5.強さとは
「では、あの巨大竜巻はウィンディア軍が?」
「うん、間違いないよ」
「しかし、周辺国が戦時下に置かれていくこんな時期に、一体何の為なのでしょうか?」
少年は目を落とし、考えを整理し始めた。
ナナは、先を歩くレナードと少年の会話を聞きながら、その内容に胸を痛めていた。これまで、色々酷い光景を目にしてきた彼女だが、相変わらず慣れる事はない。もっとドライに受け取れるようにならなければ、いつかその弱さが命取りになるかもしれない。それは事ある毎に、薄々ながら感じていた事だ。
強くならなければいけない。
(でも……。どんな事にも動じない心を持つ事が、強さなの? それって、どうなんだろう)
彼女は振り返り、遠くまで広がる平原に溶け込んで見えなくなりつつある、竜巻の通り過ぎた辺りをぼんやり眺めた。
昨夜、どうしてかあまり感じなかった恐怖が、今更ながらひたひたと這い寄ってくるようで、思わず背筋が泡立つ。
ナナは、恐怖と迷いを払拭するように頭を振り、音がするくらい強く歯を食いしばった。だが、新たにした決意を揺らがせる疑問に、早くもぶつかってしまった。
(じゃあ、強くなるってどういう事?)
ふっと、顔を上げた少年が口を開いた。
「理由は幾つかあると思うけど、実験的な意味合いが強いね。あれだけ大規模の竜巻を、勢力からコースまで、完璧に制御する実験」
「それはおかしいです。単純に実験するだけなら、その辺りの何もない平野でやればいいのですよ。わざわざ悪意を持ち、国民のいる場所でやる事ではありません」
彼女はレナードの言葉に強く同意したが、それを表に出したりはしなかった。
「国民……か。あっちがそう思っていなかったらどうだろう」
ポツリと吐き出された少年の声は、一段くらい低い音で響いた。ナナの位置から表情は窺えないけれど、彼の心情を汲み取るには十分過ぎる手掛かりだった。
その場の雰囲気を読み取るのが苦手なレナードでさえ、その時ばかりは黙りこくって、歩く速度を落とした。
急に、少年は照れくさそうに笑った後、振り向いて二人に愛想だとすぐにわかる笑みを向けた。
「ごめんごめん。ちょっと暗い話になったね。はい、もう市街地に入ったよ」
気が付くと、周囲の人通りがちらほらと見られるようになっていた。
「ありがとう」
ナナは、小さく礼を言った。
「いえいえー。ビジネスだからね」
したり顔で、少年は応えた。
レナードが、大きな右の手のひらで顔を覆った。
「案内料と情報料ね」
ナナの頭の中では、さっきまで思い悩んでいたものが、一旦リセットされたみたいに真っ白い塊になって、やがて崩れた。
それから、ふつふつと激しい感情が湧き出してくるのを、彼女は抑える事が出来なかった。
「このっ……守銭奴! 勝手に着いてきて、ベラベラ喋っていただけのくせにー!」
彼女の叫びの後、少年は本物の笑顔を二人に見せた。
もちろん、貰う物はもらっていったが。
朝露が陽の光を受けて、乾き消え去る頃、湿り気を帯びた風は、方角と一緒に空っ風へと変貌した。
見上げれば、細かい雲が幾重にも寄り集まって形作られる、イワシの大群が高く澄んだ空を埋めていた。
「はー。今日は少し寒いけど、気持ち良いなぁ」
街路樹の葉も浅葱色に染まっている。季節は秋。
二人になって彼等は、シルフ中心街を横切っているところだった。ちょうど、宿の集中する辺りだ。
踊るようなステップで行くナナと違い、レナードはどこか気鬱した顔で、彼女の背なを追い続けていた。
道行く人影は昨日よりも少なく、強いて挙げるなら、暗い緑をしたウィンディア軍の制服が多く見られた。その足取りは御多分に洩れず、やはり慌ただしい。
「そういえば、アクエリールは夏みたいだったけど、ウィンディアは秋なんだね。グランディスタは……あんまり覚えてないな」
