昇級パーティーへの招待
話を終えたグラウィスは、ゼノの元に訪れていた。一通りの話をし、フロースの事を話に挙げてパーティーに参加するように言えば、ゼノは「冗談じゃない」と顔を顰めた。
「なんで私がパーティーなんかに出なきゃならないんだ」
「私も反対した。子爵の嫡男に頭突きをかますような娘を連れて行くのはどうなのかと」
「いくらレグルスの助言とはいえ、私は行きたくないね」
ゼノは、あの貴族特有香水の匂いが大嫌いだった。それに、窮屈なコルセットや動きにくいドレスなども嫌いでは無いのだが、性に合わないので自ら着ることはなかった。
「フロースの意思によっては、お前は彼女を説得する役目も担うことになっている。ドルミート家が貴族社会にとって、どれほど大きな影響を及ぼしているか……お前も知っているだろう」
「別に軍に入りだけたければ入ればいい。それで嫌だと思えば逃げ出すか何かするだろうし、本当に実力があれば昇級するだろ。戦死したら、そこまでだ。名誉ある死なら、ネムスも喜ぶんじゃないのか」
「そういうことではなくてだな」
グラウィスは、目の前の執務机の椅子に座るゼノに近寄って言った。
「ドルミート家は侯爵の次に金や権利を持っている。10年前の貴族社会崩壊の危機に手を差し伸べたのがネムスだ。それ以来、侯爵を超える程の信頼が生まれていると聞いている」
「その時は丁度、私が八つの時だったか……」
「あぁ。私も仕事に追われ、貴族としての仕事を疎かにしていた。ネムスには、それを良いように使われたのだ」
実際にグラウィスは侯爵の位に着いている。己を超える信頼を得たネムスに別段グラウィスは怒ってなどいなかった。ただ静かにそう言った。
ゼノはその話を机に肘をついて聞いていた。
「貴族社会の崩壊を進めようとする下級層を食い止める為に懸命に働いていた。軍として、警察として……」
昔話を聞くのはうんざりだとでもいうように、ゼノはその話を遮った。正直、人の昔話なんぞどうでもいい。
「んで?ネムスの娘・フロースが軍の訓練中に死んだりすれば、軍の責任でやばいってか?」
「そうだ。今の状況、軍金の十パーセントがドルミート家による支援だ。本当に軍に入れても良いのか、今一度確認しねばならぬ」
「それを含めての命令か?」
「そうだ」
ゼノは数回瞬きをすると、諦めたようにため息をついた。そしてそのまま机に突っ伏すと、くぐもった声で言った。
「しょーがないか……レグルスの命令ならどちらにしろ逆らえない。わかったよ、行くよ」
その返事に、グラウィスは大きく頷いた。
「すまない、頼むぞ。ドレスなどは新調したものを用意する。お前は当日まで問題を起こさずに過ごせ。いいな?」
「そんな毎回問題なんて起こさないよ」
気だる気に反論したゼノの言葉には、やはり説得力の欠片の微塵もなかった。
*
そして当日……
あたりは暗くなり、ドルミート邸の門付近には、車や馬車で埋め尽くされていた。
馬車から降りたゼノは、エスコートに来た男に、顔を蒼白に染めた。
「なんで、アンタがいるんだ……サフィラス」
そこには、グラウィスと同じようにいつも来ている軍服に飾りをつけ、正装をしたサフィラスの姿があった。
「おお、サフィラス。既に到着していたか」
既に反対側のドアから出たグラウィスがサフィラスに声をかけた。
サフィラスはそれに応じ、ピシッと背筋を正し、敬礼を行った。
「ハッ、グラウィス将官。ご命令通りでございます」
「急に呼び出して悪いね。ゼノは外でのパーティーには慣れていないのでね、お目付役として来てもらったのだが……」
「なんでよりによってエスコート役が、サフィラスなんだよ」
「俺で悪かったな、ゼノ」
「一応、彼にはお前の監視を担ってもらっている。軍曹からの付き合いだ、仲良くしろ」
ゼノはその言葉に「私は軍曹出じゃなくてて、執行人からの途中介入だがな」と言葉を挟んだ。
「ゼノがその気なら、フィアンセの事も考えるが……」
「余計な御世話だっ!」
生憎、結婚云々に興味のないゼノにとってフィアンセや子供など、自分の家庭を持つことははっきり言って邪魔なものだと考えていた。
それに、今から普通の暮らしを送ろうと思っても無理なのだ。どうせ死ぬなら戦死が良いと考えている時点で、ゼノの思考は通常の女性と違っている事がわかる。
「とりあえず、中に入るぞ」
ゼノはグラウィスの言葉に大人しく従った。
サフィラスが腕を差し出し、仕方なく腕を絡ませる。恐らく、エスコート役として彼を呼んだのは、以前のような騒ぎを起こさないようにする為でもあるだろう。誤ってでも、今回のパーティーで頭突きなんてしてはいけない。もし騒動を起こせば、本当にクビとなるだろう。
邸内に入ると、そこは既に多くの人で賑わっていた。
同時にゼノは、反射的に鼻を片手で覆った。香水の匂いに吐き気を覚えたからだ。
それに気づいたサフィラスはこっそり耳打ちした。
「おい、我慢しろ。ネムス伯爵との挨拶が終わればバルコニーへ連れて行ってやる」
サフィラスの言葉を糧に、ゼノは鼻呼吸から口呼吸へと呼吸法を変え、なんとか逃げ出そうとする足を踏み止めた。
