49.彗星の軌跡
点滅を繰り返す赤い光が艦内を照らし、金属を打ち鳴らすような音がけたたましく鳴り響く。誰が見聞きしても、その意味するところは非常事態であるとわかる。
ハジメは敢えて何も言わず、イオの顔をまっすぐ見つめた。彼は茫々とした目で、前方のディスプレイに目を向けているが、多分その目で見ているという訳ではない。もっと遠いところに焦点を合わせているか、或いは感覚が遮断されて何も見えていないのだ。
機体の振動や爆音は少しずつ大きくなっていく中で、ついに右側のディスプレイがモノクロの砂嵐を映し、完全に沈黙してしまった。
唐突に、イオが機械的な口調で言った。
「被害状況を一部を除いて把握しました。装甲の67%が無力化、右舷カメラ消失、機関出力14%ダウン……なお、先程から、鉛直下方向へ機体が引き付けられています。グランディスタ艦によるものと断定。高度の維持限界まで、約30分程度と見られます」
一拍おいて、ハジメは彼に尋ねた。
「それを自分で言っていて、どう思う?」
「まぁ、そこそこ……絶望的な状況だと思います」
「冷静だな」
イオはすっかり位置のずれていたメガネを指先で直すと、ハジメの方に顔を向けた。今度は、しっかりとものを見据えているのがわかる。
「そんな事はありませんよ。これでも慌てているんです」
「いや、絶望を絶望って言っている時点で、あんたどこかで冷静さを保っているんだよ」
前方に向き直ったイオは、ほんの少し力の抜けた顔で、返してきた。
「そういうハジメさんも冷静ですね」
僅かな間、自分を見つめ返したハジメは、笑顔さえ見せて、答えた。
「ここまで追い込まれていると、何かを通り越した感じだな」
「ふふふふふ」
不気味な笑い声が響くも、ハジメはとっくに慣れきっていて、依然としてがなり立てるサイレンの一部であるかのように扱って、何気なく話題を変えた。
「それに、約束もあるしな」
「約束?」
「おい、忘れたのか? ついさっき、あんたが言ったんだぞ」
彼は、機体制御等の為にリソース不足の頭で、自分の発言を遡り始めた。
「ああ。間違いなくウィンディアにお連れするという、あの件ですか?」
ハジメは頷いた。
「言わなかった事にして欲しいですねぇ、それは」
「おいおい、当てにしてたんだぞ」
彼はそういった後、声を出して笑った。
戦況は時間が経つ程に悪くなっていくそんな時に、こうやって笑っていられるのは、不思議だった。
何故だろうかと、これまでイオと共に過ごしてきた時間を思い返していると、ハジメは一つの結論を探り当てたような気がした。
(これが、信頼ってやつなのかな)
幾度となくイオは、ハジメの持っている常識を裏切って、物事を悪くない方向へ導いてきた。今回も、きっと何か隠し球でもあるのではないか。そんな風に、思わせてくれる。何しろ、彼は今だって、ハジメと一緒に笑っている。
だが、そんなイオの笑みは、長く続かなかった。急に真顔になって、口を閉ざした。
ハジメの胸の内に、底知れない不安の闇が生じた。
(何黙ってるんだ。何か言えよ)
彼は、それを言葉にして口から出したかったが、出来なかった。
沈黙ではあったが、決して静寂にはならない。常に警報が鳴り続けているから。
ふと、イオは、ハジメの方に体ごと向き、決意の宿った目をして、言った。
「ハジメさん、お願いがあるんですが」
ハジメは身構えて、応じた。
「何だ? いきなり」
「ちょっと、確認してきてもらいたいものがあるんです」
イオの指示で階段を下り、細い通路進んで行くハジメ。
「うわー。もうこれ、外が見えてるじゃねーか」
彼が見たのは、床や壁の一部が燻った炎で焼かれ、穴の空いた箇所だ。所々にそういった穴が空いており、気を付けなければ落下してしまいかねない。怖いのは、突発的に激しく機体が揺れる事。
穴の向こうは真っ暗で、一際強い風が入り込んでくる時等に、掠れた音が響く。まるで笛のような音色だ。
「本当に、起死回生の策っていうのがあるのか?」
イオはそう言って、ハジメを送り出した。半信半疑ではあったが、彼は従った。
彼に『お願い』されたのは、ある装置が正常に動くかどうかを調べてくる事だ。行き先は、第二フロアのとある部屋。具体的な話は、現場でするという。
