42.アニマの昇華
「どうして? どうしてあんな幸せそうに笑って……死ねるの? わからない、私にはわからない」
ナナは両手で頭を押さえ、激しく頭を振った後、その場にうずくまった。酷く混乱しているのが容易に見て取れた。
レナードは、そんな彼女の肩に温かな手をそっと落とした。それから、小さな子に難しい摂理を解いて聞かせるみたいな優しい口調で、彼女に語った。
「彼は死んでしまったのではありませんよ。ただ、その役割を終えたのです」
「何が違うの! 役割って何! もう、ずっとこのまま、動かないんだよ? おんなじじゃないの!」
ナナは屈んだ状態のままレナードを見上げ、半ば激高して言い返した。
「ナナの……人間の死生観は、私にはわかり兼ねます。私も人間ではなく、ヒトですから。ヒトにとって、志半ばで果てるのと、与えられた存在理由を満たして生を終えるのでは、意味が大きく違っているのです。見てください。彼の体からアニマは流れ出していないでしょう?」
そう言われて、彼女は横たわる男の全身を見た。
あの青白い燐光を放つ不思議な液体は、確かに一滴も流出していない。ボロボロであちこち傷だらけになっているというのに。
「本当だ。どうして?」
「彼のアニマは地に還るのではなく、昇華したのです」
「よくわからない。昇華って、どういう状態なの?」
レナードは視線を斜め上に向けて、思案しているのか表情の薄れた顔をして黙り込んだ。
日はとっくに暮れたというのに、今日の黄昏時はやけに明るかった。
ナナは立ち上がり、辺りを見回すも、既に誰の姿も見えなくなっていた。今となっては屹立するただ大きいだけの影、バロール。みんなそこへ行ってしまったのだろう。
彼女は少し冷たい風を吸い込んで、溜息のように吐き出した。それから、レナードへと目を戻した。彼と目が合う。さっきナナが深く息を吐き出したのを、待ちくたびれてのものだと彼は受け取ったのかもしれない。
一瞬、訂正しようと考えたが、結局ナナはそのまま捨ておくことにした。実際、待つのもなかなかに煩わしいものがあったから。
その効果があったからなのか、レナードは少々焦りながら話し始めた。
「アニマの昇華でしたね。言葉にするのが難しいのですが、強いて言うなら、彼の中にあったアニマが、彼の意識を伴ってより高位な存在になった、ということなのですが……わからないですよね?」
彼女はうんうんと首を縦に振った。
「ですよね、ハハハ。うーん」
説明に詰まるレナードに、ナナは改めて予てからの疑問をぶつけた。
「そもそも、アニマって何なの?」
「アニマとは、ヒトをヒトたらしめる……」
レナードがどこか得意げに述べるのを、ナナは遮った。
「だから、それがわからないんだって。教科書を調べたら出てきました、みたいな説明じゃなくて、もう少し具体的に……例えば、アニマを持っている『ヒト』と、持っていない『機械』の違いとか、私にはよくわからないんだけど」
「それは全く違いますよ! まず、機械にはヒトとしての人格がありません。つまり、物体であり、生体ではないのです」
「えーっと。ヒトは人格があるから生き物で、機械に人格はないから生き物じゃない。そういう意味? でも、人格だったら人工知能でどうにかならないの?」
眉をひそめるレナード。
「人工知能ってどういうものですか?」
「え?」
「聞き間違いでなければ、そういう言葉は聞いたことがないですし、データベースにもおそらくないでしょう」
「だけどっ! さっき……!」
そこまで感情に任せて叫ぶように言った時、ナナの脳裏に浮かんだのは、今足元で動かなくなっている青年の言葉だった。
それは、『失くしたアニマを補う為に、コンピュータを増強した』という言葉だ。増強されたコンピュータというのが、人工知能に当たるのではないかと、そう考えたのだ。
頭の中でそれを何度も繰り返しているうちに、ふとそこにアニマのことを理解するヒントがある、そんな気がした。
『アニマを補う』という部分から、主体となるのはあくまでアニマであり、コンピュータは文字通り補助する機関ということになる。
