ルール・ザ・ワールド ♭4
難読漢字等でルビを多用しています。
その為、読み辛いと思われる向きもあるかも知れませんが、ご容赦下さい。
謝罪の見舞いに、菓子折りも無く手ぶらで向かう訳にはいかない。道中に大型商業施設が在るので立ち寄って、手土産を調達する事にした。土産物売り場が都合良く在ったので直行し、少し悩んだ挙句、此の地の土産物としては半ば定番と化している菓子を二種、最も量販を見込んでいると思われる12個入りの箱を一つずつ購入した。財布の中身は目減りしたが、まぁ良い。銀行口座には未だ当分余裕が有る筈だ。と云うか、楽観的に発想しなければ、心が再起不能に為ってしまう気がした。
それぞれ、象徴する色の若干上質なビニール袋に入れて貰い、其れ等を纏めて把っ手の付いた紙袋に入れて貰った。其れを受け取り、店を出て、俺は真っ白な頭の儘、唯歩き続けて、病院に着いた。
数年前に全面建て替えが行われ、洗練された都会的な十数階建ての立派な建造物が俺を出迎えた。受け付けに向かい、病室の場所を訊く。件の少女の姓名は現場でメモしていたので、難無く伝達出来た。一度は患者の個人情報保護云々で拒絶されたのだが、事情を説明すると、確認を取るので少々待ってくれ、と言われた。俺は受付を一旦離れ、一階のロビーを見渡した。出入り口には診察券を受け付ける機器が複数台設置されていて、其処に診察券を認証させると、診察予約券なる物が出て来て、其れを各科の窓口へ持参し、提示する事で漸く順番待ちに入れる、と云う様な仕組みらしい。整然と数箇所に分散された諸々の受け付け窓口と相俟って、其の光景は体系的で人間味に欠け、ともすれば営利的な印象を俺に与えた。まぁ、当然儲け度外視で病院経営をしている訳は無いので、合理的で効率的な運営を追求した結果なのだろうけど。そんな事をうっすら考えていると、受け付けのお姉さんに呼ばれた。
「丁度ご家族の方が見えられておりましたので、お話した所、面会に応じる、とのご回答を頂きました。病室の方へご案内致します。此方へどうぞ」
お姉さんは可成り若そうに見えたのだが、意外にも確りした口調でそう伝えてきた。其の儘先導するお姉さんの後を追い、俺はエレベーターに乗り込んだ。
函の中は、自棄に気不味い空気だった。俺は普段、籠の中の無意味且つ無駄に気不味くなる雰囲気は気にしない性質なのだが、此の時だけは途中で当ても無く飛び出したくなった。
どうしても、階数表示を見詰めているお姉さんが俺の方を盗み見ている気がしてならなかった。俺はお姉さんの視線に詰られていた。
お前が怪我をさせたのか。お前があの患者さんを撥ねたのか。お前が職業運転手の癖に人身事故を起こした下衆か。お前が事故を起こした末、会社を解雇された最低職無し野郎か。お前が、お前が、お前が――……。
もう、止めてくれ!!
俺の叫びは声には為らず、静寂で在り続ける籠の中で俺の手から提げられた紙袋が代わりにガサ、と音を立てた。こんな時に限って、途中の階では誰一人として乗って来ず、籠の中の静謐は保たれた儘だった。
「どうかされました?」
お姉さんの慮る声で、初めて俺を詰る声が被害妄想の産物である事を知った。あの視線は俺が幻視していた、云わば幻像の視線だったのだ。
「い……否、何でも……無い、です」
想像以上に、俺は追い詰められているのかも知れない。そう自覚して、俺は悄然とし乍ら、曖昧に返すしかなかった。
「此方になります」
目線を伏せがちに歩いていたから、お姉さんの其の言葉が無ければ、普通に素通りしてしまっていただろう。912号室。入室中の患者の名は、旗指凛乎。其の他に名札は無かったので、恐らく個室なのだろう。お姉さんはそれでは、と一礼し、立ち去ろうとした。俺は辛うじて、去り行く後ろ姿に礼を言った。
「貴方……、ひょっとして……?」
気の強そうな女性の声だ。俺は其の声色から彼女の立場を想像し、肚を括った。
「あの、此の度は本当に、申し訳有りませんでした……。娘さんを、その……お怪我させてしまいまして……」
俺は深く頭を下げた。すると、彼女は俺の両肩を掴んでグイ、と引き上げると、
「アンタよくもノコノコと……!! 責任取んなさいよ!!」
割と凄まじい表情で声を張った。
「落ち着いて下さい! ……此処は病院です。院内ではお静かにお願いします」
先程立ち去ったと思われたお姉さんが俺と被害者――凛乎の母親の間に割って入って、俺達を咎めた。あの、俺は此の人に凄まれただけなんですけど……、と言いたくなったのだが、其れは燃え盛る火焔の中にガソリンとケロシンの混合物を打ち撒ける様なものだ。事態の悪化にしか繋がらない。不承不承乍らも、黙っておいた。
