都市風景
翌朝、病院から外出許可を貰って雪花に都市の案内をしてもらった。
「さて、紫稀君。私と握手してくれないか?」
「えっ?ああ、いいですよ。はい」
「どうも、これからよろしく」
〔ハンドシェイクリンク完了〕
「ん?何ですかこの『ハンドシェイクリンク』って?」
「AXDEの個人間接続のことでね。これをしておくとそのリンク間での通信が可能になるんだよ。ホントは確認の表示が出るんだけど、開発者権限ってやつで強制的にリンクした。大丈夫、変なことには使わないから、絶対」
〈怪しい…〉
ACIの三毛猫『エクス』は雪花が凍結処理を行うことでひとまず保留にした。
バグで残っていたものだし、以前の所有者のプライバシーに関わるからだ。
都市は自分の記憶している知見とは結構食い違った様相だった。
小高い丘に立っていた病院から出て最初に目に付いたのは奇妙な塔だった。
根元から中ほどまで螺旋状に捻じ曲がった白い円筒の束、先端部はまるで樹木が空に向かい枝葉を伸ばしているかのようだ。
葉に当たる部分は真っ黒な塊が付いていたが、これは光を吸収する性質の物質だからだそうだ。
都市で一番高い建造物で光子を遅延させ貯蓄する機能を持ったそれは『フォトンタワー』と呼ばれている。
貯蓄した光子で動作する光回路。
エレクロトニクスからフォトニクスへの置換。
そして、《Ousia System theory》OS理論とその応用技術《Ousia System Resonance》OSR。
OSRを応用したAXDEはそのフォトニクスを土台に出来上がった電気的ノイズがほとんど無い環境だから実現したそうだ。
「OS理論と同時に提唱されたOSRという基礎技術はまさに革新的といえたが、提唱された当時の電気に頼り切った技術では到底実現不可能だった。
OSRでは精密な磁気操作が必要だったから電波の飛び交う状態では機能しない。
しかし、一度『大絶滅』を迎えた我々人類にとっては福音となった。なんせ電子機器のほとんどすべてが破壊されたのだからな。」
OS理論の発見から程なくして災厄は現れたという。
赤と黒の怪物、正式名称『イデア・スクラヴォス』。
当時OS理論の研究の最先端だった国で始めて発生を確認されて以降、人を喰い、文明を破壊し続けた。
その後の対処でこの星の地形は変わってしまい、生き残った人類は何処とも分からない土地で都市を作り上げた。
これが自分が眠りに付いてから起こった歴史の大筋だそうだ。
そして自身が昏睡状態に陥った原因は、スクラヴォスの『毒』によるもの。
スクラヴォスは接触した対象を『イデア汚染』する。
「『イデア』とは人間が持つ固有の精神構造体だ。語弊を恐れずに端的に言えば『魂』に相当するものだな。普通は余剰次元のカラビ・ヤウ空間に存在して干渉する事はできないが、スクラヴォスはそちらの空間にも存在している。だから魂たるイデアを直接干渉できる存在なんだ」
スクラヴォスに襲われた自分はイデア汚染の結果、自身のイデアに自我を奪われた状態『イデア化』に陥った。
暖かな昼下がり。
「うわっ…。おいしい」
「そうだろう。なにせ私が作ったんだからな」
都市の見物を終えた二人は、公園で少し遅い昼食を始めていた。
雪花が作ったというサンドイッチとハーブティーがテーブルベンチの上に広げられている。
タマゴ、ハム、レタスといった鉄板ともいえる具材が丁寧にパンの間に詰められている。
もちろん野菜は瑞々しく、噛むたびに触感が踊る。
タマゴはしっかりと裏ごしされた滑らかな黄身と白身、それに白身はサイコロ状にカットされた物も入っていて食べ応えがある。
ハムとレタスの間にはマスタードソースが入っていたのだが、マヨネーズを多めに入れているらしくマイルドな辛味で食べやすい。
辛味が丸い分、ハムの旨みとレタスの触感がはっきりしている。
しかし、なんといってもハーブティーである。
さっぱりとした味わいと力強い香り。
濃い目に淹れたそれをクラッシュアイスの入ったグラスに注ぎキンキンに冷やす。
舌に残るサンドイッチの余韻をあえて消す事で、次のサンドイッチの個性を最大限に味わえる。
「このハーブティーって、何処で買ったんですか?明日、退院したらまた飲みたいんですが」
「最初に言っただろう。私が作ったものだ。ハーブを仕入れてブレンドしたんだ。気に入ったなら毎日淹れてあげよう」
雪花さんすげぇな。
「それはぜひ。ところで質問があるのですが」
「なんだ?そんなに畏まらなくていいと言ってるんだが」
苦笑した雪花はこちらをジッと見て続きを促す。
「雪花さんの苗字って何ですか?下の名前で呼ぶの、なんだか気恥ずかしくて」
「下の方で呼んで欲しかったからあえて言わなかったんだよ」
そう言って不敵な笑みを浮かべた彼女は暫く間を空けた。
「無柱だよ。無柱 雪花が私のフルネーム」
「なるほど。で、無柱さんは「ん?だれだそいつは」」
あれー?
