心から 花のしづくに
心から 花のしづくに そぼちつつ
うくひずとのみ 鳥の鳴くらむ
歌を深く読む知識は、時代の移り変わりにより、失われてしまいました。
例えば、権力者に知識が無かったこと。文化の中心が貴族から庶民に移った事などです。それを掘り起こす手段の一つとして、古今和歌集の巻第十に物の名というジャンルが存在します。
この「物の名」という項には、「うぐひす」という名詞を「憂く乾す」というように隠して読ませる歌が集約されているのです。
まずは歌のままに訳しますと『自分から花の雫に濡れているのに、ウグイスとだけ鳥は鳴くのか』になりますね。変だとお分かりですか?
ウグイスは「ホーホケキョ」と鳴く鳥です。ウグイスとは鳴きません。
カラスが「カラス」と鳴かない事と同じですね。つまりは意味が違うのです。漢字を当てて、憂く乾すと訳してみましょう。すると『自分から花の雫に濡れているのに、悲しい、乾かないと鳥は鳴くのか』になりました。
もう少し詠み手に沿うなら『何処からか飛んできたウグイスが、濡れた梅木に止まって、羽が乾かないと嘆いている。おかしな事だ』というところ。情景が浮かびあがるような、見事な短歌です。
しかし、これだけではありません。物の名に連なる歌人の実力は、更に裏がありました。
―――――――――――――――深読み篇
古今和歌集 巻第十 物の名
うぐひす 藤原敏行朝臣
心から 花のしづくに そぼちつつ
うくひずとのみ 鳥の鳴くらむ
注目点は、詠み手の性別と出だしです。男性が、心から、と心底思っているという風に始まります。因みに、心からの主語はウグイスです。
続いて花。花は前にも書きましたが、「鼻」となり「端」となり、身体からとがり出た端っこ、という意味です。続く、雫に濡れて、は詳しく訳さなくても分かりますね?
十五歳以上しか、このコラムは読んでいない筈です。状況はご想像にお任せしましょう。
では下の句を見てみます。
ウグイスは憂く乾ずとなり、本文では否定の「ず」と表記されています。しかし本来、否定の意味がない「す」という清音を持つ単語。『辛くて乾く』となるのが自然の流れです。そして古来より、鳥は女性を示すキーでした。『辛くて乾くだけだと、女はどうして鳴くのだろう』になりますね。
詠い手の男性は『彼女は自分で花の雫に濡れているのに』と、自身の甲斐性が無いことを自嘲し、女の欲深さを嘆くのです。
要するに、最中の愚痴でした。
男女の満足度の違いは、昔から悩みの種だったのでしょう。男性のみなさん、お疲れさまです。しかしクレームを付けるなら、そぼち、なんて言われたら大半の女性は敵に回ります。花に自信がない方は、そんな事を言ってはいけませんよ。
古語辞典より
そぼ・つ 【濡つ】
ぬれる。全体的に、びしょびしょになる。
どちらかというと、ガッカリぬれている時に使われる。
本来は雨や涙にぬれた時に使うもの。
その場合、そぼふる、などとして使われる。