お姉さんが再び去って行った頃には、流石に凛乎の母親の激情も収まっていて、
「先程は、済みませんでした。態々お越しになって下さり、ご苦労様です」
と額面上はしおらしい言葉を述べて呉れた。
「いえ、此方こそ、此の度はこんな事に為ってしまい……本当に申し訳有りませんでした」
俺は改めて深々と頭を下げた。其の時、連動して下方に向けられた俺の眼に、自分の左手が提げている紙袋が映り込んだ。
「あ……、あの、此方、良かったらお納め下さい」
俺は頭を上げ、紙袋からクリーム色のビニール袋を引き抜くと、残りの紙袋の方を凛乎の母親に手渡した。
「あ、態々ご丁寧にどうも。折角なのでお受け取り致します」
「あの、今室内には入室出来ませんか?」
俺は訊いてみた。単純に、張本人である例の女子高生に、面と向かって謝罪したい。本当に、其れだけの思いだった。
「今は、警察の方が凛乎に話を聞いているので。って云うか貴方、凛乎に会う心算ですか?!」
「あ、はい、宜しければご本人に面と向かって謝罪を致したいと思いまし「巫山戯ないで!!」
俺の言葉は遮断された。
「昨日の今日で撥ね飛ばした相手に顔を見せようだなんて、貴方無神経なんじゃありませんか?! 凛乎の気持ちも考えて下さい!! 配慮が足りな過ぎます!!」
「院内ではお静かに!!」
再び去って行った筈のお姉さんが何時の間にか現れ、再び俺と凛乎の母親の間に割って入った。
「込み入ったお話が有るようでしたら、どうぞ病院以外でお願いします。他の患者さんのご迷惑になりますので」
気付けば、他の病室、及び廊下に居る患者や関係者の人々が俺達を遠巻きに覗き見ている。
「す……済みません」
俺と凛乎の母親は揃って謝った。まるで喧嘩して担任に叱られた小学生二人組の様だった。
担任……元い、お姉さんは三度去っていった。
「……兎に角、現時点では時期尚早です。今日の所は、もうお引き取り下さい」
「いえ、でも……僕も、すんなり引き下がれませんよ。本人に挨拶してこそ、誠意を見せられると思いますので。其れに……」
「其れに?」
彼女は俺の事を悪いとは思っていなさそうなので多分平気だと思いますけど、とは当然言えず、俺は
「……恐らく、大丈夫だと思います」
と、根拠が全く以て表せていない発言をした。当然凛乎の母親は再度瞬間湯沸かし器に火を点けようとする素振りを見せたが、お姉さんが再々度姿を現しそうな雰囲気がプンプンに漂っていたので、流石に抑えた様で、
「どうしても、お帰り頂けませんか?」
と苛立ちを隠さない声で俺に訊いて来るだけに留めた。
「はい。是非、本人にお目に掛かって、頭を下げたいと思いまして」
俺もそう簡単には折れない。何と云うか、此処迄来ると一種の意地が俺の中に生まれていた。
「……分かりました。でも、直ぐにお引き取り願いますからね?」
結果的には、俺の粘り勝ちだ。正直、此の時の俺の中に、或る種の意地とは別に、必ず面と向かって挨拶せねばならない、と云う理由の無い使命感の様なものが芽生えていた。何故なのか、其れは未だに分からない。でも、俺は凛乎に会わなくちゃならない、精神の奥底からそう鳴り響いているのを俺は感じていた。実に不思議な感覚だった。
「其れでは、またお話聞きに伺うと思いますから、宜しくどうぞ」
そう言って、警察官らしき人物が病室から出て来た。警官は俺を見るなり、
「ああ、車の方ですか。もう謝罪の方に?」
と訊いてきた。はい、と俺は短く答えた。
「成る程、関心ですな。いえ、斯う云った被害者側との接触を保険会社に一任する方が多いんでね……では」
警官は俺と凛乎の母親に一礼して、エレベーターの方へ去って行った。
「此れで評価が上がるとでも思ってるんでしょう? そうはさせないわよ」
凛乎の母親はぼそっと呟いた。どうやら俺は、相当恨まれているらしい。……まぁ、無理も無いが。
そして、凛乎の母親は病室の引き扉を開けた。パッと見、室内は広々としている。個室なのだから当然だが。そして、一つだけ置かれたベッドの上に、凛乎は横たわっていた。其の姿は、単純に痛々しかった。右足は上方から吊られ、頭部は包帯に覆われており、頸部には豪華な首輪の様なギプスが付けられている。本当に、実に、痛々しい。
嗚呼、俺の所為で彼女はこんなにも酷い怪我を負ってしまったのだ――。凛乎の姿を眼に入れた瞬間、俺の中で急速に罪悪感が膨れ上がった。無論、其れ迄も罪の意識は有った。然し、凛乎の痛々しい姿を実際に見ると、其の意識は具体性を増し、俺に贖罪を迫ってくるのだ。
俺は、今後の生涯を懸けてでも、彼女に対し、罪を償っていかねばならない。正直に、そう感じた。
凛乎は俺の姿を見るなり、「あ!」と声を上げ、嬉しそうな申し訳無さそうな、複雑で器用な表情をした。
