【第一話】よろしくベクター
ある日、一人の少年の命が無慈悲にも奪われた。ある者はドライバーが悪いと画面越しに言い放ち、またある者は少年が悪いと無神経に批判した。遺族は哀しみに暮れ、路上で手を合わせる者は彼が正しく神に導かれることを願った。しかし、祈りは彼には届かない。何故なら彼はそこにいないからだ。
彼は新たな場所で新たな生命を与えられていた。その結果、幸か不幸か彼は見知らぬ世界で新たな人生を歩む事となる。
「う・・ぅあ・・・。」
男女数名の話し声と、埃と火薬の入り混じった癖のある臭いが意識を徐々に鮮明にしてゆく。そこから目が覚めるまでさほど時間は掛からなかった。
「・・・ここは?」
「あ。起きたわね。」
目を開けると、スラヴ系の色白で整った顔立ちの女性がストレートの金髪を垂らして、宝石のようなグリーンの瞳で俺の顔を覗き込んでいた。はっきり言って超が付く程の美人だ。モデル?いや、ハリウッドスター並かも知れない。さらに彼女の長く尖った耳が彼女自身の現実味をさらに薄めている。まさしく王道エルフといった顔立ちだ。呆然と女性の顔を眺めていると彼女が口を開く。
「寝たままで構わないわ。自分の名前、年齢、職業、誕生日はわかるかしら?」
「え?あ・・・。」
・・・出てこない。普通はすぐに答えられるはずなのに。
「・・・わからない。」
「そう。」
女性は無愛想に返事をし、背を向ける。どうやら病院のベッドで寝ていたらしい。あの病室特有の薄っぺらい服も着ている。しかもパンツも履いていないから余計にスースーする。女性の服装はいかにもな戦闘服だ。黒い長袖の上から頑丈そうなベストを装備し、右太腿のハンドガンや肩から掛けたサブマシンガンなどからジャキジャキと金属音を立てて去ってゆく。その後、女性は奥にいた二人の男性と話し始める。片方は普通の人間の容姿だ。ベリーショートの赤毛と無精髭、そして眼鏡の奥のにこやかな細目は一見好印象だ。しかし、白衣を羽織っているせいか何を考えているのかわからない少し不気味な印象を受ける。もう片方はあからさまにオークといった容姿だ。その巨体と筋肉量の多さは、たとえ彼が椅子に座っていてもよく分かる。また、厳つい顔立ちとブルーの瞳は相手を威嚇するのにもってこいといった感じだ。さらに、彼の皮膚は緑がかっており、体のパーツひとつひとつが常人の一回りか二回り程大きく見える。そんな容姿にも関わらず、金髪のサイドを刈り上げて、ショートカットに仕上げた現代的なヘアースタイルでネイビーのスーツを着こなす姿はかなりシュールだ。何故その大胸筋でシャツのボタンが弾けないのか不思議でしかたない。
彼らが話している間に辺りを見回す。一見すると一般的な病室だが、俺と彼ら以外に人は見当たらない。さらに窓ガラスは幾つか割れており、カーテンもボロボロ。布団は埃臭く、ベッドフレームは点錆などの劣化が目立つ。西日が強烈に差し込んでいるはずなのに部屋は薄暗く、部屋の角には蜘蛛の巣が張ってある。多分、寂れた病院がそのまま放置されればこんな感じなんだろう。ノスタルジックと言うのにふさわしい。
そんなふうに辺りを見回していると、下から話し声が聞こえてきた。気になって下を覗くと四つの靄同士が会話していた。不思議なことに靄の会話を聞こうと耳を澄ますと靄が鮮明になってゆく。耳を澄まして、靄の会話が聞き取れる様になるとそれらが人間の形をしていることに気づく。・・・もしかして本当に下に人がいるんじゃないのか?靄同士の会話は続く。
「目標はターゲットの奪還。ターゲットは20代男性で東アジア系の人間だ。写真をよく見とけ。護衛は三人。エルフの女とオークの男、あとは医者の人間だ。全員確実に始末しろ。確認したいことはあるか?」
「ターゲットは死体でもいいのか?」
「生きたままが理想だ。死体でも構わんらしいが報酬は半分らしい。」
「報酬はどう分ける?」
「終わってからでいいだろ。」
「違いねえや。」
ターゲット?奪還?始末?・・・いやな予感がする。おそらくターゲットとは俺のことで護衛の三人ってのは目の前の三人だろう。『死体でも構わんらしい』ってことは殺される可能性があるってことだ。死にたくないし、彼らが殺されるところも見たくはない。迷わず伝えるべきだろう。
「えっと・・おい!そこの人!」
会話を中断した三人の目線がこちらへ移る。
「どうした?なんかあったか?」
屈強な緑の男が目の前に迫って来る。口調から彼は威圧する気がないことは明白だが、それでも圧迫感を感じる。
