浅緑 糸よりかけて
浅緑 糸よりかけて 白露を
玉にも貫ける 春の柳か
ヤナギの美しさを詠んだ歌です。幽霊を連想しがちですが、平安の頃は色名にもなる優美な木でした。湿気を好み、良く根を張って、なよなよした見かけとは違い丈夫な樹木です。柳筥といって、柳と糸で作った箱が正倉院蔵にも納められています。
冬枯れしても緑に葉をつける姿は、まさに生き生きとした存在だったのでしょう。
この歌の訳ですが『春のヤナギは、淡い緑に染めた艶やかな絹糸に、水晶のような雫の玉を通したようだ』と、豊かに情景を詠んでいます。自然の芸術か、詠み手の感性なのか、考えが広がりますね。流石は僧侶の作品とでも言いましょうか。
しかし編纂者に言わせれば、彼の歌は心が足りないそうなのです。お坊さんですからね。生臭い必要は無いのです。
小野小町に『思いつつ ぬればや』と誘われたのが、彼だとしても。
―――――――――――――――深読み篇
古今和歌集 巻第一 春の歌 上
西大寺のほとりの柳を詠む 僧正遍昭
浅緑 糸よりかけて 白露を
玉にも貫ける 春の柳か
浅緑という色は薄い緑であり、緑になる前とも解釈できます。例えば大人になる前の子ども。この場合は、出家する前の彼であったかもしれません。そうすれば糸は現代語訳で「とても」とし、よりかけては「丈夫にする」と訳せます。『俗世にいた私は出家させられ、丈夫な数珠に縛られ、しおれているヤナギのようだ』と、読めなくもないですね。
しかし注目すべきは、白という色が詠まれている点です。
それは男性を(性的に)意味する色なので、玉にも貫ける、と続いては大分アウトな空気になります。よりかけても漢字にした場合、縒るだとイエローカードです。細長いものをこするようにしてよじる、ですからね。
お坊さんが何故、と思いますか?
当時、出家して僧侶になる事は、一種の権力闘争から離脱するというアピールだったのです。桓武天皇を祖父に持つ彼も、例外ではなかったのでしょう。
春の柳か、と余韻が物悲しく、しだれた姿を歌っています。何がしだれたかは、前の流れで予想が付きますよね。私に言わせないでください。
そこでもう一度、浅緑に戻ります。
あさみどり、浅みとり、朝、身、取り…………
坊さんよ、どうして自分のそこを豊かに歌ってしまったのか。結婚できない僧侶の苦悩、なのかもしれませんが。現代人にもののあわれは、ちょっと理解が難しい。
裏まで美しく歌っている歌人は、果たして居るのでしょうか。ともかく古今和歌集には居ないのです。編纂者がそう宣言していますから。貫之の罠です。