表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラ・メトリの書  作者: 柚田縁
第一章 セヴンス・エスケープ
4/182

4.襲撃

舞台が例の部屋から移り、お話が動き出します。よろしければ、読んでいってください。

 全く音の無い部屋に戻った。彼女自身の胸の鼓動が、すぐ側で聞こえてきそうな程、途方も無く静かだった。


 ナナはゆっくりと顔を上げて、目の前の壁をじっと凝視した。

 不意に、そうだ、と思った。あれは窓なんかじゃなくて、映画のスクリーンと同じなんだ。あの光景は偽物に違いない。

 だけど、そう考えると、ここは本当にどこなんだろうか。

 思考が、堂々巡りしてしまう。


「とにかく、外に出してもらおう。そうすれば、何もかもが解決するかもしれない。もしかしたら、外にでられれば、元の場所に戻れるかも」


元の場所というのがどこを差しているのか、具体的には考えないまま、すっくとナナは立ち上がった。

 その時、もの凄い音と衝撃が、部屋全体を震わせた。

 ナナの体は、まるで紙切れのように軽々と持ち上がり、そのまま壁に叩きつけられた。

 目の前が真っ白に煙って、何が起こったのか全くわからなかった。


「ご主人様ー!」


扉が開かれ、そう呼ぶ声が聞こえた。

 やがて、空間が元の透明さを取り戻し始めた。

 さっきまでナナが腰掛けていたベッドの向こうには、先ほどスクリーンに映っていた、空飛ぶ乗り物が、潰れたフロント部分を、無様に晒した状態で横たわっていた。

 もちろん、その乗り物の周囲では、崩れ落ちた壁の残骸が山となったり、散らばっていたりした。


 乗り物が壁を突き破って入ってきたという、単純明快な事実よりも彼女に衝撃を与えたのは、突き破られてできた穴の向こうに見える光景が、先ほど見た都市の景色と寸分も違っていなかったという事だった。

 映画みたいなスクリーンなどではなかったのだ。

 ナナの思考は、束の間ではあったが停止した。

 現実へと引き戻したのは、あの男の言葉だった。


「もうこの場所が? ご主人様を狙っている奴らです! 逃げましょう!」


「私を狙ってる? どうして?」


 ナナを狙って現れたその奴らは、猫くらいの大きさで、虫に似た格好をしており、動きはまるでアシダカグモのように滑らかな、銀色の自律駆動する機械群だった。

 彼女にとってその見た目は、生理的に受け付ける事の出来ない存在だった。


「質問は後にしてください」


そう言うと彼は、ひょいとナナを抱えた。またしても、お姫様抱っこで。


「ちょっ!」


 悲鳴に似た抗議の声を上げたが、彼は、全く聞いていない様子だった。


 扉を乱暴に開いて部屋を出ると、廊下をもの凄い速さで走っていく。自転車くらいなら、追い越せそうなスピードだ。

 廊下に響くのは、背後から迫りくる機械達の音だけで、それ以外は誰もいない、静かなものだった。それだけに、追跡者の発する規則的な金属音は、彼女に恐怖を抱かせた。


 廊下をどのように進んだのかわからないが、男は不意に立ち止まった。そして、呟いた。


「囲まれる」


「え?」


ギチギチという気分を悪くする機械音は、ますます大きくなっていく。もう反響のせいで、どの方向から聞こえてくるのかわからなくなった。

 前方しかナナには見ることができないが、廊下の曲がり角を、あの虫のような刺客達が曲って、こちらに殺到してくるのがわかった。


 すると、彼はナナを地面に立たせた。それから、左手をナナの背中に回し、短いながらも強い口調で言った。


「しっかり掴まってください」


ナナは少し躊躇したが、言われたように彼の体にしがみ付き、目をぎゅっと閉じた。

 固く、冷たい感触があった。


 体が浮遊する重力変化の後、風邪が感じられた。次の瞬間、もうナナは、彼の両腕に抱かれていた。

 目を開くと、すぐ目の前に例の男が、しゃがんでいた。周囲は狭く、それ程長身の高くない彼女すら、普通に立つ事は出来ないくらい天井が低い。


「ここは?」


「通気口です」


二人が入ってきたと思しき穴から下方を見ると、あの機械達が積み重なるようにして、背を伸ばしていた。


「次期に奴らも、ここに到達します。さあ」


ナナは下を眺めながら、思った。


(こんなに高いのに、この人、跳んだの?)


