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ラ・メトリの書  作者: 柚田縁
第五章 エイス・クロッシング
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9.サイレント・ジャガー

「俺があの時あの場所にいたのは……」


ハジメは、そこで肺の中に残っていた僅かな空気を一旦吐き切ると、次に繋げる為に素早く吸い込んだ。だが、声は出せなかった。


(ここで全部、本当のことを話せばどうなる? 一足飛びに首都へ行けるだろうか。いや、どうだろう……)


部屋中の視線が痛い程突き刺さってくる中、彼は悩み考えた。


(大体、ウィンディア・マスターに、今回の件、話がいっているのか? ん? ……そうか、ここへ連れてこられてきてすぐの時と、さっきまでとの待遇の差は、そういう事なのか?)


虚ろに濁っていた彼の瞳は、光を取り戻した。

 改めて深呼吸をした後、ハジメは全てを話すつもりで、目の前で腕組みをしたまま、にこやかに微笑む司令官の目を見た。その光に、若干気圧された感のある仕草をして、男は細めていた目を少し大きくした。


 しかし、ハジメはまたしても声を出す機会を奪われてしまった。遠くで、鈍い爆発音が響いたのだ。

 司令官は形相を一変させ、ハジメの背後に立つ二人に対してがなり立てた。


「一体何事だ!」


ハジメが振り向くと、片方の隊員が部屋を慌てて出ていくところだった。


 その十数秒後、扉が開かれたかと思うと、出て行ったのとは違う何者かが、すましたように立っていた。

 服装からして、軍人でないのはすぐわかった。そしてもう一つ、見た目でわかった事がある。その人物が女性だという事だ。


 さざ波の立つ水辺をイメージさせる爽やかな青色のジーンズで上下を揃え、インナーは無地の白Tシャツ。そのような身軽な男っぽい格好ではあったが、端正な顔立ちとスタイルの良さで、容易に性別を判断する事が出来る。


 突然の来客に、全員が呆気に取られていると、彼女はそこにいる三人を一人ずつ指差して、最後にハジメのもとで止まった。


「えっと、あなたの取り調べ中?」


ハジメは無言で頷いた。

 女性は司令官と隊員に視線を遣り、やがて、またハジメを見た。


「序でだから、助けてあげる」


彼女はそう言うと、素早い動きでハジメの横に来ると、彼の右腕を掴んで強く引っ張った。

 ハジメは、椅子から転げ落ちそうになりながらも、何とか二本の足で立つ事ができた。彼女はそんな事お構いなしに、その手をさらに引いて、取り調べ室を脱した。


 狭い廊下を走った後は、ひたすら螺旋階段を降りる。

 彼は着いて行くのがやっとで、頭の中に林立する疑問符を一つも消す事ができないでいた。

 すると、彼女は走る速度を緩めて、やがては止まった。

 ハジメは、ここぞと彼女に状況説明を求める言葉を探しだしたが、彼女の台詞の方が先になった。

「あなた、遅い」


「仕方ないだろ。いきなり……」


ハジメの言い訳を遮って、その女性は、「だから、こういう事になるの」と、上を見上げた。

 バラバラと揃わない足音を響かせながら、階段を降りてくる。


「下も」


下方からも、上ってくるものが多数いるらしい。


「挟まれてるのか……」


ハジメは唐突に思い至った。自分が追われているという、このおかしな現状だ。答えは単純。


(逃げるから、だ)