「くっそ……次来るときは絶対にオドレス薬(無臭薬)飲んできてやる……」
「なんで飲んでこなかったんだ」
「在庫が切れてたんだよ。リベラに行っても作るには時間がかかるって言われた」
「それは運が悪かったな」と流したサフィラスは、視界の先にネムス・ドルミートの姿を捉えた。それをゼノにも視線で伝えると、二人は頷いた。
グラウィスもネムスの姿を見つけたようで、一直線に向かっていく。ネムスは別の貴族と話している。
その貴族の顔を見たゼノは、再び顔を蒼白に染めた。
「あいつ……ミーレスの父親だ……」
「ミーレスって、あのミーレス・アリエーヌムの?」
「あぁ」
ミーレス・アリエーヌムは、例のパーティーにてゼノに口説きにかかり、見事頭突きを喰らった男だ。ちなみにゼノより年下らしく、今年は上等兵に昇級したとか。
「その父親のテンプス子爵がいるってことは、ミーレスもいるってことだ…うわ、最悪…」
「ちなみに、どこに惚れられた?」
「本人曰く、一目惚れだとさ」
ゼノがつまらなそうに言い捨てると、サフィラスはクスリと笑った。
「お前を口説こうとするとは、かなりの変わり者だな」
「それは私も同類だということだと受け取っていいのか」
「誰もそんなこと言ってないがな」
「サフィラス!」
ゼノはサフィラスの煽るような言動に少々イラついていた。
しかし、これにはサフィラスにも策があったのだ。こうして自分に意識を向かせておけば、他人と問題を起こすような真似をしなくなると思っての行動だった。
三人がネムスの元に着いた時、丁度テンプス子爵とネムス伯爵の会話が終わり、ネムスはグラウィスに気づき、深々と一礼した。
「これはこれは、グラウィス侯爵。よくぞおいで下さいました」
「久しぶりだな、ネムス伯爵。今日は、娘のゼノも連れていてな」
サフィラスはゼノの腕を離し、ゼノを前へと軽く押してやった。ゼノは振り向かずに二歩、前へ進むと右手を胸に当て膝を少しだけ折りまげる礼をした。名も名乗らない娘にネムスは頭を傾げたが、グラウィスはそれを笑って流した。
「すまんな、娘のゼノはこういう席に慣れていないのだ。許してやってくれ」
「いえ、……後ろのお方は?」
ネムスはゼノの後ろに立つサフィラスを見ていった。
サフィラスはその場にてグラウィスの紹介と共に、敬礼をした。
「彼はゼノのお目付役として来てもらっていてね」
「サフィラス・シレークスであります」
「サフィラス・シレークス…ということは君は、スマラグド元大佐の倅か?」
「ハッ、スマラグドは私の父であります」
サフィラスがそう言うと、ネムスは愉快そうに笑った。
「はははっ!そうかそうか…スマラグド元大佐は、あまりこういう席には来なくてね。いや、今夜は大物揃いだ!グラウィス侯爵、今夜はよろしくお願い申し上げる!」
「いや、こちらこそ」
二人が握手を交わすと、グラウィスはバツが悪そうに言った。
「…して、到着早々押しかけて悪いのだが、少し二人で話がしたい。良いか?」
「えぇ、喜んで。極上のワインを用意させましょう。どうぞ、こちらへ」
ネムスが招く中、グラウィスは二人に振り向いた。サフィラスはグラウィスが言葉を発する前に、ハキハキとした声で言った。
「承知しております。ゼノには私が付いております故、安心して会談を」
「うむ、頼んだ。…ゼノ」
ゼノは静かに頷くと、すぐグラウィスに背を向けてしまった。サフィラスも続けて一礼し、ゼノの跡を追っていった。
*
なんとかしてバルコニーへと出たゼノは、柵にもたれかかり愚痴をこぼしていた。
「うぇ…本当最悪。サフィラス、アンタよく耐えれるな」
「人目が無いからと油断するな。お前の任務はまだ終わっていないだろう」
「わかってるよ。フロースを見つけなきゃならないんだろ?目処は立っているのか?」
「お前な…そう言うのは普通自分でやるもんだぞ…」
しかし、既に香水の匂いで体調を崩しているゼノにはこれ以上何を言ってもダメだということがわかっていたサフィラスは、渋々と考えを打ち明けた。
「フロースは主催の娘。ならば広間にいる可能性が高い」
「またあそこに戻るのかよ…、サフィラス」
「今回、俺はお前のお目付役だ。離れるわけにはいかない」
「大佐殿~、なんで准佐である私に大佐である貴方がお目付役となっているんですかぁー?」
「くだらん、腐れ縁のせいだ。ほら、愚図愚図していないでさっさと行くぞ」
「あの…」
二人がバルコニーを出ようとすると、入り口には美しい金の髪を持った女が立っていた。
ゼノが身を起こすと、サフィラスは頷いた。そしてわざとらしくゼノから離れ、「何か飲み物を持ってくる」と言ってその場を去って行った。
「お邪魔でしたか…?」
「いや、そんなことはない」
ゼノは少女を見た。見かけは箱入り娘、吹けば飛ぶような身体だ。あんな細い腕、少し力を入れれば折れてしまうだろう。
「…私はグラウィス・クウァエダムの娘、ゼノだ。アンタの名前は?」
少女は鈴が鳴るような声で言った。
「私は、フロース・ドルミート。このパーティーの主催者、ネムス・ドルミートの娘です」