彼女は大きな独り言の末尾で、体ごとレナードのいる方に向いた。
「あ、そうですね……」
気もそぞろな返事だ。
「レナード、聞いてた?」
不満を露わにして、彼女は言った。
「ええ。グランディスタは今、春ですよ。それから、フィレスタは冬を迎えています」
ナナは差して驚かなかったが、上面は「へぇー、そうなの?」と、少々大げさなくらいの反応を示し、体の向きを元に戻した。その肩越しに、レナードの問いが飛んできた。
「疲れていませんか?」
彼女は、一つ分の拍子遅れで、答えにはならない答えを返した。
「どうして?」
「昨日は十分休めない様子でしたから」
彼女は歩みを止めるでもなければ、見返るでもなく言った。
「私は、大丈夫だよ」
「いいえ、それだけではないです。お体もですが、精神的にも……」
その場で足を止めるナナ。
「せめてあと一日。今日は通常の宿も取れますし……」
「大丈夫だから!」
歩みを再開させる彼女を、レナードは追い越そうと駆け出した。
「私は、今みたいに立ち止まっていたくない」
「何をそんなに焦っているのです。無理をしてまで……」
レナードに核心を突かれた彼女は、思わず声を荒げた。
「だってしようがないじゃない! 立ち止まっている間に、いろんな事がどんどん過ぎていく。置いていかれるのはこりごりなの。何も出来ないで、ただそこにいるだけ……そんなのがもう、嫌!」
彼を振り切るのが不可能であるのは承知で、ナナは早足になった。けれど、意外にもレナードは、自分から足取りを遅くした。
「私だって、強くなりたいよ」
離れた場所で小さく呟いた彼の声を、乾いた風が思いがけず、彼女の耳まで運んできた。
「いいえ、ナナ。あなたはもう強い」
ナナは停止した。
自分に全く相応しくない言葉。だけど、欲しくて仕方ない言葉。
「そんな事……」
否定しかけて、それ以来何も言えないまま立ち続ける彼女に、レナードは歩み寄って告げた。
「変わろうとするその心が、既に強い。あなたはもう、ここに至るまで、随分変わりました。こういうのを、人間は成長と呼ぶのでしょう? 我々には本来ない概念です」
「そうなの?」
呪縛から解き放たれたみたいに、彼女は動き出した。
「私たちヒトは、この世に望まれて作り出されます。ですが、製造時のポテンシャルを超える事はないのです。私は、最初から全て備わって生まれてくるよりも、生きていく中で少しずつ手にしていく方が、ずっと良いと思います。ナナ、あなたと歩んできてからですよ、そんな風に考えるようになったのは」
ナナはすかさず反論した。
「何言ってるの。そんな風に考えが変わったのだって、十分成長したって言えるでしょ。こう言っちゃ何だけど、レナードも随分変わってる」
ゆっくりと、レナードの目が大きく開かれていく。気付かされ、驚いているのだ。
「そうなの、でしょうか」
「うんうん、私が保証するよ」
彼は、そのように言われ、薄っすらと笑みを零した。
ナナはさっと彼に背を向けた。心と足がぐんと軽くなっていた。
「それじゃあ、行こう。日が暮れちゃうよ」
「まだ朝ですよ。日暮れまでは随分あります」
「言葉の綾だって。レナードのそういうところ、変わってないなぁ」
彼等の去った路上に、一人呆然と佇みながら独り言ちる者がいた。
「風上でよく聞こえなかったけど、確かに言ってた。人間って」
くしゃくしゃになった一枚の紙を持つその手は力み、小刻みに震えていた。
その紙面には、こうあった。
『人間を求む。褒美は望みのまま。但し、生きている事が条件』
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