9.連続放火事件
雪原の中を遠くまで道が続いていたが、少しずつ枯れ草色が疎らに顔を出すようになった。日も照り出し、通り過ぎる風も少し暖かいような気がして、ハジメは大きく欠伸をした。
「小春日和だなー」
聞こえていないらしいレイナは、足元を見つめて彼の後ろをとぼとぼと着いて来ていた。
ハジメは苦笑して、口の中で唸った。
(思ってたより、堪えてるらしいな)
彼は急に立ち止まり、振り向いて彼女の名を呼んだ。
「レイナ」
ゆっくりと歩みを止めた彼女は、ハジメの顔を見上げた。
レイナの顔からは、表情というものが欠落していた。
「元気出せよ。このままのペースだと、野宿する事になるぞ」
戸惑いつつも冗談めかして言ってやったが、彼女は無反応。彼は、木に話しかけているような虚しさに襲われて、うっかりあの名前を出してしまうのだった。
「その……もうミレイに会えないって決まった訳じゃないだろ?」
「ミレイの用事、そろそろ終わったんとちゃうかな」
レイナの返しでは、まるで会話が成り立っていない。
彼は、彼女との会話を続ける事にした。
「終わってないだろうな」
「なんで、そんな事が言えるん?」
ハジメは何気なく言った事を後悔した。
彼がどうしようかと考えている間の空白に、レイナは不審を抱いたらしい。
「ハジメは、ミレイの用事ゆうの、ホントは知ってんのとちゃうか?」
どんな怪しげな仕草も見逃さないと言わんばかりに、レイナは目を凝らした。
二人は長い間、視線をぶつけ合ったが、その結末は最初から決まっていた。
ハジメは遠くの空に目を遣った。事実上の敗北宣言だ。
「わかった。知ってる事は話すよ」
昨夜、路地の奥でミレイがしていた話の内容を、レイナの顔色を伺いながら、彼は話した。
レイナは腕組みをして、偉そうな態度で話を聞いた。
「それで全部なんか?」
「ああ、話は全部だよ」
ハジメは、さも話自体に興味がないといった素振りで答えると、最後に顔を背けた。
「なんで黙ってたんや」
「別に訊かれてなかったしな」
しれっとしたハジメの返しに、レイナは多少なりとも苛立ちを覚えたらしく、両手の拳を握ってわなわなと震わせると、大声で言い放った。
「ミレイの用事、アホがボケっと考えても、あの火事と関係あるん、わかるやないか!」
彼女は腕を大きく振り下ろし、片足で二度程地団駄を踏んだ。
ハジメは自分が責められている事を忘れ、強い口調で言い返した。
「ああ、わかってたさ! だから黙ってたんだろ!」
レイナはトーンダウンしたように動きを止め、振り上げた右手を力なく下ろした。そして、蚊の鳴くような声で言った。
「最低やな」
「どこが最低なんだ」
彼女は鋭い目をハジメに向けて、冷徹な力強さを持った声音で、答えた。
「危ない思て、こうして逃げとるんやろ?」
「違う!」
「どこが違うねん!」
ハジメは敢えて言うまいとしていた言葉を、ついに口にしてしまった。
「お前の為なんだよ!」
レイナは一瞬、目を大きく開けて丸くした後、戸惑いに満ちた顔で訊き返した。
「どういう事や?」
彼は、その問いに長い間答えられないでいた。どう言ってやれば、彼女を納得させられるか。どのくらい、真実を告げるべきか。
考える事は山程あったが、それら全てを包括した答えなど存在しないという結論に至った。
そうして無駄な時間だけが流れていく。
「答えられんのか? 満足に嘘吐く事も出来へんのやな……」
「……悪い」
居心地の悪い謝罪が、場の空気を崩壊へ導いていく。
「あたしの為……な。いつ、あたしがそうしてくれ頼んだんや! そんなん、あたしの為やないわ!」
そう言い切ると、彼女は踵を返した。
「もうええ。あたしは戻るからな」
彼女はハジメに背を向けたままそう言うと、小走りで来た道を引き返し始めた。
残されたハジメは、彼女を守るという難しさに苦悩した。ただ、危険から遠ざけるだけでは、守るという事にはならないと、そう思い知らされた。
ここ、サラマンダーの街で起こった、煉獄の炎による連続放火事件は、全部で六回。
その始まりである第一の事件は、先月の終わり頃の事だった。
被害にあったのは、郊外に佇む、誰も住まなくなった木造の廃屋だった。
この火事については、時間が深夜遅くの辺鄙な場所で起こった事もあってか目撃者が少なく、あまり大きな騒ぎにはならなかったそうだ。
一人、遅くまで飲んで、酔ったまま家路に着いていた男性が、遠くで燃える青い炎を見たと証言したものの、この時点では酔っ払いの戯言だとして、信じる者はいなかった。