 ナナは、四つん這いで通気ダクト内を進みながら、前を行く男の事を考えていた。

 彼が一体何者なのか。そこに尽きる。

 彼女が今知り得ている情報は、男が自分の世話と護衛を兼ねているという事と、マスターという人に、それを命じられているという、この二点のみ。

 マスターとは主人の事だが、彼は彼女の事を主人と呼んでいる。どうやら、主人が二人いるらしい。


「あともう少しです」


彼はナナに顔を向けて、励ますような口調でそう言った。


 通気ダクトを数十分程彷徨った後、光の漏れだす穴から二人は降りた。

 その部屋は、二人が入ればもういっぱいになるくらい狭い小部屋で、よく知りもしない男女二人が身を潜めるには、抵抗があった。


 けれども、安全な場所である事は間違いなさそうだ。

 壁は滑らかな手触りだが、コンクリートのように、頑丈そうな素材で出来ているようで、厚さも相当あるみたいだ。それに加えて、扉は重たげな金属で出来ているようで、天井の光源を受けて鈍く光っている。


「よく、こんな逃げ込むには、最適な場所に来れたわね」


少々皮肉混じりに、ナナは言った。

 ナナがそんな事を口走ってしまったのは、彼についていくら考えても、思考が堂々巡りするだけなので、いい加減うんざりしていたのだ。


「はい。調べました」


さも当然の事のように、男はそう宣った。


「調べた? いつの間に?」


彼は、表情に困惑の色を浮かべた。

 ナナは、真っ直ぐ彼の瞳を睨み付けた。


「ご主人様?」


「やめて」


彼女は、声を抑えて冷静さを強調した。


「私はあなたの主人なんかじゃない」


困り顔で彼は言う。


「しかし」


ナナはそれを遮り、尋ねた。


「あなたは一体誰?」


「私はマスターよりあなたのお世話と護衛を……」


「それはもう聞いた。そもそもあなた、何ていう名前なの?」


ナナは苛立ちを辛うじて隠しながら、そう尋ねた。


「名前?」


訊き返した彼は、押し黙った。

 ナナは辛抱強く答えが返ってくるのを待った。

 彼は何かを心の中で決めたらしく、意思の宿った目をして、こう言った。


「私を識別するものでしたら、SG-0710です」


彼女は初め、それが何で構成されているかさえわからず、僅かな間、無言で口を噤んでしまった。

 それから、ようやく理解し、答えた。


「何それ? アルファベットと数字? 名前ってそういうものじゃないでしょう?」


「私には、わかりません」


そう言った彼は、明らかに消沈していた。

 彼女は小さくため息をついた。


「私はナナ。私を私としているもの。あなたをあなたにしているものは?」


彼は困惑の表情を崩し、破顔して言った。


「それならわかります。私は、あなたを護るために存在を許されました」


ナナは惚けたように口をぽかんと開けて、またしても言葉を失った。

 そして、自分とこの青年との間には、大きな隔たりがあるのだと悟った。


「いいわ。あなたは私じゃない。それもまた事実だもんね。取り敢えず、呼び名は必要だから。たしか、なんとか0710だっけ?」


「SG-0710です」


彼は嬉々として答えた。


「うーん……レイ、ナナ、イチ、レイ。レイナトウ……レナト、レナード。うん、レナード! ねえ、あなたの事、これからレナードって呼ぼう。いいでしょ?」


「それは、私のナマエですか?」


「うん、うん」


「ありがとうございます、ご主人様!」


ナナは苦虫を噛み潰したように顔をしかめると、レナードの口元に、人差し指を立てて言った。


「ストップ! 私の名前は、ナナ」


「ナナ、様!」


「うーん。様、はやめてくれる? まだ、鳥肌が……」


「それでは」


レナードはあからさまに難色を示した。


「じゃあ、主人からの命令って事でどう?」


ナナは、冗談めかして言った。


「わかりました。……ナナ」


「よろしい」


ナナは、口許に笑みを浮かべた。

 考えてみれば、目覚めて以来、初めて笑った事になる。

 しかし、その笑みも長くは続かなかった。

 次の瞬間、二人の表情は良くない形で固まった。

読んで頂き、ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