角を曲がると、目的の部屋に沿った通路だ。その辺りの区画には、まだ攻撃が届いていないらしく、綺麗なままだった。
頭上のライトが明滅していた。
通り過ぎていく冷たい風が、目で見えるような気がして、彼ははたと立ち止まった。
「何かここ……」
彼は、その通路に見覚えがあった。
視覚を通じて、様々な記憶が川の急流のように押し寄せてくる。最後に、流れてきたのは、今いるここがラプラスの真理、フィレスタ支部の基地である事だった。
「そうだ。ここ、居住区だったんだ」
ここは、ミレイに連れられて、お土産として携帯用コテージを受け取った場所だった。
扉にはその部屋の住人の型番が記されている。
ハジメは小走りになって、イオに言われた部屋の番号そっちのけで、部屋を探した。『ReD-0301E』という部屋だ。
「ここだ」
思わず扉に手を掛け、横に開こうとした。だが、鍵が掛かっていて、開ける事は出来なかった。当たり前だ。
彼は、急に夢から覚めたみたいな気分で、イオに言われた部屋番号を探した。
数分後、彼は目的の部屋の前に立っていた。扉は呆気なく開き、中に入っていく。室内には、誰かがそこで生活していた形跡が、しっかりとあった。普通に考えて、ここは居住区な訳だから、当然と言えば当然なのだ。ただ、解せないのは、こんな普通の居住スペースに、起死回生の主役となる装置があるのか、という事だ。
ハジメはまず、イオと連絡を取る為に、通信機を探した。ベッドの枕元に、それはあった。
扉が後方で勝手に閉じたのにも構わず、彼は通信機へと向かった。
適当に電源を入れ、適当にボタンやツマミを弄っていると、イオの声が聞こえてきた。
「到着したようですね」
「ああ。しかし、こんな所に、あんたの言う装置なんてあるのか?」
返事が返ってこないまま、十秒弱経った。
「おい、どうした?」
ハジメはツマミを調節し、ボタンを連打したが、ノイズばかりが部屋に響くばかりだった。
代わりに、部屋の扉がロックされた。
イオは遠くなりつつあるハジメの声を、未練を残さないようにと、自らの意思でシャット・アウトした後、思い切り空気を吸い込み、元から溜まっていた息と一緒に、鼻からゆっくりと吐き出した。
「彼は怒るだろうねー」
それは鼓膜を振るわせず、頭の中に直接響いた。
「おや。あなた、まだ意識が残っていたのですか? もう完全に機関部の中へ取り込まれたものと思っていましたが」
「辛うじて残ってるみたいだねー。まぁ、もうすぐ消えると思うけどー」
「よくよく考えると、こうなる事があなたには予見出来ていたのではないですか? だから、あなたは機関部に自分の体ごと組み込むという無茶をした……と」
話し相手は、短く笑っただけで、否定も肯定もしなかった。
「そんな事より、早く彼を離さないと、巻き添えを喰らわせちゃうんじゃないかなー」
「そうですね……。たった今、部屋ごとパージしました。あとは、適当に安全な場所へ着地するでしょう」
「そうか。それなら良かった」
イオは、相手が語尾を伸ばさないでものを言った時、それが心から本当の事なのだと、長い付き合いを通して知っていた。
「後悔はないのかなー?」
「幸いに、今は晴れ晴れとした気持ちですねぇ、何故か……」
「僕もなんだよねー。ホント、どうしてな……ノカ。フム、ドウヤラ……ジカンギレノヨウダ……」
「そうですか。では、機関出力を限界越えでお願いしますよ」
返事は返ってこない。その代わりに、機体が物凄い速度で空中を駆け出した。イオの体は、背もたれに押し付けられ、腕も脚も拘束されたみたいに動かない。
だが、もうそういう事は関係なかった。彼は、敵の艦隊の司令塔的立場にあると見られる、一番後ろで守られるように佇む艦に狙いを定め、舵を切った。こちらの機体を相手艦にぶつける為。起死回生の策とはとても言い難いが、それが彼の精一杯だった。
この先に訪れるのが存在の滅びであるというのに、彼の気分は不思議な程に高揚していた。
最後に、彼は肉声で呟いた。
「本当に、約束、守れずにすみませんねぇ。ふふふふふ……」
速度はさらに上昇し、暴走する機関部を中心に、機体は炎を上げ始めた。
白い炎の軌跡を残しながら飛び去っていくその姿は、さながら彗星のようだった。
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