40.消失
ゴウゴウと化物の咆哮にも似た風音がする度に、四方の岩盤が揺れ砂や石がパラパラと落ちてくる。地下にいてこれなのだから地上の現状などありったけの想像力を働かせても、まだその斜め上をいくに違いない。
道幅は大人二人分くらいしかないが、幾つかあるだけの小さなハンドライトではやはり頼りない。
そんな中をアガートラームの面々は、地下に張り巡らされた小径、ネストを進んでいた。皆、一様に言葉少なで、時折大小の悲鳴が上がるくらいだった。
シルバー・クロウは少し離れて最後尾を行くが、その顔は石像のように固く、そして陰鬱だった。心中では、常にある考えがせめぎ合っていたのだ。
本当にこうすることが正しかったのか。
それはつまり、未だ知られていないネストの奥深い場所へ進むのが、生存率を上げる結果になるのかどうかという迷いだ。
彼がそんな思いに囚われていると、真横で何者かの息遣いが聞こえた。いつの間にか、そこにはラピッド・ラビットがいて、今ちょうど何か話しかけようと息を吸い込んでいるところだった。
「どうしたの? らしくないよ、ボス」
表情に不安の見え隠れする中、彼はにこやかにそう言った。
「お前、どうしてここにいる。先導はどうした?」
「しばらく一本道みたいだったから、すぐ後ろの人に頼んできたんだよ」
にへらと笑うラピッド・ラビットに、シルバー・クロウもついつられて笑みをこぼしてしまった。
「うんうん。ボスはやっぱり余裕しゃくしゃくに笑って、いつも泰然としてなくちゃ」
「そ、そうか? いつも、俺はそんな風だったのか?」
否定も肯定もしなかったが、その後の彼の無言が答えを物語っているように思われた。
シルバー・クロウは小さく頷き、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
「余裕……しゃくしゃく、か」
それは、今の彼に最も足りないものだったかもしれない。
惑い、後ろばかりを見ているそんな自分は、とうの昔に捨て去った筈だった。翼と共に。
無性に背中がむず痒くなる感覚は、やがて熱を帯び、痛みへと変わっていった。そんな時、列が前進を止めた。
ヒトビトの声が、揺れる葦の群みたいにざわざわし始めた。
「ラピッド・ラビット、前の様子を見てくるんだ」
「わかったよ」
ウサギは自慢の脚力で列の脇を疾走していく。
再び戻ってきたラピッド・ラビットは息を切らしつつ、列が足を止めた理由を語った。
「湖みたいのがあって、これ以上先へ、行くことが、できないみたい」
「地底湖だと? 深さはどれくらいなんだ?」
「わかんない。だけど、歩いて渡れるくらいなら、とっくにそうしてるよ、きっと」
シルバー・クロウの念頭に、また一つ厄介ごとが増えた。
しかし、今回の彼の決断は早かった。
「今更引き返す訳にもいくまい。前進を継続する」
「つまり、泳げってこと?」
「無論だ。怪我などしている者がいたら、積極的に助けてやれ」
よどみのない彼の口調が皆の不安感を払拭したのか、不満や戸惑いの声は聞かれなかった。
少し経つと、ゆっくりではあったが列が動き出した。ラピッド・ラビットは、そんな様子を腕組みしながら満足げに眺めていた。
シルバー・クロウは、彼に言った。
「もう持ち場に戻れ」
「えー。……わかりました、ボス」
彼が去って周辺が静かになると、半分忘れかけていた風の猛威が更に差し迫っていると感じられた。
砂つぶのようなものから手のひら大の礫まで、天井の一部が剥がれたものだろう、落下してくる。
「マズイな。ここで大分タイム・ロスになる」
しばらくして、シルバー・クロウの目にも暗闇で鈍く光る水面が映った。あらゆる光を吸収するようなマットな黒色だ。
もう対岸へ渡りきった者達もいるようだが、まだ少数派のようだ。
早く早く早く。
けれども、彼の願いは届かなかったようだ。
地下通路に生暖かな風が吹き込んできた。多くはそれに気が付かなかったか、気にも留めなかったかのだろうが、シルバー・クロウにははっきりとその危険性がわかっていた。
地面を抉り取った竜巻の足部が、とうとうネストと繋がってしまったのだ。
最初は微風のようだった風は、間もなしに暴虐な本性を表した。
湖の水面は風に煽られて高波を発生させ、落下物の大きさがヒトの頭骨程までになった。
ヒトビトは連鎖的にパニック状態に陥り、陸にいた者は湖へ飛び込み、水中にいた者は這々の体で陸へあがっていく。
シルバー・クロウは、頭を両腕で庇いながら、「落ち着けー!」と、連呼し続けた。
そんな状態は、ほんの数分間だった。
どういう訳か、風は止まった。
それは願いこそすれ、誰も想像しなかった筈だ。
「おいおい、そっちは危ないっていってるだろ! 少しくらい話を聞け!」
ハジメはそんなことを訴えながら、必死に引きずられまいと抵抗していたが、如何せん少年の力が強くて思ったようにはいかない。
当の少年は一見すると無邪気そのものな顔で、鼻歌混じりにハジメの言葉を黙殺し、風の渦巻く方へずんずん進み続けていた。
他の面々はというと、そんな様子を遠目に見ながら、仕方ないとばかりに控えめな歩幅でついて来た。
ハジメはそんな彼等に一縷の望みをかけて助けを求めた。
「お前達も黙って見てないで、助けてくれよー!」
しかし、互いに目配せしながら目を逸らす者ばかりだった。
「もう、さっきからうるさいよ! 大丈夫だって!」
「どこから来るんだ、その自信は」
すると、彼は子供離れした怪しげな笑みを目と口許に浮かべて、黙りこくった。
(もう嫌だ……)
そこで彼の意思は、あっさりとへし折れてしまった。後は、不思議な少年に手を引かれるまま、無抵抗でついて行くこととなった。
やって来たのは、まだ形を保っているビルの屋上。当然、エレベーターの類は全て止まっており、非常階段を登っていく形になった。
登りきるとそこはとても見晴らしが良く、巨人バロールと称される総督府を中心に、それを取り囲むよう区画整理された街並みがあった。
同時に、視界から外そうとしてもそうできない、竜巻とそれに付随する黒雲が見えてしまう。風の筋が、鉛筆でぐちゃぐちゃに書き殴った描線のようになっている。
「確かに、この光景は面白いかもしれない」
不謹慎かもしれないが、ハジメがそう思って小さく呟くも少年は何も答えない。
あるいは、聞こえなかっただけか。少年は虚ろな目で風で出来た柱の上の方をじっと凝視していた。
ハジメもそれに習って同じ方向を見つめた。そうして見ていると、ただ無秩序だと思っていた風の動きの中に、ある種の法則性が見えてきた。上手く言葉には出来ないが、少なくともこれが自然に生じたものではなく人工的なのだと、ハジメは思い知った。
「来た」
ふと、少年がそう口にした。
ハジメはちらっと彼の顔を見遣った後、すぐにまた竜巻に目を戻した。
しばらく経って最初に異変を見つけたのは、さっき法則の存在を知ったばかりの、風の動きについてだ。
ラジオの電波を乱すノイズのような、毛色の違った一筋の風。そういったものが、秩序立った風の渦に混ざり始めた。それはやがて、周囲の風を乱し、乱れた風が更に周囲の風を乱す、つまるところ連鎖反応だ。秩序を失った風は徐々に四散し、それと共に竜巻はその規模を縮小していった。
『来た』
少年のその言葉から竜巻消失まで、およそ三分くらいの出来事だった。
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