20.ロビンソン空港
かつてよく使われていたという旧道は、まるで獣道のようだ。周りと比べて植物の背が僅かばかり低いというだけで、言われなければわからないし、すぐに道を違えそうになる。
それでも、先頭を行く大きな体躯のシルバー・クロウが、歩みを進める度に草を踏みしめているお陰で、後続は歩きやすい方だった。
道中色々あって、ハジメは一番後ろを行く事になっていた。『色々』を簡単に言うと、他の二人が終始足早で、次々と追い抜かれていただけに過ぎないのだが。
そう言えば、このところ彼らの声を聞いていない。吐息ならば、風が止まった一瞬、聞こえてくる事はあった。
思い返すと、シルバー・クロウの宣言があってから、急に彼等は緊迫状態にあった。感情表現に乏しいサイレント・ジャガーは元より、ハジメの事を頻りにきゅうりきゅうりと言っている騒がしい例の男でさえ、無駄口一つ叩かないのだ。
(待合場所。ロビンソン空港)
鍵となるのは、その二語。一体誰と待ち合わせをしているのか。ロビンソン空港とは、どういったものなのか。今の雰囲気で、質問するのも都合が悪い。
空を占める灰色の雲から、冷たい雫が一つ落下して、彼の頬に当たった。見上げると、ツーと雫が顎の方へ流れて消えた。もうすぐ、大粒の雨粒が降り出すだろう。
女の華奢な後ろ姿に視線を移すと、心なし足早になっているような気がした。前も、その更に前も同様だ。
それから程なくして、空は涙を落とし始めた。暖かな雨だった。
強くなる雨脚に比例して、三人の足は早くなっていく。ハジメは息急き切って後を着いて行った。
ほとんど走るくらいになった頃、急に視界が開けた。ハジメは、遅れないようにと後姿ばかりを見ていた所為で、本当に突然だった。
腰の上辺りまであった植物が消え、くるぶしくらいの背丈しかない草花に変わっていった。見渡す限りの景色がそうなっているのかと思えば、そういう訳でもないらしい。広い原っぱの中央付近は、白っぽく舗装されている。その脇に、等間隔で立て札があり、数字が刻まれていた。空港という名から、おそらく滑走路という事になるのだろう。
滑走路の横には、二階建ての荒屋。遠目だと木造みたいだが、その真偽はもっと近寄ってみない事にはわからない。
一応、空港の体裁は整っているようだが、肝心の飛行機がなく、搭乗するヒトの姿も見当たらない。
アガートラームの構成員三人は、雨除けにと、荒みきっているがここら一帯で唯一の屋根の下へと走った。遅れてハジメも向かう。
空港ロビーにもヒトの姿はなかった。
「本当にここは空港なのか?」
呟いたその言葉は、思いの外反響して、三人の耳に届いた。しかし、それに何らかの反応を示したのは一人だけだ。
「そう思うのも無理はないな。もともとここは、貨物専門の空港だったんだ。こんな見てくれだが、今はちょうど忙しいようだぞ」
「は? どこがだよ」
シルバー・クロウは窓の外、滑走路を指差した。
「一機も飛行機がいない」
「つまり、全部出払っていると?」
巨躯の男は、自身に満ちた表情で頷いた。
「職員はいないのか?」
「全自動と言えば聞こえもいいのだが……まあ、無人駅みたいなものだよ」
(ウィンディアでは、列車と飛行機のスケールが同じくらいなのか?)
どこか釈然としない思いで、ハジメは窓際のベンチに腰を下ろして、下を向いた。何かがある訳ではないが、そうでもしないと何故かソワソワする胸中を鎮められそうになかった。
「ほらよ」
ふと、ルナティック・ハウンドの声がしたと思い、顔を上げた。
緑色のタオルが、放物線を描いて飛んできた。咄嗟に出した両手の間をすり抜け、ふんわりと膝に乗る。
「お前の色だ、遠慮なく使え」
彼はニヤニヤしながらそう言った。
緑がきゅうりの色だと気が付くまで、十秒くらい必要だった。すっくと立ち上がり、彼を睨みつけた。彼は顔を背けた。微かに首筋が紅潮している。
(何だ、こいつ。もしかして、照れてるのか?)
