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物語修復機構 -パロディ洪水伝説-  作者: いずも
『旧約聖書』 ノアの方舟 篇
11/51

010西の善くない魔女

「でもこの木の実、どこかで食べたことあるような気がするッス」

 ひょうたんをぶら下げたままカゴに手を伸ばして木の実を取ろうとするのだが、その度にひょうたん同士がぶつかってカラカラと音を鳴らす。わたしが振り向くと何事もなかったかのように振る舞うのだが、視線を顔に向けると思いっきり逸らす。

「マナちゃん?」

「もうちょっと食べたら何か思い出せそうな気がするんスけどねー」

「マナちゃん」

「あと二粒、いや一粒でも十分ッスけど」

「マナちゃん……」

「んもー、わかってるッスよー。シショーのいじわるぅ~」

 特に意味のないやり取りを繰り返しながら村を目指す。

 確かに、これは口にしたことのある果実だ。原種ということで、馴染みのあるモノとは違っているのだろうが、これはおそらく――。

「あれ、シショー。ここにも畑があるッスよ」

「ん、本当だ。しかも誰か立ってるな」

 畑を背にして何やら難しい顔をして、ブツブツと呟いている女性が居た。

「うーん、上手くいかないなぁ……」

 わたしは既視感を覚えた。

 直感だ。これに関わるとまた話が長くなる。

(マナちゃん、喋っちゃダメだよ)

(はーい)

 わたし達は声を潜め気配を消して、何事もなかったかのように女性の前を通り過ぎる。

「ちらっ」

 女性がこちらを見たような気がする。いや、気のせいだ。

「大丈夫ッスかシショー、カメラの焦点はあの人に向かったままッスよ」

「うん思ってても絶対それは言っちゃダメ」

 早くカメラワーク仕事して! さっさとその人フレームアウトさせちゃって!

「あ、ねーそこの人ー。って、おーい、おーい! ……あ、行っちゃった」

 わたし達は運命を回避した。それはとても華麗に、そして大胆に。

 早くノアを探さなければならない。そのためには余計な厄介事は抜きにして村へ向かい、あの丘へ向かわねばならないのだ。そう、ゴルゴタの丘へ――いや、これは新約聖書か。

「ちょっと待ってってばー!」

「うわ、追いかけてきた」

「さっき『マナちゃん達は何事もなく村の方へ歩いていった』ってナレーション入れておけば良かったッスね」

「そんなんで本当にやり過ごせたなら良かったのにね! 走るよっ!」

 早足気味だった歩幅を思いっきり駆け足に変える。

「って、ええー!? なんで!? ちょっと、ちょっとなんで逃げるのよ!」

 わたしは走った。

 走らなければならぬ。

 そうしなければ、私は殺される。

 つらかった。

 幾度か、立ちどまりそうになった。

 えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。

「へー、メロスってこんな思いを抱きながら走ってたんスね。何かから逃げてたんスかね?」

「あ、これ『走れメロス』の一節なのね。作者の太宰治は借金地獄だったらしいから、借金取りじゃないのか」

「つまり本人の体験談ッスか。鬼気迫る表現なんて、まさに実体験じゃなきゃ書けないッスもんね」

「な、なんでそんな余裕なのっ。……まっ、待って、これ以上は、流石に……無理っ」

 かすかにそんな声が聞こえて、彼女は膝に手を置き立ち止まった。

 その様子にわたし達も駆けていた足を緩めると一変、彼女は目をギラリと光らせ再び捕獲モードに突入した。

「なんてなおらぁ! なんで逃げるのよ!」

 彼女は再び獲物を狩る狼のように飛び出してきた。

「おっ、これはライ麦畑でつかまえてごっこの続きッスか」

「早く逃げるぞっ、捕まったら殺される!」

 声にならない悲鳴を上げながら速度を上げ、村中までその足を緩めることなく、追いつかれないようにただただ必死に走った。

 それなりに活気のある村で何人もの村人がこちらを注視していたが、わたし達は彼女から逃げるのに精一杯で、村の様子など背景の一部としてしか認識していなかった。

「確か、西の、井戸が、ある、家、だった、なっ」

「そーッスね。あ、井戸が見えるッス」

 わたしは人並みの体力があるとは自負している。それでもカゴを抱えて走り、いつの間にか中身が潰れることも厭わず片手に持ち替えて全力疾走していたら、それなりに息も切れる。

 しかしマナちゃんは表情一つ変えずに楽しそうに走っている。くそう、こいつゴリゴリの体育会系かよ。

 小さな井戸のある家が前方に見える。家といっても一軒家ではなく、アパートのように横に長いレンガ造りの壁が並び、いくつかの出入り口や窓が等間隔に作られた住居といった具合だ。

 井戸の前で立ち止まり、息を整える。急に立ち止まると過呼吸気味になり、これはこれで危険だ。

 家の前の井戸から水を汲んでいた女性がわたし達の尋常ではない様子を察して、その水を陶器の器に入れて運んできてくれた。

「大丈夫ですか?」

 その甘い声と優しい言葉にまるで天国を訪れた気分だった。

 わたしは彼女からの施しを受け、乱れた呼吸を整えると改めて礼を述べた。その間、鬼の形相でこちらにやってくる者は誰もいなかった。

 マナちゃんは風呂上がりの牛乳瓶が如く、腰に手をあて一気に飲み干していた。

「いやあ、助かりました。ちょっと悪魔にとりつかれたような女性に追い回されていたもので」

「あらら……、それは災難でしたね。ここは安全ですから、ゆっくりしていってください」

「もしかして、この人がウーウァちゃんの言ってた知り合いッスかね」

「ウーウァさん? ――あ、もしかしてそれ、新しい苗木じゃないですか?」

 彼女は顔の前でぽんと指を合わせる。

 おっとりとした性格で仕草一つ一つに癒やされる人だ。

「シショー、鼻の下が伸びてるッス」

「マナちゃんは口が三角に尖ってるよ」

「苗木を届けてもらったのならお礼をしないと……。お疲れでしたら大したものは出せませんが、食事でもいかがです? もうすぐ家の者も帰ってくると思いますから」

 赤い髪をふわりとなびかせ、彼女は向き直りながら続ける。

 天使か。天使なんだな。

「よろしいんですか? ぜひとも!」

「まあ、シショーが言うんなら……ッス」

 マナちゃんが少しいじけてる。これはこれで可愛い。

「おっと、噂をすれば帰ってきました。おーい、メルロー!」

 ぴょんぴょん飛び跳ね、大きく手を振る彼女の視線の先、突如どす黒いオーラのようなものを感じて悪寒が走る。

 わたしは知っている。

 この重苦しい空気を。

 そしてあの女性を。

 瞳をぎらりと光らせ、獲物を見つけたようなその目を

「やーっと、追いついたぁ」

 にやりと口を緩ませ、涎をすするような仕草でわたしを睨みつけた彼女は。

 まさしく悪魔だった。


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