第百十一話 大西さんからの手紙
山中幸盛は「北斗」の平成二十年十二月号から同人会員として参加した。その翌年二月に、挨拶がてら拙著を大西亮さんに郵送したところ、返礼の手紙をいただいたので、ここに無断で全文を掲載させていただく。(A4ワープロ感熱紙に印刷してあるため、文字がずいぶん薄く、消えかけている)
拝啓
春立つとはいえ、まだまだ寒い日が続きます。ご機嫌いかがですか。
さて、御著『妻は宇宙人』を読ませていただきました。一口で申しますと、たいへんに面白かった。小説は面白いということが第一だと思います。そして、いろいろなことを考えさせていただきました。
考えされられたのは、あなたは自閉症、なかでもアスペルガー症候群についてたいへんお詳しいということです。それは、妻がそれに該当することから必要上学習されたようですが、それにしても、小説を書くためにずいぶん勉強されるのですね。あとがきで「真実を知った者が果たすべき社会的責任……」とありますが、この視点は重要だと思います。わたしも、読後関心を持ったので、さっそく図書館で六~七頁で紹介されている本など3冊を借りてきて、今読んでいるところです。
恵理の誘惑に負けまいと、家族の平穏を守るべく頑張るのですが、所詮男は男ですね。恵理との不倫に至るまでの妻との板挟みの苦しさもよく描かれていると思いました。妻は疑うことを知らず、それだけに余計に苦しむわけですね。第五章は削ってはいけないと思います。読者へのサービスでもありますが、やはり恵理との交情を描く上で必要でしょうね。欲をいえば、妻との淡泊な性行為との対比をもっと描くといいのかなとも思いました。
釣りについてもお詳しいですね。地名が出てきてイメージ化できてよかったです。古和浦が出てきましたが、わたしは昭和三〇年代そこに3年住んでいました。
これもフィクションかも知れないが、配管工としての労働の大変さもよくわかりました。一度、配管工の仕事を通して見た工事先の家庭の裏事情などを短篇にされたらいかがですか。いいものが書けると思いますがね。
邦彦の自閉症のことがわかっても、特に家族が暗くならず、四人が明るく生活をする様子にほっとしました。つい、暗く悲観的に書いてしまうものですがね。
一七六頁に出てくる日野市のM・M氏というのは、村上政彦氏ですか。平成2~5年頃5回も候補になりながら、実に残念でしたね。今は何をしながら書いているのでしょう。このごろ作品を見かけないなあと、思っていたところです。彼は「海燕」新人賞の出ですが、「海燕」がなくなったのが不運でしたね。
あなたは公募で第1次に7作品も通過させたというのは、すごいですね。筆力は折紙つきです。だが、2次がたいへんなんですね。まだ若いのですから挑戦してみてください。
三三二枚とか二五五枚など、ずいぶん精力的ですね。わたしは最長一三〇枚ほどです。仕事を持っていて、これだけ書けるのですから体力もあるのですね。
話があちこちに飛びますが、「文学界」1月号を読んでいたら、昨年まで同人雑誌評の執筆をしていた大河内氏・松本氏等が「分科」というのを鳥影社から出すそうです。詳しいことはまだわかりませんが。
ずいぶんとりとめのないないことを書いてしまいました。今度例会でお会いできたら、またお話しましょう。ではこれで。
敬具
平成二一年二月
右の手紙に対し、筆無精の幸盛だが次のようなお礼の手紙をA4用紙一枚に書いた(そのままを抜粋)。
「妻は宇宙人」のご丁寧な感想をいただきながら、ほぼ一カ月もお礼の手紙が書けなくて申し訳ありませんでした。
さすが、と申しましょうか、感心することしきり、と申しましょうか、やはり「北斗」同人の方は一味も二味も違いますね。ご指摘などは、正鵠を射ているものと私も思います。ありがとうございました。
(中略)
村上政彦氏とは、普段のつきあいはまったくなくて、年賀状を交わすだけの間柄になっていますが、三年前に「ハンスの林檎」を、昨年は「三国志に学ぶリーダー学」を潮出版社から出したことは知っています。彼が芥川賞候補にあがっている時期は、ちょうど私の妻がクモ膜下出血で倒れてすったもんだしている時期と重なっているものですから、余裕がなくて、直接彼から話を聞く機会はありませんでした。「海燕」新人文学賞を受賞したとの電話をもらってすぐに、彼が住む津市まで車ですっ飛んで行って二人で喫茶店で話をしたのも懐かしい思い出ですが、その後一度だけ東京で会った際には「僕の小説は玄人好みだから」と話していたのを覚えています。
(後略)