紅葉に映える虚無
その山は、ゆっくりと色を変え始めていた。
小さい手のひらのような紅葉の葉は既に朱に染まりあがっており、秋が来たと言うことを見るものへ如実に語っている。
黄色い銀杏の葉はひらりひらりと親のもとから飛び立ち、地面に黄金色の絨毯を広げていた。
その中で他の者に流されず、ひたすらに自分を守っている者もいる。
周りが鮮やかに彩られている中、杉の葉だけは未だ新緑の緑を保ったまま赤と黄の世界にアクセントを与えていた。
たくさんの個性が入り乱れたこの空間で、彼は何を感じたのだろうか。
ただひたすらに木々を眺め続けるその少年は、まるで死者の如く生気がなかった。
全てを失ったかのような彼は、美しく彩られた木々に温かさの様な物を求めていたのかもしれない。
ただ、それでも。
何もかも失って尚、それを断ち切ることができなかったから少年はこうやって山へ足を向けた。
おーい、という、ウグイスのように透き通った声が少年の耳朶を打った。
少年が恐る恐る、否、何かに縋るかのようにその声へ目を向けると、そこには一人の少女が佇んでいた。
彼女は少年と目が合うと、周りの美しい景色を霞ませてしまうような、とても美しい微笑みを少年へ向けた。
わなわなとふるえる手をゆっくりと持ち上げて、少女へ向ける少年。
それを待ちきれないとでも言うように少女は駆け寄り、少年の手を取った。
温かさが、熱が、流れ込んでくる。
いや、流れ込んできているように感じただけかもしれない。
だが、少年は確かに自らの身体が火照っていくのを知覚していた。
数百年、数千年もの時を経て、葉が積み重なった地面はどこまでも沈んでいきそうなほどふかふかで、それを踏み固めるたび少年は少し罪悪感の様な物を感じていた。
手を繋いで山道を行く彼らは、一歩一歩、その時を噛みしめるように少しずつ、ゆっくりと山頂への道を辿っていた。
耳を澄ませば、鳥の囀り声や風が木の葉を揺らす音、もっと遠くからは小川が流れる音まで聞こえてきた。
葉と葉の間から覗く空は、清々しい快晴で、もしかしたらあの空に吸い込まれてしまうのではないかという空想さえ抱かせる。
どこからか漂ってくる甘い香りは何かの実なのだろうか。もし見つけたら少女へあげようと少年は決めた。
ふかふかだった地面はどこへやら、彼らが踏みしめる地面はやがて岩の硬質なものとなっていった。
しかしそれはそれで、二人助け合いながら登るというのはなかなか楽しかった。
標高が高くなってきたからか、気温はどんどんと下がっていく。
肌をさすって寒そうな仕草を見せる少女に少年は自分が着ていたジャケットを着せてあげた。
寒くなったはずなのに、少女の笑顔のおかげで少年はさっきより暖かくなったように感じた。
やがて、頭上に広がる葉は少なくなっていく。
心なしか、空も近づいてきたようだ。
そして。
ふたりはついに頂上へと到達した。
三百六十度視界を遮るものはなく、少し見下ろせば美しく彩られた山々が望めた。
深呼吸をしてみれば、胸に冷たい空気が入ってきてとても気持ちがいい。
少女は、と周りを見渡せば、彼女は少し遠くで少年を手招いていた。
岩の隙間を通って彼女のもとへ向かい、顔を上げたとき、少年は息を飲んだ。
そこから見えたのは、ただひたすらに美しい海だった。
その海は太陽の光を反射してきらきらと輝いており、場所によって色が違うその水面は美しいグラデーションを映し出していた。
さらに、ここから遥か遠くに在る地平線は見事な弧を描いており、何故かすぐ手に取れる様な錯覚を少年は抱いた。
綺麗だね。
隣からそう一言だけ聞こえた。
少年は一つ頷いて横を向く。君が好きだ。そう伝えるために。
しかし。
そこに少女は存在していなかった。
少年は、少しうろたえる仕草を見せたが、すぐに落ち着いたようだった。
足元の、断崖絶壁を見て。
そうだ、少年は小さく呟き、完全に思い出した。
彼女は、一年前の今日、ここから飛び降りたのだった。
少年は瞑目し、一つ息を吐いた後――
――そっと前へ一歩踏み出した。