35.危機一髪
ご無沙汰してます。
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それが起こった時、ナナは何も考える事が出来ず、呆然とその場に立ち尽くしていた。
他方、ミレイはというと、そんな彼女よりも幾分精神的余力があったのか、甲高い声で悲鳴を上げた。
たった今までそこにあったきらびやかなホテルは、もう原形を留めない程に倒壊し、崩れ落ちた。
ロミオが切れ切れの息を吐きながら、額の汗を手の甲で拭う。
「いやぁ、本当にギリギリでしたね」
たった数分前まで、彼女等はそのホテルの内部を迷走していた。それは、ロミオがリモコン着火式のダイナマイトを偶然見つけた事から始まった。彼がいなければ、今頃みんな瓦礫の下にいただろう。
ポツリポツリと降り出した雨は、すぐに本降りになった。
「これからどうしましょう」
ナナはまだ胸に杭を打ち付けられたみたいに息苦しく、言葉を紡げるような状態になかった。
誰も口を開かないでいると、ミレイが答えた。
「とにかく、ここにいたら危険だわ。また、どこかが崩れてくるかもしれない」
「じゃあ、安全なところまでひとっ走りしましょう。車、取ってきます」
そう言って走り出そうとする彼を、ミレイは引き止めた。
「待って。この瓦礫の散らばった道を、車で走ろうっていうの?」
「あ、そうでした。グランディスタのやつだったら良かったのに」
その時になって、やっとナナはものを考える準備が整った。そして、頭に浮かんだのは、一人の少女の安否だった。
「そうだ! レイナちゃん、大丈夫かなぁ!」
言い終わって、彼女は後悔した。そんな事、誰にも答えられないだろう、と。徒らに、彼等の考える事を増やす結果にしかならない。
けれども、予想外にも、はっきりとした反応があった。
「大丈夫」
それは、落ち着き自信に満ち溢れたミレイの声。
「え?」
「まぁ、これくらいなら大丈夫でしょう」
ロミオもそう言って、複雑な微笑みを浮かべた。
「これくらい?」
ナナは困惑して、頭を抱えた。
そんな反応が可笑しかったのか、ミレイが追撃した。
「レイナは、その……強いから」
それを受けて、ナナの中のレイナのイメージは、下地から塗り替えられる事となった。
(強いって言ったって……どんななの? レイナちゃんって)
ミレイとロミオが何やら言葉を交わして今後の方針を相談している間も、ナナだけは蚊帳の外で、あんなに小さな女の子がどうやって並み居る強敵をギタギタにしてきたのか、想像力を働かせていた。
やがて、ミレイとロミオの間で方針が定まったらしく、ナナは名を呼ばれた。
「ナナ。取り敢えず、別の区画へ移動するわ」
ミレイ達はまっすぐ伸びた道路沿いの建物を見て、より被害の少なそうな方へ向かおうとしているらしい。
「あっちの方が少しはマシみたいね」
「ですね」
二人は指さした方へ歩き出した。
ナナは遅れないように、その後を着いていく。未だ、レイナのイメージは定着しない為、気もそぞろになりがちだった。
遠くに見えていた瓦礫の山が、目と鼻の先になる頃、ハジメは一旦立ち止まった。
低く垂れ込めた雨雲によって隠されていたものが、徐々に明るみに出てきた。それは、伝説の巨人に例えられるウィンディアの中核、総督府の建物だ。
対面にあったホテルは見る影もなく崩れているというのに、総督府は素知らぬ顔で屹立している。
ラピッド・ラビットの話によると、ホテルは総督府に倒れ込むように崩された筈なのだが。
ハジメはまた走り出した。無意識のうちに目を背けていた頭痛が、こんな時に思い出されて辛い。足が地面に着く時の振動で、ズキズキと。
「あ、いたいた」
後ろから声がしたので、振り返る。
ラピッド・ラビットが大きく跳躍して、彼の視界から消えた。着地点は、ハジメの進行方向、五メートル先だった。
「勝手にどこかへ行かれたら、困りますよー」
「うっせーな! 着いてくんな、馬……痛っ!」
