やがて夏休みを挟んでもいじめが続いたことで、イチは自分の判断が間違っていたと考えを改め、
「……もうオレは十分、我慢したよな」
もはや情けは無用と判断し、反撃の準備にとりかかる――
* * *
いじめが始まってから累計4ヵ月ほどになった頃。
いじめっ子の主犯4人にからまれているイチを見かねて、庇ってきた生徒が一人現れた。長い黒髪にV字の前髪が印象的な女の子だ。
イチは彼女を心の中でV子と呼ぶ。
名前を思い出せないからだ。
教室内の他の生徒たちが見て見ぬ振りでいじめをやり過ごす中、V子は動いた。
イチが4人に押し付けられた宿題を渡す光景を見るや否や、グループの中心にいる白いカチューシャの女子に近づき、注意したのだ。
「西村さん、いい加減にしなよ! 自分がされて嫌がることを人にしちゃ駄目!」
注意された女子――西村唯は、V子に薄笑いを返した。
真面目に注意を受け取めた様子は一切無い。
「なにー、なんのこと言ってんの?」
「とぼけないで。あなたたち、赤川君に自分の宿題を押し付けてるでしょ!」
イチは心が震えた。同世代の子に初めて名前を呼ばれたからだ。
V子の注意に西村は顔をしかめるも、すぐに嘲弄混じりのニヤケ面に戻った。
「違うよーん。あたしらは赤川にノートを親切に貸してやっただけ。ねぇ、そうでしょ?」
西村は視線を後ろに向け、仲間の男子3人に同意を求める。
西村の主張は見え透いた大ウソだ。V子の言う通り、イチはいじめグループの4人に宿題を押し付けられていた。
だが西村はグループの同意を声高に主張することで、数の暴力で自分のでまかせを真実としてゴリ押しする気でいる。
ここ4ヶ月、今までイチにやってきたのと同じように。
「つか、なぁにあんた。ムキになっちゃって。ひょっとして、赤川の事が好きなの?」
クスクスと薄笑いを浮かべ、V子を挑発する西村。
グループの残り3人も同調して下品な笑みを見せる。
まじめな話をする空気をぶちこわしにする4人の態度に、そろそろ諦める頃合いかとイチがV子を見た時。
「ふざけないで!!」
その一喝は、軽薄な空気はぴしゃりとねじ伏せた。
「あなたはちょっとした悪ふざけのつもりでも、赤川君は傷ついてるのよ! やり返さないから何をやってもいいとでも思うの!? クラスの仲間を一体何だと思ってるの!?」
小細工なし。真っ向勝負を絵に描いたようなV子の糾弾。
西村はもちろん、庇われてるイチも面食らう。
それだけでは終わらず、V子の非難は西村のお仲間の男子3人にも飛び火する。
「あなたたちも、いつまで赤川君にこんな事を続けるつもり!? 間違ってることをしてるって本当はわかってるでしょ!」
理性に訴えかけるV子の非難は、取り巻きの男子3人に戸惑いを生む。
もはや悪ふざけの理屈を通せる空気は、この場から消えていた。
「……うざ」
短いつぶやきを残し、西村は背を向ける。
そのまま西村は歩いて教室から出ていく。彼女にならい、残りのいじめグループの男子3人も退散していく。
4人が教室からいなくなった直後、周囲からわっと歓声と共に拍手が沸き起こった。
この一幕が周囲の生徒たちの感動を呼んだらしい。
カッコよかった、スカッとした、痺れた。口々に褒めちぎられてV子は嬉しそうに照れ笑いを浮かべる。
だが、一方で。
「………………」
V子に庇われたイチの表情は暗い。
イヤな予感がするのだ。
忌々しげに舌打ちして去った西村の様子からして、彼女にV子の叱責が響いたとはとても思えない。
「むしろ、今のやり取りで西村の敵意は……オレだけでなく、V子にも向かったんじゃないか?」
そんなイチの不吉極まりない予感は――数日後、当たることになる。
* * *
その日は、朝礼前の教室がやけに騒がしかった。
何事かと思ってイチは中に入ると、黒板に大きな絵が描かれているのが見えた。
