鬼准左
コンコン、と扉を叩く音が聞こえ、ウルグスは「入れ」と声をかけた。
「久しいな、ウルグス」
「来たか、問題児め」
入ってきたのは、現在進行形で問題児であるゼノだった。
ウルグスはゼノが軍に入った時に、実際に訓練を施した教官であり、その期生の中で一番の問題児だったゼノは、彼の中では今でもダントツの苦しい思い出となっている。
「悪いな、サフィラスが勝手に提案したんだ。それに、どういう訳かレグルスやグラウィスが賛同したんだ」
「だろうな。お前が自ら志願したとは到底思えん」
「逆に、死んでもやらないだろうよ」
「全く、いい迷惑だ」とゼノは肩をすくめると、ウルグスは席を立つや幾つかの書類をゼノに差し出した。
「これは三等兵の資料。そしてその下にある一回り大きい紙が、訓練内容だ」
ゼノは紙束を受け取ると、先に訓練内容の紙にさサッと目を通した。
ゼノの担当はトレーニングや武器の扱い、模擬戦指導などの体を使うものだった。
「お前に座学を任せても無理だということは承知している」
「そこは配慮してくれたのか?ありがたいな」
ペラっと用紙をめくり、三等兵の資料を読むゼノに、ウルグスはずっと気になっていたことを問うた。
「――…お前は確か、先日の襲撃事件の時、現場にいたのだったな」
「なんだ?詳しい話は回ってきていないのか?」
ウルグスは頭を振った。
「いや、詳しいことは全てレグルス陛下のお名前で書類が回ってきている。私が気にしているのは、そこでなくてだな…その事件があってから、三等兵たちの間で話題になっているのだ。変な噂が流れたらたまったものではないと思い、お前には最初の訓練時にその時に起こった出来事を伝えて欲しい」
「いいのか?」
「構わん。レグルス陛下から、そのように賜っている」
「なら断れないな」
ゼノは部屋にかかっていた時計を見上げた。
「今日は午後から訓練だったな。何をすればいい」
「体力作りは各自でやらせてはいるが、お前が足りないと思ったらやらせてもいい。レグルス陛下は兵をこれまで以上に強化せよとのご命令を出している。前線に出ていて、更に第二位使徒と一戦交えたのならお前ならやれるだろう」
「…わかった。二時間後にまた来る」
そのまま部屋を出ようとすると、ウルグスの「あっ」という声にゼノは振り向いた。
「どうした?」
「あぁ、それとだ。お前…サフィラス大佐と、婚約したのか?」
直後、ゼノの怒号が飛んできたのは言わずともわかるであろう。
*
訓練場にて。
教官が来る五分前には到着している規定を守っている訓練兵は、新しく着任したという人物を待ち構えていた。
「なぁ、フロース、知ってるか?新しく着いた教官!」
三等兵、フロース・ドルミートは同じく三等兵の青年に話しかけられていた。
どういうことか、この青年とは訓練班が同じになることが多く、その純粋な青年にフロースは素っ気なく接していた。
「新任が来ることは知っているけど、誰かまでは知らないわ。誰だろうと、教官であることには変わらないし」
「違うよ!俺が言ってるのは、名前とか…階級とか!その人の情報だよ!!」
フロースはため息をついた。
「だから、その人が誰だろうと教官であることには変わりないって――」
「その人はね、ウルグス教官と同じで前線に出ていたことがあるんだってさ!で、グラーティア奪還作戦時に功績を挙げて、昇格した人だとか」
「へー…」
その時、背後からザッザッ…と何者かが歩いてくる音が聞こえた。
途端、ピタリとざわめきが止まった。
静かな空気の中、その者は三等兵の間を通って前へと歩いていく。
黒くて長い髪、その人が女だということは誰でもがひと目で分かった。
その者が前に立つと、「敬礼っ」と三等兵内から声がかかった。
女がその特徴的な赤い目を全体に向けると、皆はビクッと肩を震わせた。
恐怖を表すような、血の色のように真っ赤な目だ。
「敬礼を解いていいぞ。……私はゼノ・クウァエダム。階級は准佐だ」
その名前を聞いた途端、フロースは凍りついた。
――まさか?この人が、教官?ありえない。
「これより、あんたら三等兵の教官となる。担当は剣技や体力作り、模擬戦などの体を動かすものだ。レグルスやウルグスからは今まで以上に強い軍兵を作り上げろと言われているから、手は抜かない。それで音を吐いたり、私をやめさせたいなら直接レグルスに言ってくれ」
一国の王を呼び捨てした目の前にいる女は、一気に訓練場にいる者全てを呆然とさせた。
ゼノと名乗った女は、腕を組んでいった。
「まぁ、最初は質問やら何やらするのが良いのかもしれないが、そこは待ってくれ。一つ、私から話がある」
彼女は「よっ」と壇上に置いてあった演台に座ると、足を組んだ。
態度の悪さにむっとフロースは眉を寄せた。