「どうしても本人に会って謝りたいって言うから」
凛乎の母親は不承不承と云った雰囲気を一切合財包み隠さず、俺に言葉を突き刺す様な鋭利さで言った。凛乎は発言を呑み込む様な不自然さを伴いつつも、軽い辞儀を寄越した。俺は堪らなく謝りたくなり、
「凛乎さん、此の度は僕の不注意で、本当に、済みませんでした」
心からの沈痛な表情で、深く深く、辞儀をした。こんな事で謝意を表明出来るなら、俺は幾らでも頭を下げるだろう。
「あ……! 否っ、止めて下さい! 今回の事故は私の不注意が原因なんで! 謝らなくちゃいけないのは私の方です。飛び出してしまって、迷惑掛けて、本当に済みません」
然し、凛乎の此の発言を聞いた俺の心中には一転して、どす黒く、偏んだ靄が現れ、次第に拡がっていくのだった。
俺は、お前の所為で、お前と事故をした所為で、会社を免職に為ってんだぞ? そりゃあ勿論、自動車側に過失が発生する事も理解してるし、まぁ俺が悪かったのだろう、とも思う。寧ろ、無意識的にそう思い込んで自分を戒めようとしていたのだ。そんな中で、一介の高校生、世間知らずの糞餓鬼に「迷惑掛けて済みません」なんて謝られてみろ。そりゃあ心が波打つぜ。
「でも、事故を起こしてしまったからには此方に責任が有るので。申し訳有りません」
頭を下げた儘、俺は斯う答えた。もしも、凛乎が感受性の強い娘で、典型的な若者の観念とはそぐわない人物だったら、少々キツく取られてしまう可能性の有る言葉選びだった。無論、結果としてそう為っただけで、緻密な計算の下、凛乎の人物像を探る為に発言した、と云う訳では無い。そんな事が出来る怜悧さが有ったなら、俺はもっと別の生き方をしているだろう。
俺の予想に違わず、凜乎は普遍的な(馬鹿な、とも言い換えられる)高校生とは異なる様だ。凜乎はしゃくり上げ、涙を流し始めた。だが然し、眼の前で、自分の発言の後に女子高生に泣かれる、と云うのは気分の良い事ではない。況して、其の女子高生の実母が共に居る、と云う状況下で、だ。想定していた事とは云え、いざそう為ると、矢張り焦る。
「やっぱり、未だ早かったんですよ。済みませんけど、お帰り願えますか?」
目線を伏せつつも、明らかに俺に対して凛乎の母親は敵意を剥き出しにして言い放った。俺は唯でさえ動揺していたので、
「あ、はい……。あの……済みませんでした。此れ、良かったらお納め下さい」
と言い残して、先程手渡した手土産とは別に、凛乎の為に、と買って来たもう一つの銘菓をベッドに付属している机に置いて引き下がるしかなかった。凛乎の母親も、最早俺を逸早く追い出したいらしく、無言の圧力を最大限で掛けて来た。俺は彼女の圧に押し負け、半ば逃げ去る様に病室を出た。
俺が病室を出ると、其処には例のお姉さんが立っていた。
「あ、あの……もう用件は済んだので。お騒がせして申し訳有りませんでした。失礼します」
何故、立ち去った筈のお姉さんが其処に居るのか、そんな根本的な疑問すら浮かばない程、俺は一杯一杯だった。
「……玄関迄、ご案内致します」
否、幾ら何でも、数分前自らが辿った道程を度忘れする程、俺は馬鹿ではない――と反論しようかと思ったが、生憎此のお姉さん、先程の遣り取りでも分かる通り、割とキツい性格である。そんな性格が如実に表れている、大きく吊り眼気味な双眸にも、俺は完全に委縮していた。従って俺は、何一つ言葉を発する事もなく、唯お姉さんの吊り眼に射抜かれ乍ら、首肯するしかなかったのだ。
本作は架空の創作物です。
文中に登場する人物名、団体名等は、現実のものとは関係ありません。
また、文中に実在する著名人名、企業名、商品名等が描写された場合も、其れ等を批評・誹謗する意図は一切ありません。
此処で一つ、謎掛けを。
昨今の国会と掛けまして、一昔前のライトノベル市場と説きます。
其のこころは……学園モノには、もうウンザリです。
…………唐突に済みません。先ず以て謝罪しておきます。言いたくなったんです……。
前回の更新分で、ストックは尽きた、と書いたのですが、実は今回分の9割方は書いてありました。最後迄書き上がっていなかったので、後回しに為って更新に時間が掛かる、と思ってあの様に書きました。其の点でも、もし本作を気に掛けて下さっている方が居られたら、重ねてお詫び致します。とはいえ、既にバッチリ二ヵ月以上空いてしまっていますが……。
今回を以て、本当にストックが無くなってしまったので、次こそ相当に更新が滞ると思います。一応、結末は見えているので、何とか漕ぎ付きたい、と思っています。万一此処をご覧になっておられる方が居りましたら、気長にお待ち頂ければ、と思います。
其の際には、何卒宜しくお願い致します。