大きな声を出すと、頭は酷く痛んだ。
「大丈夫ですか?」
「お前の所為なんだよ! 黙れ、うっ!」
ラピッド・ラビットは大きな溜め息を吐いた後、「仕方ないですね」と小声で呟くと、ハジメに背中を向けた状態でしゃがんだ。
「連れていってあげますよ。いずれ僕もこっちへ向かう予定になっていましたし」
ハジメは怪訝な目を向け、彼をじっと目を向けた。
「ほら、早く。掴まってください」
怪しげに思われるところは無さそうだ。
「……わかった。世話になる」
ハジメはラピッド・ラビットに負ぶさる形で落ち着いた。
そこから瓦礫の山までは、文字通り一足飛びといった風だった。着地の際、過去最大の頭痛を手土産にもらい、半ば雑に落とされたハジメは頭の痛みに耐えかねて地面をのたうち回った。
「ハジメさん、何してるんです?」
彼は何も口にせず睨む事で返事をした。その時、目元に浮いた涙は、降りしきる雨でラピッド・ラビットに伝わる事は無かった。
「まぁ、いいですけど。そんな事より、僕、これから今後の打ち合わせに行かないといけないので、ここにいてください。もうすぐ、代わりのヒトが護衛にやって来ますので」
彼はそう言うや否や、手近にある低い屋根へ跳び、そのままどこかへ去ってしまった。
横になった状態で、彼はしばらく雨に濡れていた。
無性に寂しくなった。空虚なノスタルジアにも似たその感情は、今まで出会った誰にも埋められそうになくて、ただもう悲しかった。
何故そんな想いに至ったのか。考えると、すぐにわかった。この世界での始まりが、雨の中だったのだ。
それが、思い出せる一番古い記憶。
彼は卑屈な笑みを顔に浮かべつつ、よろよろ立ちあがった。すると、背後に何者かの気配を感じた。急いで振り向くと、見た事のある人物が立っていた。
「護衛はあんただったのか?」
サイレント・ジャガーはいつものように無言で頷いた。
「護衛か」
彼は辺りを見回した。
「この状態で、護衛も何もないだろ」
彼らを取り囲んでいるのは、死屍累々の惨状。
「本当は監視役と言ったところか」
皮肉っぽい笑みを彼女に向けるも、その鉄面皮に変化は見られない。それどころか、ハジメの言葉を全く意に介さず、言った。
「来て」
多くを語らず、強引な点は相変わらずだ。
こういう時、訳を聞いても抵抗しても何にもならないと彼は知っていたので、黙って着いていく事にした。
彼女の進む方向は、先ほどラピッド・ラビットが向かったのとは異なっている。一体、その先に何があるのか考える間もなく、サイレント・ジャガーに動きがあった。キビキビした動きで物陰に身を潜め、遠くの様子を窺い出したのだ。
誰かいるのだろうかと、ハジメは目を凝らして視線を向けた。時の止まったようなこの一角に、三人のヒト達が雨に打たれて歩いている。その足取りは思いの外しっかりしているようだった。
「誰だ?」
「しっ!」
咎められ、ハジメは身を縮こめた。
「敵の生存者だろう」
彼女はそう言うが、隊列を組むでもなく付いたり離れたりする奔放な動きなど、あまりに無防備なその歩き姿が、きちんとした訓練を受けた軍人にはとても見えない。
「あれはなんか、大丈夫そうだけどな」
小さめに言ったがそれは、おそらく彼女の耳にも入った筈だ。
しかし、聞く耳は持ってくれないらしく、「もう少し近付いてみよう」と言って、二メートルくらい先の物陰に隠れた。
ハジメは気だるそうにその後に続いた。
三人のうち、遅れ気味だった一人が、何かに躓いて転倒、水たまりに倒れた。
「うぉっ!」
思わず、ハジメは声を上げてしまった。
前を行っていた二人が、ハジメの声だか水の飛び散る音だかに気付き、振り向いて助け起こそうとした時、片方の女と目が合った。
「あ」
思わず、声が出た。向こうでも同じだったらしく、口が「あ」の形で固まっていた。
彼女は、ミレイだったのだ。
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