表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラ・メトリの書  作者: 柚田縁
第五章 エイス・クロッシング
169/182

30.交渉の行方

 眠っては目覚め、また眠るを何度か繰り返す。そんな断片的な眠りを貪りながらハジメは、高い天井に描かれた幾何学模様をぼんやり眺め、深い溜め息を吐いた後、呟いた。


「もう朝なのか」


部屋の中はカーテンの隙から入ってくる日差しに照らされて、仄明るくなっていた。


 今夜の彼の寝床は、三人くらい座れそうなソファだった。ベッドは無人。彼がこのソファを選んだのは、ちょっとした気まぐれでしかない。


 横たえられた体を起こし、ふらふらと立ち上がった彼は、すぐに立ちくらみに襲われて元のソファに倒れこむ。


「ちっとも眠れた気がしない」


思わず口を突いたのは、気弱な一語だった。


 ハジメは片手で目を塞いだ。異様に冷たい手が、瞼を通して眼球の熱を吸い取っていく。


 彼はまた溜め息を吐いた。

 丁度その時、扉をノックする音が部屋の空気を揺らした。返事をするよりも早く、戸を叩いた者の声があった。


「まだ寝ているのか」


感情の込められていない冷ややかな声。

 しかし、そういう物言いをされると、不思議とムキになって声に怒気が入ってしまう。


「もう起きてるよ!」


「それならいい」


何がいいんだ。そんな悪態を口内で押しとどめると、彼は立ち上がって扉の方へ向かった。足のふらつきはどうにもならなかったが、立ちくらみは起きなかった。


 彼が出入り口の所まで到着しないうちに、扉の向こうで何やらカチャカチャ音がし始めたかと思うと、不愛想な女が戸を開けて入ってきてしまった。


「はぁ?」


思わず足を止め、ハジメは頓狂な声を上げた。


「あ、本当に起きてた」


「なんで嘘だと思ったんだ……っていうか、それ以上に鍵……」


「朝方のよくある光景だと思った。普通、あと五分……とか言うでしょう」


一時的に彼は閉口したが、彼女が拾わなかった話題を追求した。


「だから、鍵は!」


彼女は悪びれもせず、鍵を顔の前まで持ち上げてシャランと揺らし、「スペア」と言いのけた。


「スペア?」


「そう」


「そうか……」


何か言ってやらないと気が済まない。だが、言うよりも早く、彼女は自分のペースで勝手に話を進め出した。


「そんな事よりも、そろそろ出発するわ」


「……どこに?」


気は進まないが、彼は渋々聞き返した。もう、彼に主導権は降ってこないと知りつつ。


「昨夜、見たでしょう? 大統領府よ。そこで、あなたはあなたの役割を果たすの」




 巨大な風車を頂きに掲げた、ウィンディア最大の建造物。それは皆に畏怖の念を込めて『巨人バロール』と呼ばれている。


 ホテルから真向いの大統領府へ向かう道中、ハジメの頭の中にはずっとサイレント・ジャガーの放った言葉が巡っていた。


『あなたはあなたの役割を果たすの』


 俺の役割。そんな事わかり切っていたし、割り切ってもいた。

 捕虜にして交渉の鍵。

 どの道、ウィンディア・マスターには会わなければならなかったのだから、別に利用されるとしてもお互い様だ。そう思い、流されるままここまでやってきたのだが、いざとなると、気が重い。


 アガートラームと政府の交渉が、上手く行く保証はない。冷静に考えると、むしろ決裂する方がよりあり得るのではないだろうか。決裂したら、どうなるのか。


(嫌だ、考えたくない)


脳は本能的に考えるのを拒絶した。


 いつの間にかハジメはホテルのエントランスまでやって来ていた。斜め前を行くサイレント・ジャガーが、一度振り返った。その唇は何か言いたげに一瞬開かれたが、結局何も口にせず前を向いて歩みを遅くした。


 高まる緊張感に、心臓が早鐘を打つ。

 遮光フィルムの貼られた褐色透明の自動扉が開かれて、眩しい光が迸ってきた。


 ハジメは目を閉じ、ゆっくりとまた開いていくと、光の正体が大統領府の窓に反射した朝日だとわかった。

 片手で庇を作り視線を降ろしていくと、車道の真ん中付近で威風堂々立つ男の背姿を見つけた。


「シルバー・クロウ」


彼女はその男の名を呼び、駆け寄っていった。


「連れてきた」


「ああ、ご苦労だった」


男の目は迷いなくハジメへと向けられた。少しだけ彼の表情が和らいだような気がした。


「君もよく来てくれた。礼を言う」


「礼なんて……」


様々な事で頭がいっぱいのハジメには、それだけ言うのがやっとだった。

 シルバー・クロウは一つ頷き、言った。


「もう次期、約束の時間だ。ウィンディア・マスターが出てくるだろう」


三つの視線は、大統領府の入り口に集中する。

 そのまま射るような眼差しで睨みつける事五分。ようやく扉が開かれた。現れたのは五人の黒服に囲まれた、一人の男。


(あれが、ウィンディア・マスターなのか)