明らかに人を貶める悪意に満ちたその絵を見た瞬間、イチは騒動の原因は絵だとすぐに理解した。
黒板の中央に大きく描かれた――イチとV子の、相合傘の絵。
そして、どんな経緯があったのかは知らないが、この黒板の絵のことでV子はクラスメメイトほぼ全員にひどい仕打ちを受けていた。
ある者はV子を激しくからかい、嘲笑った。
ある者は彼女をカースト最下層として見下し、優越感を得た。
ある者は彼女への仕打ちに同情的ではあるものの、巻きぞえを嫌って彼女を遠ざけた。
公開処刑と言っても過言ではなかった。
『――クラスの仲間を何だと思ってるの!?』
自分を庇ってくれた時にV子が言ったことの一部を思い返し、その言葉と相反する光景を前にイチは内心で愕然とする。
「仲間だと思っていたのは、V子の片思いだった……!」
クラスの仲間からして見れば、V子がいじめっ子と対決しようが、イチと相合傘を描かれて嘲笑されようが、面白ければなんでもいい。
道義的に正しいかどうかなんて、どうでもいいのだ。
築き上げた人間関係に裏切られるあまりの仕打ちに、V子は泣き崩れていた。
わんわんと、声を枯らしながら泣いていた。
数分後、教師があわてて飛び出して事態の収束を計ったことにより、表面上はひとまず騒ぎは収まった。
だが暗黙の中で、クラスの生徒たちは理解した。
相合い傘の絵は、西村たちの報復だ。
V子がイチをいじめから庇った事が、気に入らなかったのだ。
大泣きするV子の姿は、いじめを止めようとする生徒がどんな目に遭うかをを示す見せしめになった。
いじめを止めようとすれば、V子の二の舞になる。
クラスの誰もがそう考えただろう。
悪いニュースはさらに続く。
例の相合い傘事件の後、V子の周囲の環境は酷く悪化していったのだ。
事件以前のV子の友人はみんな彼女を避けるようになった。
代わりにV子に近寄る生徒は、彼女をからかうか見下すかのどちらかでしかない。
侮蔑と嘲弄しかない周囲の環境に、V子は目に見えて弱っていった。
その一方で。
相合い傘のもう片方たるイチにも不快な視線は飛び火していた。
ただ、イチ自身は周囲を気にしない性分ゆえにほぼノーダメージだった。
だが、絶望の目で学校に通うV子を見て、何も感じなかったわけではない。
「……オレのせいだ」
イチの心の中で、ある変化が起きていた。
「V子が傷ついたのは、オレのせいだ。V子の心が殺されたのは、オレのせいだ」
心胆の奥底で、ドス黒いなにかが煮えたぎっていた。
「もっと早く、オレがあいつらを潰していれば。もっと早く、オレがあいつらを片付けていれば……!」
* * *
実はイチは2学期以降、西村のいじめグループを撃退するために、ある秘策の準備を取り進めていた。
いじめに遭うたびに、イチは証拠となるものを記録媒体に収めていたのだ。
無理矢理やらされた宿題や、靴に入っていた画鋲などの異物はカメラに記録。
チャンスがあればボイスレコーダーも使い、いじめっ子の不快な暴言も録音した。
全ては、来たるべき反撃の日のための準備だ。
イチが母から教わった悪い大人のやっつけ方に、「事態を大きくする」というものがある。
大人というものは世間体を気にするから、そこを突けば味方になる良い大人を見つけたり、悪い大人が自ら退く状況を誘発できる。
『人さらいの車に乗せられたら、アクセルを踏んで事故らせろ』
――周囲の大人から見て見ぬ振りという選択肢を奪える上、目立つことを嫌がって人さらいは逃げるから。
大人を動かすには、事態を大きくして注目を集めるのが結局一番てっとり早い。
もっとも、同じ論理がいじめっ子にも通用するかどうかはイチにとっても賭けだったが。
* * *
1月上旬の某日。
来たるべき反撃の日の朝。イチの自宅にて。
テーブルの上に並んだ、6台の高性能パソコン。