「・・あ、ああ。下から声が聞こえるんだ。ターゲットを奪還とか護衛を始末とか。しかもその方向に人みたいな白い靄が見えるんだ。・・・ここは大丈夫なのか?」
それを聞いた三人は顔を強張らせる。
「・・・それは本当か?」
「本当だと思うよ。彼は転生して記憶を失ってるはずだし、嘘を付く理由がない。それに彼の体にはかなりの魔力が入ってるし、幾つかの魔法陣も刻印されている。もしかして察知系魔術の類いじゃないかな?」
後ろの医者が大男の背中越しに答える。女性はその間に銃器の弾倉を確認している。次に口を開いたのはその女性だ。
「考えるのは後よ。その靄の数と大きさは?」
「数は4つでサイズが大体これぐらい・・・かな。」
「・・・サイズ的にまだ一階ね。テオ行くわよ。非常階段にトラップを仕掛けてエレベーターホールで待機。エレベーター到着直後にフラッシュバンを投擲、抵抗するようなら射殺、抵抗しないなら拘束後、依頼主を聞き出すわよ。ロンは部屋に鍵を掛けて待機。私が指示するまで開けないように。」
「了解」
「了解」
女性と大男が小走りで病室を去り、いつの間にか拳銃を手にした医者が内側から扉の鍵を掛ける。映画のワンシーンみたいだ。俺自身の身も危うい状況なのに興奮が抑えられない。生きている実感が心の奥底から湧いて来る。なんでこんな気持ちになるのかはわからないが、確実に前の俺が体験したことないような高揚感だ。・・・ん?前の俺?
病室が静寂に包まれる。・・・しばらくすると近くで爆発音が鳴った。それを皮切りに絶え間なく銃声が鳴り響く。音のした方を向くと靄がより大きく、鮮明になっていた。最初は四つと二つの計六つの靄が存在していたがひとつまた一つと消えていく。靄が消えていくにつれ、徐々に銃声も減ってゆき、ついに手前の二つの靄を残して銃声が止んだ。二つの靄が病室に近づいて来る。俺はその奇妙な光景を眺めながら聞きたいこと、言いたいことを頭の中で整理する。
「ロン、開けてくれ。」
医者が鍵を開け、扉を開くと鼻につく臭いが病室に広がる。火薬の臭いだ。
「お疲れ様。流石は我らがパーティーリーダーだ。」
「それはどうも。それより彼と少し話がしたいのだけど。」
「・・・さっき話してたことか?俺たちは異論ないがギルドの連中になんて説明するんだ?」
「そのとき考えるわ。」
どうやらあっちも何か話があるらしい。先に質問を切り出そう。
「脅かして悪かったわね。大丈夫だったかしら?」
「ああ、大丈夫だ。・・・ところで俺は一体何者なんだ?」
女性は少し驚いて、微笑んだ。いや、微笑んだと言うより思い通りにことが運んで少し嬉しいと言った様子だろうか。
「実は私たちもあなたのことはよく知らないの。でもこれからあなたの正体を探る予定よ。そこで提案なんだけど、これから私のパーティーメンバーとして働いて欲しいの。ラッキーなことにあなたは使える人材よ。あなたがここで働けば私たちは優秀な人材を確保出来るし、あなたは自分の正体を探りながら、その能力を存分に発揮して、この世界での生き方を学ぶことができる。ウィンウィンの関係ってやつよ。悪くは無い提案だと思うけど、どうかしら?」
彼女が右手を差し出す。これから自分はどうしたらいいのか聞くつもりでいたが最早その必要は無くなった。彼らについて行き自分の正体を探る。それこそが今の俺のなすべき事だ。興奮冷めやまぬまま彼女の右手を掴む。
「その提案、乗った。どっちみち他に出来る事なんてないし。これからよろしく・・・えっと・・・。」
「ニカよ。そっちのデカブツがテオでそっちの胡散臭そうなのがロンね。あと一人カツジってやつもいるわ。変人だけど悪いやつではないわよ。あとで紹介するわね。」
「テオだ。戦闘と交渉を専門にしている。ギルドガルシア、ウィルフルへようこそ。これからよろしくな。」
「ロンだよ。治療と情報収集がメインだから戦闘以外のことなら何でも聞いてくれ。改めて、よろしく頼むよ。・・・あ。なんて呼べばいいかな?自分の名前がわからないんでしょ?」
「《ベクター》でいいんじゃねえか?右手の甲にコードネームベクターって書いてあったんだし。」
テオに言われて右手を捻り確認すると、確かに入れ墨でいろいろ書かれている。Five Guardians project No.3 chord name “vector”. その下に幾何科学的な模様と読めない文字で構成された謎のシンボルとテレビを模した扉を開けるコミカルな男の絵が刻印されいている。・・・なんだこれ?