ハジメがそう思って見ていると、突然咆哮のような声が飛んだ。


「どういうつもりだ、これは!」


音がするくらい歯を食いしばったシルバー・クロウは、数歩前に進んで続けた。彼が前進した事で、宰相と呼ばれた男の周囲の護衛達は警戒を強めた様子だ。


「宰相殿。マスターは如何なされた」


極限まで感情を抑えた声で、彼は問い質した。


「マスターは残念ながら、君達とお会いにならない。お体の調子が優れないようでな。それよりも、そこにいるのが『人間』という生き物なのか?」


シルバー・クロウは何も答えず、目ばかりを唯々鋭く研ぎ澄ましている。


「ああ、そうだ。俺が人間だ」


ハジメは彼の代わりに返答した。

 途端に、宰相はその表情から余裕の笑みを消し、その代わりに侮蔑の瞳を向けた。


「実に耳障りな声だ。それに、苛立たしい。見ているだけで吐き気がする」


吐き捨てるようにそう言うと、宰相は目を背けた。

 ハジメは少々笑ってしまった。ここまで嫌われると、単純な怒りなど湧いてこないものらしい。


(人間だからと、ここまで蔑まれたのは初めてだな)


「宰相殿、交渉するお気持ちはあるのでしょうな」


今度は落ち着き払った様子のシルバー・クロウ。もう、いつもの冷静な状態に戻ったようだ。


「一応、そこの人間は貰っておく。マスターのご所望だからな」


「では、こちらの要求も聞いてもらおうか」


「交渉だと?」


宰相はわざとらしく嘲笑を浮かべ、続けた。


「笑わせるな。何故、交渉などする必要がある。しかも、罪人などと、な」


罪人と呼ばれ、シルバー・クロウは感情の読めない顔で黙った。


(罪人。反政府組織を率いているからなのか?)


ハジメはそう考えたが、どうも違うらしい。それは、その後の宰相が言った事からわかった。


「よくもまあ、そんな輩の大義の下に集まったものだな、愚民どもは」


すると、それまで黙って俯いていたサイレント・ジャガーが、小さく呟いた。


「それ以上言うな」


「何か言ったか? 愚民」


「それ以上、言うなと言っている!」


激昂する彼女に、驚き唖然とするハジメ。

 彼女が走り出そうとするのを、シルバー・クロウが制した。彼女は不満そうに彼の顔を見上げる。


「俺の事はいいんだ」


「しかし……」


「そんな事より、今の事態は最悪だ。プランCに切り替える」


そんな遣り取りが、ハジメには全部聞こえていたが、出来そうな事は何一つないように思われた。


「交渉決裂だ」


「決裂も何も、交渉自体したつもりはないが、そちらもその気なのだろう?」


(ああ、そうなるのか。やはり)


何を合図にしたのかわからないが、波の音のような大勢の足跡が響き、あっという間もなく周囲二十メートルを取り囲まれていた。全員見た事のある軍服に身を包んでいる。ウィンディアの正規軍のようだった。


 シルバー・クロウは、大きく息を吸い込んだかと思うと、いつも着用していた真っ黒なコートを脱ぎ捨て、上空に向かって大声を発した。


「ラピッド・ラビット!」


すると、間もなくして、ホテルの屋上から花火が数発上がった。

 遠くから下っ腹に響く重低音が聞こえ始めた。やがて地上に影が差し、空の高いところで大きな旅客機が飛んでいた。

 旅客機からは小さく見えるが、ヒトが次々とパラシュートを背負って落下してくる。


「なるほど。その為にお前達はハイジャックを……!」


宰相はやや悔しそうに唇を噛んだが、すぐに口角を横に引き伸ばして笑みを作った。


「所詮、アガートラームなど寄せ集めの集団。正規軍の結束力を見せてやろう」


最早、正面衝突は避けられない。


 ハジメは、数歩後退した。その背にカエデのような小さい手が当てられた。振り返ると、少年が立っていた。


「やぁ、僕はラピッド・ラビット。今から安全な場所までお連れしますよ」


「安全な場所だって? そういうのはもう御免だ!」


「駄々を捏ねないでください。あなたは、アガートラームの最後の切り札。ここで失くす訳にはいかないんです」


ハジメはものを言う事ができなくなった。

 沈黙を受け入れたものと、ラピッド・ラビットは判断した。彼は、ハジメの手を取って強引に引っ張っていった。

読んでくださってありがとうございます。

またのお越しをお待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