23.ライトグレーの翼
こうやってまた、どこかへ流されていくのだ。そう、ナナは思った。
川底の小石のようにコロコロと。しかも、今回は流れ着く先がはっきりとわかっている。あれほど拒んでいたウィンディアの首都だ。
そこへ行き着く事が出来れば、今までのような危ない逃避行も終わるかもしれない。
そう聞いて目指していた場所が、急に嫌になったのは何故か。
何だかんだと楽しくやって来たこの旅の終焉を、寂しく思っているのか。
(うううん、そんな単純な話じゃない。多分……)
彼女は俯き、無意識に頭を抱えた。
「どうしたんだい?」
隣に腰掛け、自分の翼の手入れをしていた男が、そう尋ねながら顔を覗き込んできた。
ナナは勢い付けて顔を背け、相手に聞こえるかどうかわからない小さな声で、「大丈夫」と呟いた。
口からこぼれるように出たその一言に対して、一体何が大丈夫なのか、彼女自身よくわかっていなかった。
黒衣の軍人は、広げた右翼を右手で掴み胸の辺りまで引き寄せ、何か透明な油のようなものを空いた方の手で丹念に塗り込んでいる。
さっきから彼が行っていた、翼の手入れだ。
ナナはその作業に少なからず興味を持っていた為、密かにずっとまなじりで捉えていた。
彼の翼は確かに美しかった。ライトグレーの羽毛は、光の加減で繊細に色味や明るさを変えていたし、何よりも形が整っている。宗教画に出てくる天使の像を、現実に再現したみたいだった。
ずっと視界の端で見ていたつもりだったが、いつの間にか彼女は真正面でじっくりと見ていた。
「珍しい?」
そう声を掛けられて、彼女はハッと我に返った。
慌てて目を逸らして、「別に」と言ったが、自分でも呆れかえるくらい下手な言い訳だったと、ナナは後悔した。
彼は短く苦笑した後、続けた。
「確かに、翼を持たない人にしてみたら、ただの手入れだったとしても、それは珍しいと思う。だけどね、君も結構珍しいよ?」
彼女は彼の方をしっかり見て、無言で首をかしげた。
すると今度は失笑し、彼女が抱いた疑問の解答をくれた。
「このリージョンでは、特権階級のみが翼を持った状態で生まれてくる。つまり、生まれたその時から、高い身分が保証されているんだ。君は他所のヒトらしいからわからないのかもしれない」
「知ってる……けど」
無知だと言われているような気がして、ナナはムッとした。
「そうか。だけど、考えてみて? もしも僕が、君の顔をじーっと見続けていたらどう思う?」
「え?」
「付け加えると、君は凄く身分が高いんだ」
ナナは、そこで彼の言わんとしている事を推し量る事が出来た。
「あ、ごめんなさい。私はあなたを嫌な気持ちに……」
「僕はそうじゃないよ。嫌じゃないけど、ただ、そういうヒトもいるっていう事。特に、身分の高いヒトの中には、ね」
会話が途切れ、何となく気不味い空気が漂いだしたのを機に、ナナは目を窓の方へ向けた。
ずっと雲間を縫うように航行していた軍用飛行機は、ここにきて一際暗い雲の中を飛んでいた。雨粒が窓に打ち付けてバチバチと音を立て、時々、目を覆いたくなるくらい眩しい閃光が煌めく。
荒れ模様なのだが、不思議なくらい機体は安定しており、揺れがほとんど感じられない。
ナナがその事を不思議に思っていると、傍らで翼に何か馴染ませていた黒衣の男が言った。
「そろそろ首都だよ。降下してー」
彼の言葉を合図に、機体が降下を始めた。
彼女は椅子から浮き上がるような感覚を味わい、訳もなく不安になった。
そういえば、この機には二人しか搭乗していないにもかかわらず、こうやって問題なく飛行し続けている。
思い返してみると、何か特殊な動きをする際は、隣の男が何かしら言っていたようだ。音声認識の自動操縦なのだろう。
雲の暗幕を振り払って日の下に出ると、地面にへばり付いた巨大都市の姿が眼下に広がった。
「うわっ!」
驚きが思わず声に出てしまった。彼女がそう口にしたのは、首都の中央に聳える巨大風車を目の当たりにしたからだ。
風車の三枚の羽根は、このリージョン特有の風で、激しく回り続けている。
「あの中央の塔が、ウィンディアの象徴にして誇りであり、このリージョンを司っている中央塔。そのすぐ横の小さいのは……」
「ちょっと静かにして」
ナナは夢中になって視界を動かし続けた。
中央塔とやらから放射状に街は作られていて、至る所に小さめの風車が林立していた。当たり前のことだが、それら全ての向きが揃っているのが、実に壮観だった。まるで日のさす方に顔を向けるひまわりのようだ。
機体は旋回しながら高度を少しだけ上げた。よく見ると、翼を持ったヒトビトが羽虫の如きサイズで飛び回っている。
ナナは何度も何度も嘆息し、「うわー」だの「へえー」だのと、どこか間抜けな声を上げていた。
遊覧飛行の時間は、数分で終わった。
「そろそろ、着陸しないと」
隣の男がそう言うと、機体は更に高度を上げながら、再び雲の中へ飛び込んでいった。
「あれ? 首都から離れちゃうの?」
ナナが訊くと、彼は一瞬苦い顔をして答えた。
「首都の空港にある滑走路は、今は封鎖中なんだ。何でも、反政府勢力がまた厄介ごとを起こしているらしい」
ナナは、一瞬にして浮ついた心を凍らせた。
ラピッド・ラビットの言葉が、耳の奥に蘇る。
『首都には近付くな』
(やっぱり、この事と関係あるの?)
周囲が再び明かりに包まれた。そこには、草も生えない赤茶けた荒野があった。その中を横切る、一本の長い道。見れば見るほど、それは車道だった。
「あれで大丈夫なの? 車が来たらどうするのよ」
「大丈夫さ。あの道は、もうほとんど車が通ったりはしないよ。浮遊合金が、エネルギーを使わない浮遊法を実現させてからは、みんな飛行機を使うようになったんだ」
彼はどこか得意げになってそう言った。
しかし、ナナには引っかかる点があり、男を追求してみた。
「でも、今は空港が使えないんでしょう?」
急に彼は静かになった。呼吸の音さえ聞こえない。
「ねぇ。飛行機が着陸出来ないんじゃ、車で来たりするんじゃない?」
彼女がそう言っている間にも、道路の黒色が近づいてきた。
不意に、彼は叫けぶよう宣言した。
「多分、通らないよ! 何も……」
間もなく前方から、一台の自動車が走ってきた。
もう、機体の底には車輪が出ていて、道路を滑走し始めているところだった。
「上昇! くっ……間に合わない!」
既に自動車との距離は僅かとなっていた。
彼は一周回って冷静な表情を浮かべた。そして、「仕方ない」と口にした。
「10時の方向へ旋回!」
間一髪で衝突を避けた代わりに、機体の左翼は地面を擦った途端に折れ散ってしまった。
そうなると、もう後は運を天に任せるしかなかった。
横転を繰り返し、荒野を転がっていく軍用機。そうしている間に例外なく、右翼もどこかへ消えてしまい、機体は最後、巨岩に衝突して停止した。
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