その中央の一台を前に、イチは立っていた。
「もし、準備がもっと早く終わっていれば。反撃がもっと早くできていれば。V子も、あんな目に遭うことは無かったか……?」
そんな事、考えても仕方ない。過去は変えようがないのだから。
感慨もそこそこに、イチは着席して画面を見る。
液晶に映る復讐アプリの処理過程にはエラーの類は無く、順調。
このアプリこそが、今日の為に用意したイチの切り札だ。
努力の甲斐あり、ここに至るまでいじめの証拠は十分に集まった。
今イチは、西村たちの過去のいじめを証拠画像付きで糾弾する動画を、復讐用アプリを用いてSNS上の至る所にアップロードしているのだ。
名付けて、『SNS告発作戦』と言った所か。
「…………」
容赦する気は、微塵も無かった。
イチ自身のみならず、V子まで傷つけておきながら、のうのうと日常を過ごす西村たちに報いを受けさせる。
SNSアカウントとPCをできるだけ多く用意し、大量の投稿を一斉送信する数の暴力で、規約違反でアカウントが全部使えなくなる瞬間まで。
めいいっぱいの呪いを込めて、メッセージを叩き送ってやる。
「唐竹第一小学校の西村唯、丸ノ内竜、日暮慎二、寺内洋介は犯罪者予備軍だ」
* * *
結論から言うと、イチのSNS告発作戦は期待以上の成果が出た。
西村のいじめグループ4人は全員、生徒たちから嫌悪の目にさらされた。
事が大きくなったことで学校側はいじめを放置できなくなり、4人は厳重注意および4ヶ月の出席停止処分を受けた。
対して、西村たちのグループ4人は自分はいじめをやってないと白を切ろうとした。
だが、それは無駄な抵抗に終わる。
イチが公開した物的証拠は、いじめが存在したこと自体は証明している事。
言い訳のきかない所までいじめが悪化するのを待ってから、SNSに告発したタイミングの良さ。
もともと学校内の誰もが、西村たちがいじめの主犯だと薄々わかっていた事。
以上3つの要因から、誰一人として、西村たちに好意的な目を向けることは無かった。
最終的に西村グループの4人は、イチが仕掛けた「犯罪者予備軍」のレッテルを受け入れざるを得なくなってしまう。
これにて、形はどうあれ西村たちはいじめの報いを受けたわけだ。
ところで、報いの実行役となったイチがどうなったかというと。
相変わらず、学校内で一人ぼっちの状態でいた。
SNS告発作戦が全てイチによって行われたことは、生徒はおろか先生も気づいていない様子だった。
いじめを受けていた子がイチに感謝することなど無いし、いじめグループを退治したことでクラスメイトがもてはやす事も無い。
「……だろうな。想定内だ」
誰かに感謝されるためにやった訳じゃない。イチは元々自分がいじめを受けていたからこそ、反撃しただけのこと。
V子のかたきを討つような形になったのは、意識してなかったわけじゃないが、あくまで結果論だ。
そもそもイチの生活に支障をきたしていたのは、いじめであって孤独ではない。
だからイチは西村たちいじめグループへの対策は立てても、学校で友達を作れないことについてはノータッチを貫いた。
なにより、この頃にはもうイチは孤独に慣れはじめていた。
いじめに遭いつづけたことで人付き合いにうんざりしたイチは、他人のことを考えずにすむ孤独に心地よさすら覚えていた。
「オレは独りでいい。孤独で一向に構わない……」
こうしてイチにとって孤独は、ホームグラウンドとなったのだ。
※警告※
この作品に、ネット上の誹謗中傷を推進する意図は全くありません。
SNS上に限らず、悪口で他人を傷つける行為をするのはやめましょう。
私も、日頃の言葉遣いには気をつけるよう心掛けます。言葉ってこわい。
短編「葉月センジュにヒーローは似合わない」をプロトタイプとした作品です。