「どうした?ベクターは嫌か?」
「ん?いや、いいんじゃないかな?ベクターで。」
「そんな他人事みたいに・・・。お前の名前だぜ?」
「お話もいいけどそろそろギルドに戻るわよ。私はベックのことをギルドマスターに話すから運転はテオがお願い。ロンは死体専門のギルドに依頼しておいて。」
どうやら俺の名前はベクターで確定らしい。まあ、コードネームって響きがカッコいいし満更でもないが。気がつけば日がボロボロのビルの間に沈みかけており、冷たい風が興奮気味だった頭を冷やす。確かに俺は自分が何者なのかを知りたいし、ここでの生き方も学ばなくてはいけない。しかし、ふと冷静に考えると少し強引ではないだろうか。ロンは魔術がどうとか言っていた。魔術を使えるからスカウトしたのだろうか?エルフやオークが居る世界で?いや、テオもニカも銃火器を使っていた。ってことは魔術は珍しいもの?それに転生とか記憶がないみたいなことも言っていた。何か知っているみたいだけど。それに『ガーディアン』や『No.3』、『コードネーム』ってどうゆうことだ?・・・考えても答えは出ない。漠然とした不安だけが頭の中を交錯する。きっと彼らにも何かしら俺に言えないこと秘密があるのだろう。
「いつまでボーっとしてるの?行くわよ。」
「・・・!ああ悪い。少し考え事してた。」
ニカに先導されて病室を出る。転生と聞いて真っ先に思い浮かぶのはやはり異世界だ。エルフもオークもいるし、魔術もあるらしい。でも普通記憶は残ってるもんじゃないのか?それに異世界にしてはやけに近未来的だ。わからないことが多すぎる。
・・・くよくよしていても仕方ない。成り行きとはいえ、俺はこの世界でベクターとして生きなければならなくなった。だからこそ、ベクターとは何者でどんな生き方をするのか知らなくてはいけない。これから出会う人たちはきっとベクターのことを知っているだろう。彼らからベクターとしての生き方を学んでいけばいい。厳しい道のりかも知れないがきっと大丈夫だ。
「・・・よし!」
覚悟はできた。これからよろしくベクター。
I am vector.第一話を読んで頂きありがとうございます。
そして、皆さん初めまして。今後ともよろしくお願いします。
新年に入り、何かしら新しいことを始めたいと思って執筆を始めました。学生特有の妄想力を大爆発させながら執筆しているため謎のこじつけや辻褄の合わない描写などを発見することと思います。そうゆう時は見下しながら「クソガキ・・・。」と蔑んで下さい。作者が悦びます。
話をI am vector.に戻しますがこの回は主人公の目標の設定とこれからの伏線に重きを置いています。本当は伏線とかはもっとカッコよく描写したかったのですが、上手くまとめられませんでした。分かりきっていたことですがやっぱり難しいですね。精進します。
もう既に物語全体の構成は完成しているため伏線が回収されずに終わることは有りません。ですのでのんびり気長にお待ち頂ければ幸いです。また、一話一話も短めにしてあるので他の異世界物のついでぐらいの気持ちで読むとちょうどいいと思います。
最後に、私の作品が肌に合わないと感じた場合は直ちにブラウザバックする事をお勧めします。面白半分で自分の肌と合わない小説を読み続けると体調不良や情緒の崩壊など実生活に支障をきたす恐れがあります。本当にお気をつけ下さい。
私の作品が気に入ったという方は繰り返しになりますが、本当にありがとうございます。かなり長いお付き合いになるかと思いますが今後ともよろしくお願いします。