さっきの言動が奴なりの照れ隠しだと思えば、左程嫌な気分にはならなかった。
タオルを首に掛けて項垂れていると、ハジメは知らない間に眠っていた。疲れていたのだろうか、と思いながら顔をもたげて辺りを見回すと、ロビーからシルバー・クロウの姿だけが消えていた。
気に掛かった彼は立ち上がって、壁に凭れ掛かり、腕組みをして目を閉じているサイレント・ジャガーに声をかけた。
「なあ。あんたらのリーダー、見かけないんだが」
おもむろに瞼を上げた彼女は、少し呆けた顔をしたかと思うと、ロビーの中にあの男の巨躯を探した。
いないという結論が導かれたにもかかわらず、彼女は慌てた様子もなく、いつもの事だと言わんばかりに、静かに首を横に振った。
ハジメは、大きな窓の際に狂犬殿を見つけた。あちらはじっと尖った目で、ハジメの事を睨み続けていたようで、視線が合うのは避けられなかった。
(あいつはなんでいつもああいう顔をしているんだ)
そう思ったハジメは、見なかった事にしようと踵を返したが、背中に刺さってくる目線の矢を無視出来なかった。彼は溜め息一つして、仕方なくルナティック・ハウンドのもとへ向かった。
「おい、きゅうり。何、話してた」
第一声がそれだった。
何故そんな事を言われるのか。ハジメは、なるほど、と思った。
「あんた、あの娘が好きなのか?」
彼は一気に顔を赤くして、無駄に大きな声で抗議した。
「ぐぁ、なんでっ、そんな事になるんだっ! 俺は別に……」
「わかったわかった」
彼は距離を置いて、荒ぶる狂犬を両手で宥めすかした。何だか関わるのが急に面倒臭く思えた為だ。
「さっきのは聞かなかった事にしてくれ」
そう言って、ハジメが去ろうとすると、彼は、「待て」と引き留めてきた。
既に、不吉な予感を知らせるゲージの針が振り切れていた。
そんな時彼は、相手の気を削ごうと、露骨に嫌な顔をするという処世術で対抗するも、もうすっかり彼の目が泳いでいた所為で、効果を示そう事もなかった。
「お前、どうしたら、いい。こういうの」
ハジメは、目を逸らして本心を告げた。
「まず、質問が不器用過ぎて気持ち悪い」
勘弁してくれ。最後にそう添えてやりたい気持ちは、辛うじて抑え切った。
離れた後方で、カツンと音がする。それが、誰かの足音だと気付くには、もう少し時間が必要だった。
「そっか……気持ち悪い、のか」
落ち込んでいる。ハジメは、散歩中、珍しい生き物に行き当たったような気分がした。
カツンカツンという音が連続して鳴り、誰かが走っているのを知って、ようやくハジメは振り返った。サイレント・ジャガーが走り寄ってくる。
彼女は、口を大きく開いて叫んだ。
「窓から離れて!」
「なんだあれは!」
ルナティック・ハウンドの大声が、耳を劈く。
緩慢な動きで、ハジメは方向を変えた。目の前に、圧倒的質量を持った鉄の塊が迫っていた。
空港である事を考慮すると、飛行機であるのは間違いなかった。
手を引かれて、ハジメは走った。その手が、サイレント・ジャガーなのか、ルナティック・ハウンドなのか。それがわからないくらい、事が差し迫っていた。
後ろで突風が吹き付けたかと思うと、あっさり砕かれて、氷柱の雨が降るように、窓ガラスが落ちてきていた。それを、うつ伏せで浴びる者の姿がある。
放されたハジメの手は、力なくだらり垂れて、微風にゆらゆらしている。真横に立って、愕然としているのは、サイレント・ジャガー。つまり、あの場所で青白く光るアニマを垂れ流しのたまま動かない人物は。
「いやーーーっ!」
サイレント・ジャガーが、普段の冷静さを失い、叫び声を上げた。
慌てていて乱雑になった重たげな足音が近づいてくる。シルバー・クロウだ。彼は何を訊くでもなく、現状を見て全てを悟った後、今最優先ですべき事を導き出した。
「こうなってしまったのは残念だが、長くここにいてはいけない」
だが、二人の足は、床に根付いているかの如く動こうとしない。
そこへ、檄が飛んだ。
「早くしろ!」
ただならぬ剣幕にハジメは動いたが、もう一人はまるで聞こえていないようだ。
結局、彼女はシルバー・クロウが背負って運ぶととなった。その後を追い掛けながらハジメは、まるで言い訳をするように語り続ける声を、一人黙って聞いた。
「あの飛行機は、我々の仲間が抑えたものだ。ここへ向かう途中、内部でトラブルがあったようだな。それで、本来ありえない程、建物に接近したまま着陸したんだ。彼、ルナティック・ハウンドには気の毒な事になってしまった」
話の終盤は、ハジメの耳にも届かなくなった。
口を開けば悪態を吐き、顔を合わせればきゅうりだと罵る。しかし、時に照れたり、恋をしたりと、人間より人間らしい所もあった。
大きな喪失感と、前を行く男への不信感。そればかりが、彼の中で大きくなっていった。
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