さっきまでの穏やかな空気が一変して剣呑としたものになった。
「君は話を聞かないばかりか空気も読めないのか?」
ものすごく態度が冷たくなった。
「雪花さんは「さん?」」
〈さっきよりもハードル高くなった…〉
てっきり教えてくれたから問題ないかと思ったのだが、違ったようだ。
「えー、あー、ゆっ、雪花はっ、何処に住んでるんですか?」
都市を見学して気づいたのだが、いわゆる住宅街が無かったのだ。
中央にはビルが立ち並び、中では人がせわしなく働いていた。
学校でも学生が教室で授業を受け、外のグラウンドではサッカーをしていた。
なのに居住する場所が無かったのだ。
「それは後で教えるよ」
呼び捨てで呼んだらすぐに機嫌を直したあたり、すねた振りをしていたようだ。
なんだか裏がありそうな笑みを湛えながら彼女はそう答えた。
機嫌を直してくれて安心し、ハーブティーを口に入れようとした時、遠くで遠雷の音が聞こえた。
なんだろうと音がした方を向くや否や不穏なサイレンが都市に響き渡った。
「な、なんですかこれ!?」
「どうやら都市外部からの侵入があったようだ。とりあえず避難するぞ、こっちだ」
突然の警報に緊張が走る。
雪花に手を引かれ、公園から都市の中央に向かって走る。
「この先に地下街への入り口がある。そこに入ればひとまずは…」
雪花の声は後に続かなかった。
直ぐ後ろのほうで何かが砕ける音がした。
「ふせろっ!」
「うわっ!」
倒れこむように伏せると真上を何か巨大なものが通り過ぎる。
「なぜ…スクラヴォスが此処にいる?」
三つに裂けた顎だけの頭部。
目蓋のない眼球が粘液を垂らしながら形作る胴体。
ヤモリのような扁平な四足。
恐怖よりも嫌悪感を催す姿。
これがスクラヴォスなのか!?
「まあ、ちょうどいい。AXDEの正しい使い方をレクチャーしよう」
雪花は何故か余裕の態度で上代の前に立つ。
「マスター権限でアクセス。AICの凍結を一時解除。障壁をアクティブ」
〔マスター権限確認。AIC凍結解除〕
脳内に響く声はあの猫、エクスのものだ。
〔障壁をアクティブにしました〕
「よし、君は下がっていてくれ。これで暫くは安全だ」
「待ってください。あんなのと戦うなんて無理ですよ。逃げましょう!」
あれは戦うような相手ではないという直感がする。
「言っただろう。AXDEの正しい使い方を見せてやると」
そう言って彼女は右手を前に突き出す。
「コンバート」
〔コンバート実行。IPIMとの相互通信を開始。2Sの逆支配に成功しました。イデアの導入を行います〕
雪花の手の先から青い燐光と共にガラスのような透き通った杖が出現した。
手から一定の距離を保って浮いているソレは向こうの景色を薄墨色に染めている。
「プロジェクションシェル展開」
〔エクトプラズム生成開始〕
杖を取り囲むように同色の結晶が銃身を形成する。
「さあ、お仕置きの時間だ」
赤黒色の獣に向かって雪花はその銃身を向けた。