「あんたらも知ってる通り、先日、襲撃事件があった。まず先に言っておく。襲撃事件の犯人は、サンザリア国国王親衛隊、第二位使徒、テンペット・セルパンと第六位使徒のカルム・マンソンジュだ」
途端、どよめきが生まれた。
「使徒といえば、あの最上級魔導士で結成されている親衛隊だろ?」
「まさか、嘘でしょ?」
その声を聞いていたゼノは不服そうに言った。
「私が嘘を言ってどうするんだ。…まぁ、それで警備隊が向かったんだがテンペストにやられて三班分が、ほぼ壊滅状態にされた。そこで使徒の情報を聞きつけた私が飛んでいったわけだ。そこでは既にサフィラスが…サフィラ大佐が戦闘中で、私も応戦。そしたら、カルムが出てきたわけだ。カルム曰く、三等兵に化けて潜伏していたようだが、いまこの中でいない人物は?」
ゼノがそう問うと、前列にいた女兵が「あっ」と声を上げた。
皆の目が集まり、その女兵は少しうろたえたが、ハッキリとした口調で言った。
「そういえば、事情が有って入隊式前に軍を抜けた人がいるわ。確か、名前は…カームとか言ってた気がする…」
「なれば十中八九、そいつがカルムだ。…残念ながら、そいつらには逃げられたが、入隊前の三等兵にはろくな情報は与えられてないし、内部の機密とかはあまり握られてないと思うから、大丈夫だろう。私からは以上だ」
質問は?と問うたゼノに、スッと躊躇いもなく手を挙げたものが複数人いた。
ゼノはその中にフロースがいることを見つけ、一番最初にフロースを指名した。
フロースは初対面かの様に名を告げるところから始めた。
しかし――
「そんな他人行儀になるなよ、フロース。まぁ、この立ち位置だ。そうなる気持ちもわかるが――」
「余計なことを言わない方がいいですよ。ゼノ教官」
フロースは周囲の好奇の目を感じながら、そう言った。
「それで?質問は?」
「ゼノ教官は、どういった経緯で軍に入られたんですか?」
ゼノの目がスッと細められた。
フロースは以前、ゼノに軍に入った理由を問われていた。
その時、フロースは
「自分は今、とても幸せだ。でも、戦場に走る人はいつだって一人。最期の時は、手を握ってあげたい」
と返していた。
しかし、そう言ってきたゼノ本人の経緯は聞いていなかった。
「私か?私は普通に成り行きだ。だが、グラウィス…親の人形になったわけじゃない。自ら望んだからな。私は妹がいるから、家を継ぐのは妹となるな。以上、他には?」
違う。
彼女は、あの夜言った。
――なぜ私が、今更孤独を恐れなければならない?
今更、ということは以前に何かがあったという事を表している。
彼女は、何かを隠している。
フロースはゼノを睨むようにして目を向けた。
ゼノは既に違う人を指名しており、その問に答えていた。
「ゼノ教官は、何の武器を扱うのですか?」
「私は刀を使っているな」
ゼノは腰に下げていた愛刀の紐を解くと、掲げてみせた。
「軍刀というより、どちらかといえば居合刀だ。力はあるつもりだが、女という理不尽な理由で力が劣る場合もある。だから私は一撃一撃の攻撃より、速さを求め、型を居合に近いものにした。以上だ」
次々に質問が続いた。
質問はそれぞれ、軍に入って何年だとか、様々だった。
最後に、フロースの傍にいた青年が指名された。
「ウィルトス・オクリース。ゼノ教官に聞きたいことは一つ。…その、サフィラス大佐とはどういったご関係で――ッ!!」
刹那、壇上にいた筈のゼノの姿は消え、気づけばウィルトスの斜め上に抜刀しようと構えていいた。
ウィルトスは反射的に身を引き、情けなくとも「ひっ」と声を漏らした。
迂闊だった。
先にそれを言っておくべきだったと後悔したゼノは、抜き身の刀身をウィルトスの首に添わせていた。
そして殺気を放ちながら言った。
「それはミーレスが流した噂話だ。本気にするな。…上官の恋事に首を突っ込むとロクなことがないぞ。次に言ったら、本気で殺すからな」
「は、はい!」
刀を収めると、ウィルトスは腰を抜かしたかのように尻餅をついた。
悪い噂は最初に断ち切っとくが良だ。あとでミーレスを呼び出して、言い聞かせておこう。
ゼノは壇上に戻ると、言い放った。
「まず最初に、あんたらの基礎能力を見たい。とりあえず、この訓練場を10周走ってこい」
「え!?」
三等兵が驚いた箇所は、その周回数の少なさだった。
いつもは平気で何十周と走らされているのに、こんなもので良いのかと彼らは思った。
しかし――
「おー、そんなに余裕なら、久々に私も走るか…。いつも何十周と走っているあんたらが、執務などで篭もりがちな上官に遅れを取ったら、許さないからな」
その言葉に先程まで笑みをたたえていた者たちは、サッと顔を青くさせた。
彼らはあの襲撃事件の時に、ゼノが軽々と二階まで跳躍し、そのまま外に出ていった場面を目の当たりにしている。
皆は一瞬にして後悔した。




