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ラ・メトリの書  作者: 柚田縁
第五章 エイス・クロッシング
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7.翼を持つ意味

 少年の中で張り詰めていた何かが、プツリと切れてしまったようだ。彼は小さく息を吐くと、薄っすら笑みを浮かべて言った。


「ここじゃ何だから、場所を変えない?」


「何故?」


ナナはそう口にすると、振り返って、今尚騒動の起こる遠い地に、困惑の目を向けた。

 彼女の意を汲んでか、レナードは少年に詰め寄った。


「あれは、あなたのお仲間ではないのですか?」


彼は項垂れ、「そうだよ」と答え、そっぽを向いて、歩き出した。

 その肩を強く掴むと、レナードは力任せに引っ張り、彼の向きを元に戻した。


「どうしたらそんな顔が出来るの!」


 振り向いた少年は、何食わぬ顔でヘラヘラとした笑顔をしていたが、彼女に言われた事で目許を鋭くし、睨み掛かった。


「じゃあさ! 僕が今泣いてやれば、彼は救われるのかい?」


「それは……」


「僕が奴らに怒ってないって思うの? どんな気持ちでいるか、君にはわからないだろう? 僕には、どうしてやる事もできないんだよ!」


ナナの彼に対する怒りの感情が、同情へと裏返った。


(この子、私と同じなんだ)


彼女はそれ以上、彼に向ける言葉を見つけられなかった。


 短い沈黙の中、ぎゃあぎゃあと叫ぶ鳥の鳴き声がした。ナナには、それがヒトの悲鳴のようにも思われて、冷たい汗が噴き出すのを感じた。


「しかし、このまま見捨てる訳にはいきません。私が行きます!」


レナードは背筋をピンと伸ばして、宣言した。

 少年は、静かだがどこか迫力のある声で、彼に問い掛けた。


「あんたは、国軍を相手にするっていうのか?」


それは、ウィンディア政府を敵に回すという事。

 そもそも、二人がウィンディアへやって来たのは、アクエリールのアンペラトゥリスに、この国なら亡命を認めてくれるかもしれないと言われたからだ。もしも、政府を敵にするというのなら、亡命の可能性はほぼゼロだ。


「そんなつもりは……」


「だったら手を出すな! 覚悟のない奴にそういう事されると、逆に面倒なんだよ!」


彼は、烈火の如き勢いで、言い放った。


 次の瞬間、銃声が響いた。


 鳥の羽音がバタバタとしたかと思うと、段々遠くなっていった。


 息を飲むナナ。歯を食いしばるレナード。深く俯く少年。

 三者三様の仕草で、自らの無力感や強い憤り、深い悲しみを表現する形となった。


「もう、場所を変える必要もないか……。次期に、あっちの警備も落ち着いて、数も少なくなると思うよ」


彼の口調には、隠す事の出来ない精神的な疲労が浮き彫りになっていた。微かに微笑んでいるが、最早それを非難する者はいない。


 恐る恐る、ナナは少年に訊いた。


「この国は、どうなっているの?」


彼は、少しだけ高いナナの顔を見上げた。けれども、その目はもっと遠い所を見通しているみたいでもあった。そんな虚ろな目付きで、彼は淡々と答えた。


「持つ者が、持たざる者を虐げる。簡単に言うと、格差社会だよ」


「かなり、深刻な様子ですね」


レナードの問いに、少年は無言で肯定した。


「おかしいよ……」


ナナは悲痛に耐えるように、声を絞り出した。


「どの国にも、階級や縦割り構造はあるだろうね。だけど、ウィンディアは特にそれがキツいんだ。権力は特定のヒトに集中するばかり」


「その特定のヒトというのは……」


そう言いながら、レナードは空を仰いだ。

 他の二人も同じように、見上げた。いつの間にか、空の大部分を雲が占めるようになっていたが、所々に点在する雲間から、スポット・ライトのような力強さを感じさせる光の筋が地上を照らしていた。


 ナナが、そういうものに目を奪われていると、レナードが、「ああいったヒト達の事ですか?」と、空の一点を指差した。空を自由に飛ぶ人影があった。


「そう。あの翼こそが、権力の象徴だ。一般人やそれ以下のヒト達は、翼を持たずに生まれてくる」


「ちょっと待って。生まれつき付いているの? あれって」


反射的に答えようと、口を開きかけた少年は、首を傾げ不思議そうにした後、閉口した。


「ええっと、製造時からあの翼は背中にくっ付いているのか。彼女はそれを知りたいんですよ」


「あーそういう事? うん、そうだよ。彼等は、製造された時から、絶大な権力を持っている。言い換えると、権力を持つべき者として、初めから設計されているんだ」


(やっぱり、変だ)


彼女はそう思いながら、先程の翼付きの人影を目線で追い続けた。それは、姿が薄い雲に隠れて見えなくなるまで続いた。




 それから約一時間後。彼等の姿は、シルフ中心街にあった。

 正確には、ナナとレナードの後を、例の少年が勝手に着いてきていた。


 当初彼女は相手にしないよう、前ばかりを向いて歩いていたのだが、時々視界の端にチョロチョロと現れる彼の姿に、苛立ちを募らせていた。


 レナードは、そんな彼女から周囲に撒き散らされているピリピリした空気を頬で感じ、恐々としつつ一定の距離を取って歩いていた。


 やがて急に、パタリと足を止めて、ナナは目を閉じた。

 周囲にヒトの姿はない。レナードは、それくらいしか安堵する要素を見つけられなかった。


 彼女の息を吸い込む音が響くと同時に、レナードは二、三歩後退り、耳を手で塞いだ。


 しかし、彼女は吸った空気のほとんどを、ゆっくりと吐き出した。それから、音もなく振り返って、少年をじっと見詰めて、言った。


「なんで着いてくるの?」


それは、聞く者からすると、思いの外優しげに聞こえた。


「着いてきてないよ? 行く方向が偶々同じなだけだよ」


いけしゃあしゃあと彼は言って退けた。


 ナナは目を細めて、「本当は?」と、尋ね返した。


「ご、ごめん。本当は、ある企みが……」


「言ってごらんなさい」


少年は小さな体を更に縮めて、それに応えた。


「ほら、二人とも旅をしてるじゃない? だけど、シルフの町全体が封鎖されてるから、旅が続けられないでしょ? だから、この町を脱出する方法を探している……んじゃないかなー、と」


ナナの表情をチラチラと伺いながら、彼は言い終えた。

 彼女は、しばし表情を変えないで、少年の浅ましき企みを胸の内で反芻した後に、目を大きく開いた。


「そんな方法が、あるの?」


「そりゃあ、自分の退路くらい確保してるよ」


「では、この町が封鎖される事を、前もって承知していたのですか?」


と、レナードも一緒になって問い詰め始めた。


「違う違う。いざという時の為に、抜け道を調べておいただけだよ。本当だよー」


少年は口を尖らせ、訴えた。


 ナナとレナードは、彼に背を向けてヒソヒソと話を始めた。


「どうする?」


「企みに乗せられるというのは不本意ですが」


「でも、またお金取られるんだよ」


「悔しくはありますね」


「って言うか、ムカつくね」


こんな調子だった。


「何か、全部聞こえてるんだけど。わざとだよね」


少年が言うと、二人は会話を止めて、彼に顔を向けた。そんな二人の顔を見て、彼は言った。


「毎度あり。常連さん」

読んでくださって、ありがとうございます!

またのお越しをお待ちしております。

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