6.重力
屋上に追い詰められた二人。危機的状況を脱する為、レナードとナナは屋上の縁から飛び出す。
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恐怖のあまりナナは瞼を閉ざしていた。その向こうでは、彼女が一瞬と思う間に、何か様々な事が起こっていたようだ。
体に伸し掛かってくる機械達の重みが消え去り、背筋を凍らすような奴らの音も遠くなっていった。
ナナは、勇気を振り絞って瞳を開いた。目の前には、レナードの心配そうな顔が浮かんでいた。
「ああ、ナナ。良かった」
彼は相好を崩して、彼女の顔に降り掛かった砂や土を、華奢に見えるその手で払い取った。
「無事……だったんだ」
ナナは、口元が緩むのを抑えきれなかった。
レナードの肩越しに、周囲を見ると、状況は前とそれ程変わっていない。機械達は相変わらずガチャガチャとうるさくしていたし、彼等がいる場所は屋上の行き止まり。
レナードはナナの右手を取って立たせると、目線で促しながら彼女を引っ張り誘った。
行き着いたのは、屋上の縁に設けられた手すり際だった。
機械達は再び一カ所に集結し、二本足で立つ巨人の姿になった。そして、機械群体は表面の形を微妙に変えながら、一歩一歩迫ってくる。
ナナは疑問に思った。どうして、彼がわざわざ追い詰められるように、この場所を選んだのだろう、と。
すると、レナードは考えられない行動に出た。彼は、手すりを強く握ったかと思うと、飛び越えようとしたのだ。
「わ! バカ!」
ナナは叫んだ。しかし、時はすでに遅かった。
手すり越しに、向かい合う二人。背後には、巨人が迫っている。
「ナナもこちらへ!」
彼女は、完全に狂気の沙汰だと思った。
別に高所恐怖症と言う訳ではないが、この高さを見れば、そう出なくても怖じ気付く。
真下に、遥か遠い地面。いや、遠すぎて霞んで見えないほどだ。
手を差し伸べるレナードを、ナナは今にも泣き出しそうな顔で見詰める。
彼女は振り返り、巨人の姿を目に捉えた。そして、あっちよりは絶対にマシだと思うその心で、ナナは彼の手を取る勇気を振り絞った。
彼女の鎖骨辺りまで高さのある手すりを越えて、僅かな縁に立つ。
ナナは途切れ途切れに呟いた。
「あぁ、私、もう、死ぬの、ね」
巨人の体が一瞬縮んだ。そう思うと、右腕が徐々に肥大化していく。全体を構成していた一機ずつが、右腕に集結しているのだとわかった。
レナードは、一つ強い息を吐いた。ナナは、彼の両腕の上、いつもの定位置に落ち着いた。
巨人の剛腕が飛んでくると同時に、レナードは横に跳んだ。彼女の方は、もう生きた心地がしない。
さっき二人がいた場所では、手すりが酷く歪んで、深く地面が抉れていた。
巨人に目を向けると、右腕が肩の辺りから離れ、一回り小さな人型になって縁に立っていた。
レナードはどこか遠くを見るように、瞳から生気が失われているようだったが、やがて目の前の状況をしっかりした視線で捉えると、小さく呟いた。
「もう少し」
ナナはその言葉をはっきりと聞いた。
「何が、もう少しなの?」
レナードよりも頭一つくらい大きいその機械群体は、ぎこちない足取りでこちらに近付きつつある。
それに対して、レナードは半歩ずつ後ろへ。
当然、その状態が続けば、いつかは追い詰められる。
その時はすぐに訪れた。
ナナは言葉を失い、目を閉じた。
目を閉じてすぐ、レナードはまた意味のわからない呟きを吐いた。
「よし!」
その後、まず風を感じた。上から吹いてくる、何とも言えない不思議な風だった。
何が起こったのか、ナナは目を開いた。
「何これ? 私たち……飛んでる!」
見えない手が、彼女の全身を掴み取り、思いっきり空に引き上げていく。
微かに見える地面は、どんどん遠くなっていき、霞の中に消えていった。
その時、声がした。
「ナナ! 私の手をとってください!」
そう言えば、今はレナードに抱えられていない。
ナナは急に不安になった。
急いで彼の声のした方を向こうとするが、体が上手く動かせない。
やっと彼の姿を見つけ、手を伸ばした。けれど、あと少しで届かないのだ。
手足をじたばたさせても、徒労に終わるだけだ。
やがて、ナナは、人間が飛ぶ様には出来ていないということを悟ったが、諦めた訳ではない。
腕が攣る程に、手を伸ばす。
見上げると、黒い塊が頭上に迫っていた。
初め、天井かと思ったが、違っていた。土塊の天井は、その塊のさらに上にある。
では、これは?
いや、そんなことを考えている場合ではない。
このままの速度でぶつかったら、間違いなく死んでしまう。
「誰か……レナードっ!」
思う間もなく、ナナは叫んでいた。
「ナナ、今行きます!」
急に、上昇速度が緩やかになったような気がした。
それが、気のせいなのか、実際に起こったのか、よく分からなかったが、強い力で引き寄せられ、同じく後ろから抱き締められているのは、感じられた。
そして、強い衝撃。それでも、かなり弱められていた。
いつの間にか閉ざされていた目を開くと、ナナは、先ほど見た黒い塊の上に立っていた。
上?
ようやく、ナナにも状況が理解できた。
どういう訳だか知らないが、あの屋上を飛び立った時から、重力が反転していたのだ。今は、天井側が地面で、地面側が天井となっている。
どうやら、彼女が感じていた飛ぶような感覚は、結局、自由落下に他ならなかったらしい。
「見てください」
レナードが指差す方に目を向けると、あの機械群はバラバラになり、真っ逆さまにかつての概念で天井だった地面へ、落下しているところだった。
しかし、ナナには、何故重力が反転したのか、わからなかった。
ナナは、レナードに聞いた。
「この街は、地上と天井に重力があります。ちょうど、両側の中間あたりで、重力場の反転が起こるんです。さっきまで私たちがいたあのビルは、重力場が反転する場所より高いのですが、建物の中で重力が反転すると危険なので、通常、天井の重力を抑制するように調節されています」
「へえ。この世界じゃ、重力をあれこれ操作できるんだ」
「人工重力は、このグランディスタ特有の技術で、他のリージョンでは見られません」
ナナは、取り敢えず、納得した。そして、次の疑問に移る。
「ところでレナード、この足下にあるコレ、何?」
「定期船です」
ナナは、機械達に襲われた時に見た、空を悠然と進んでいた飛行船が、これなのだと今更ながら気がついた。
レナードは、初めからこうするつもりだったのだ。
まるで、コンピュータがはじき出す、シミュレーションのような計画。
やはり、彼は人間ではないのだと、ナナは強く感じた。
「これからどうするの?」
「このまま、この船であそこへ行きます」
レナードの指の先には、あの、地上から天井までを貫いている、柱のような建物が聳えていた。
「マスターに指示を仰ぎます」
彼はそう言った。
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