それから月を跨いで今月、第二の事件が起こる。
場所を郊外から街の中心部へと移し、時間もヒト目の付き易い黄昏時という大胆な犯行になった。
火を着けられたのは、この街の特産品である煉瓦を扱う、職人や商人で組織された商工会議所の建物だった。
この事件は多くの人に目撃され、同時に街のほとんどのヒトが知る事となったが、まだ、第一の事件との関連性を唱え、これらが連続放火事件であると考えた者は、それ程多くなかった。
第三の放火事件は、商工会議所の焼失した日から数えて三日後だった。
その日は、西の方から暖かく湿った風が吹いていて、早朝から雪ではなく雨がしとしとと降り続いていた。
夕暮れ時、雨に濡れながらも、衰える事のない勢いで燃え続ける炎に包まれたのは、この街に似つかわしくない、大理石で作られた白亜の御殿だった。
そこに住んでいたのは、フィレスタ・ポリスで一山当てた実業家の幾つかあるらしいお屋敷で、いわゆる他所者の別荘だ。
同一犯による連続した事件だという認識は、この第三の事件によって急速に広まった。
鍵となるのは、やはりいずれも消すことの出来ない青い炎によって、建物が焼き尽くされるという異常な点だろう。
この街の住人だと、おそらく初めて目にする人がほとんどだ。本来、煉獄の炎は、軍用目的に使用されてきたのだから、戦地に赴いた経験のある者でなければ、実際に見る事はないだろう。
続いて第四、第五の事件で放火の対象となったのは、どちらも煉瓦造りの建物で、個人宅では街一番、二番の大きさを誇っていた。
そして、六番目。昨夜の出来事だ。
これまでの事件での犠牲者は、二人。第二と第六の現場で、それぞれ一人ずつ。
奇妙な事があった。昨日の六番目の事件現場で発見された焼死体は、すぐにその家に住む長女だとわかった。ところが、二番目の商工会議所での犠牲者は、不明とされている。
その理由は遺体が激しく損傷していて、特定が困難なのも要因の一つだが、当初、建物内にいたとされる者の中に、行方不明者がいないのだ。
そこまでで、ミレイは大きく息を吐きながら顔を上げた。思ったよりも音が出たので、周囲を見回して、周囲のヒト達の顔色を伺った。
幸いな事に、彼女に非難するよう視線を向けている者はいない。やがて場は、元通りの痛いくらい張り詰めた静けさに包まれた。
ミレイがいるのはこの街の図書館だ。
館内にはおびただしい程の図書が、幾つもの巨大な書架に収蔵されているのだが、それらはショーケースのようなものの中に所蔵されていて、手で触れる事さえ出来ないようになっている。
彼女の関心は、それら蔵書に向けられてはいない。必要としていたのは、ここ半月程の新聞だ。
公園にいた協力者から得た情報と、新聞の記事内容に齟齬がないか調べ、同時に両者を補完していく作業に、ミレイはかれこれ二時間くらい没頭していた。
それが終わると、今度は要点を纏めて、紙に書き出す。そうする事で、より理解が深まるだろう、と。
だが、この事件について理解すればする程、彼女の中の戸惑いは増長し、わかっていた事もわからなくなっていくのだ。
(こんな大それた事、本当に、彼が……?)
『この街の誰かが持ってる』
昨夜、彼女は組織にそう伝えたが、本当のところ、犯人の目星は付いていた。問題は、当人がどこに潜んでいるか、それだけだった筈だ。
(だけど)
その思いは、徐々にではあるが、確実に瓦解しようとしていた。
もう一ヶ月になる。彼女の属している組織で開発していた装置のプロトタイプ二つが、忽然と消えた。一人の男と共に。
彼は、その装置を開発していたエンジニアで、ミレイの同僚だった。その彼が、装置と一緒に消えたのだから、犯人は彼だと、状況が雄弁に語っている。
彼女は、共に研究開発を続けていた仲間として責任を感じていた。だから、彼とプロトタイプ二機の捜索に、単身名乗りを上げたのだった。
そうして今、ミレイは惑っている。彼が犯人なのかどうか、わからなくなってきている。
そんなあやふやな中でも、しっかりとした思いが一つもない訳ではない。
(もう、犯人が誰であろうと関係ない。そんなフェイズに来てるんだわ。とにかく、この事件を止めないと)
その為に彼女は、犯人が次にどの建物をターゲットにするか突き止めて、装置を取り戻さなければならないのだ。
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