彼は、瞬間的に女性を睨み、抗議した。


「あんたがこうやって強引に連れてきたりするから、俺まで追われる事になってるんじゃないか!」


だが、彼女はまるで聞いていないように、螺旋階段の中心に空いている穴を凝視していた。


「おい、聞いてるのか!」


騒々しい足音が、波が引いていくみたいに消えた。

 背後に、同じ制服を身につけた一団が、一定の距離を保った状態で止まった。それから遅れて、下の方からもこの基地に所属している軍人逹が階段の幅いっぱいに並んだ。


「ちょっと待て、俺は……」


無様にも、彼は自分に逃げる意思がない事を示そうと、目線を泳がせた状態で言い訳をしたが、全てが遅かったようだ。


「確保しろ!」


どこからか指示が飛んだかと思うと、階段の上下からヒトが波状となって飛びかかってきた。

 その時、彼は耳元で囁きを聞いた。


「動かないで」


「な、何……?」


次の瞬間、ハジメは身体が軽くなったように感じ、視線が僅かばかり高くなった。

 女は、稲の束でも担ぐように、彼を持ち上げて肩に乗せたのだ。

 その後は、一瞬だった。


 彼女は階段の手摺りを越えて、螺旋階段の中心にある空洞に向かって飛んだ。そこは、ヒト一人がやっと通れるくらいの直径しかない。しかも、一番下の階層までの距離は、決して短くない。


 ひどく長く思える体感時間だった。

 床に着地した時、彼はほぼ自我を失っていた。


「逃げよ」


彼女は有無を言わせず、ハジメの腕をとって、またしても走り出した。

 彼は声も出せず、ただガクガクと首を何度も縦に振った。




 何とか無事に外へ脱出した頃、ハジメはやっと平静を取り戻した。

 出てきた建物を遠くから省みると、それは塔のような円柱状をしていて、上に行く程やや細くなっていた。目で見た質感は砂岩のようだが、実際はわからない。


「じゃあ、元気で」


女性は手を顔のあたりまで上げて、言った。


「ま、待て。一応礼を言っとく」


「変なヒト。さっきは、強引に連れてきた、とか文句言っていたのに」


「聞こえてたのかよ。ヒトが悪いな。まあ、なるようにしかならないんだ。今までだって、成り行きでここまで来たようなものだからな」


彼女は黙って顔を背けた。それから、「私も」と呟いた。


 それは、聞こえてはいけないものだったのかもしれない。ハジメには、そんな気がした。けれども、風の具合で、彼はそれを拾い上げてしまっただけ。


「こんなところで油売ってたのか」


不意に声がした方を見ると、知らない男が歩み寄ってくるところだった。

 彼は、ハジメよりも頭一つ背の高い男だった。真っ白な外套で全身が覆われているが、肩幅も広くてかなり大柄であるのは間違いない。


「時間になっても来ないから、心配していたんだぞ」


「すまない」


悄然と彼女は謝った。


「まあいい。無事のようだからな。ん?」


ようやく大男はハジメに気が付いたようだ。


「彼は?」


「取り調べをされていた。序でだからと……」


彼女はそう説明して、俯いた。

 男は深々と溜め息を吐いて、首を横に振った。


「どんな事情で取り調べされていたかわからないんだ。そう、ホイホイ連れてくるものじゃないぞ。助けたつもりでも、迷惑を掛けることになるかもしれないんだ」


さらに彼女は深く頭を垂れた。


「いや、助かりました」


ハジメは反射的に、二人の会話に割り込んで入った。

 女性は目を丸くしてハジメを見た。


「あのままだったら、危なかったかもしれない」


「そうか。それなら良かった」


男はそう言って、笑顔を見せた。


「お二人は、どういう……?」


「一般人よ」


「おいおい、それは無理があるだろう」


「そうだぞ、あんな一般人がいて堪るか」


ハジメと大男は揃って笑い合った。

 笑い声が途絶えてからすぐ、男は急に真面目腐って言った。


「まあ、本当のところは訊かないでもらいたいんだ。その、君自身の為にも」


「……わかりました」


そう交わしたのを最後に、ハジメは二人と別れた。


 彼等の事が気にならない訳ではないが、あまり色々な事に関わりを持つのは、この国に大切な用事のあるハジメにとって、良いとは言えない。


 彼は一度塔を視界に入れ、踵を返した。

 突然、背後で一瞬の爆音がした途端、土砂が崩れていくような音が轟いた。


 慌てて彼は振り向いた。そこに、ほんの一瞬前まで存在していた塔が、もう既に瓦礫と化していた。

読んでくださって、ありがとうございます!

またのお越しをお待ちしております。

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