仮に全てをコンピュータで制御する機械を造ったとしたら。
彼等ヒトは、それを知能及び人格とは呼ばないだろう。技術云々の話ではない、考え方なのだ。
徐々に、ナナにもわかってきた。
たとえ、人工知能を作り出す技術があったとしても、それを生命とは認めない世界なのだ。
それでは、アニマとは何なのか。
彼は言っていた。大部分のアニマを失って一度死んだ、と。それは、アニマと命がイコール関係にあるということ。
そこまで考えるに至り、ナナは呟いた。
「ああ、この世界にはアニマに代わる別のモノってないんだね」
「どうしました? 急に……」
「さっきレナードが言った、彼の中のアニマが、その意識と一緒に高位な存在になった、ていうの、ちょっとだけ理解できたかも」
戸惑いながらレナードは大きく頷いた。
「そうですか。良かったです。ついでに言うと、その高位な存在のことを、私達はエーテルと呼んでいますよ」
「もう……なんか、よくわからないわ。けど、このヒトが幸せならいいのかもしれない。一度は失いかけた命でも、二度目は……」
彼女はもう暗くてよく見えなくなった男性の顔の辺りに目を遣った。幸せそうに笑う彼の表情が目に焼き付いていた。
「そろそろ行きましょう。もう、こんなに暗くなっちゃいましたし」
「そだね」
総督府だというその建造物。その入り口の前には数えきれない程の監視カメラやセンサー、それから多数の銃火器が配備されていて、物々しいことこの上なかった。しかし、どれもこれもが機能していないのか、少年は呆気なくゲートを通過していく。
それを唖然として見送るハジメに向かって、少年は手招きをしてくる。
彼はカメラと銃器を交互に見比べ、思った。
(もしも、これが正常に作動していたら……ゲートをくぐろうとした瞬間、俺はハチの巣か)
「早くー!」
じっとりと汗をかき立ちすくむハジメを嘲笑しつつ、少年は彼を急かした。
「クソ、なるようなれ!」
ハジメはなるべく銃身が視界に入らないように俯き、走った。
「ふー……」
何事もなく、安堵の息を吐くと、皮膚に張り付いていた汗がどっと流れ出し、顔面などは滝のようだった。
「ゲートの防犯システムなんて、竜巻でとっくに壊れてたんだよー」
そう言った少年は面白そうにケラケラ笑っていたが、やがて、興味をなくしたように表情から色が消えた。
何か予感がして、ハジメも身構える。
少年は踵を返し、閉ざされた横開きのドアを手動で開けた。
それまでの軽快な足取りが嘘だったみたいに、その足取りはゆっくりとしていてどこか威風堂々としていた。
ハジメはその背をしばし呆然と見つめ、ハッと気が付くと置いて行かれないよう小走りで追った。
それから非常灯の弱い光の中、広い廊下をひたすら真っすぐ進んでいくと、コントロール・ルームと書かれた札のある扉の前で、少年の足が止まった。
彼は視線の端でハジメを一瞥すると、扉の横にあって青白い光を放つ長方形のセンサーに手をかざした。
音もなく扉は開き、小さな部屋が姿を現した。どうやら、コントロール・ルームへ向かう直通のエレベーターのようだ。
二人が乗り込むと、扉は閉ざされて上昇を始めた。エレベーターはすぐに止まった。正味フロア二つ分くらいしか上っていないと思われた。
扉が開くと、光が溢れだした。
反射的にハジメは目を閉じた後、少しずつ瞼を上げていく。コントロール・ルームは全面ガラス張りの部屋だった。窓から見えるのは、ウィンディア・ポリスの景観と、赤く染まった空。もう日は沈んでしまっていたが、残された光が今もって最後の力を振り絞っているようだった。
気が付くと、複数の視線がこちらに注がれていた。その顔から読み取れるのは、『誰?』といったところ。きょとんとしている。
すると、急に少年が一歩前に出て、口を開いた。
「やあ、みんな。無事で何よりだよ」
それでも、視線を送る者達の困惑は収まらず、なお一層深まるばかりのようだった。
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