42.ハジメである理由
唖然とするレイナを他所に、その女性は笑い続けた。
どうして笑われているのか、理解できない彼女は、段々と不機嫌になって、つい大声を上げた。
「何、わろとんねん!」
「そりゃあふふ……おかしいからよ。た、ただの生理現象っ……だから、仕方ないわあはは」
彼女は、息も絶え絶えといった様子で、笑う合間にそう言い訳をした。
レイナは不意に、自分の発言がまずかったのではないかと不安になった。やはり、ハジメが人間だと明かしたのは、間違いだったのか、と。
少しずつ平常に戻りつつある女性。彼女は、両の目尻を人差し指で拭うと、大きく一息吐いた。
「はー、ツボったわー」
レイナは、先程までの勢いを失くしていた。恐る恐る、彼女に尋ねた。
「何がそんなおかしいん?」
「いやね、こんなに物事がうまく運んで、マスターも喜んでるだろうなって、それを想像したら急におかしくなったのよ」
何も言わず、レイナは小首を傾げて見せた。
女性は、一瞬だけ哀れみの表情を顔に浮かべたが、その後、気怠そうに淀んだ目をして語った。
「ま、無理もないわ。ウィンディア・マスターの事なんて知る筈ないんだから。ウィンディア・マスターってね、随分と酔狂なヒトみたいで、昔から捉え所のない事で有名だったんだけど、最近、益々拍車が掛かって、何でも人間を探してるらしいのよ」
「はぁ? 何でやねん」
「だからぁ、何考えてるのかわかんない訳。わかる? 結局、あなたの質問の答えになるんだけど、ウィンディアが人間を求めていて、それをフィレスタが提供する。その見返りに、同盟を結ぶ。シンプルな構図でしょう?」
レイナは両手をわななかせて、「じゃあ……」と言った。その続きの言葉は、口から出ようとしないが、さすがに彼女も事の次第がわかっていた。
そこへ女性は、歯に衣着せない言い方で、追い打ちを掛けた。
「ウィンディアの目的が何であれ、その人がここに戻ってくる事はないでしょうね。言ってみれば、あなたのお知り合いは、人身御供って訳よ」
そこまで言い切った彼女は、興味を失ったようにレイナから顔を背け、椅子をクルッと回転させてデスクに向かうと、うず高く積まれた本の適当な箇所から一冊を取り出して、目を通し始めた。
その最中、彼女はドンっと鈍い音を聞いた。
椅子ごと振り返り、彼女は一瞬レイナを見遣って、活字に目を落とした。俯いている所為で、表情はわからないが、全身を小刻みに震わせていた。
また、さっきと同じ音がした。それは、レイナが、強く握った両の拳で膝を叩く音だった。
「いつまでそこにいるつもり?」
レイナは動きを止めて、顔を上げた。しかめられた両目はうっすら充血し、こめかみの辺りがヒクヒク震えている。口は固く閉じられているが、歯を食いしばっている為か、あごのラインが少々角ばっていた。彼女は悔しがっている。
女性はレイナを一瞥し、言った。
「いいわ。ここにいるのなら、あなた自身の調査を続けましょ」
「いやや」
レイナは即答した。
「じゃあ、どうするの?」
彼女の問いに、レイナは立ち上がって答えた。
「止めに行ったる」
「あら、そう。じゃあ、行ってらっしゃいな」
「ええのんか? あんたにも立場とかあるんちゃうの?」
女性は単純に驚いた顔をして、ニヤッと笑った。
「お気遣いなく。私は気紛れで通ってるから、大丈夫。それに、調査って色々面倒だし、出来ればやりたくないのよ」
「えっらいええかげんやなー。ま、ええ、行ってくるわ!」
レイナは風のように部屋を出て行った。
一人残された彼女は、散らかったデスクに向かうと、引き出しを開けて一枚の紙切れを取り出した。
「やれやれ。始末書、書かなくちゃね」
四方を黒い壁に囲まれた部屋。ハジメは知っていた。この壁や天井、実はディスプレイとなって、それぞれの方向が見渡せるようになっている。
あの日、部屋の中央には、黒革貼りの椅子があって、白衣の男が座っていた。今、その椅子はないが、こんな異質な部屋等、他に見た事がない。
紛れもなくこの飛空艇は、ラプラスの真理、フィレスタ支部の基地で、その一室はそれを束ねる支部長の部屋。
「どういう事なのか、説明してくれよ!」
ハジメは何度となくそう言ってイオに迫ったが、ここへ来るまでのらりくらりとかわされ続けていた。もう今では、掴みかからんとするくらいの勢いだ。
「わかりました、わかりましたから。暴力だけはやめてください」
数歩後退して、イオはそう答えた。
暴力と言われるのは心外だと思い、ハジメは一旦冷静さを取り戻した。
「別に殴ったりする訳じゃねーけど」
「確かに、ここまで説明しなかった事については、謝罪します。しかし、ただでさえ到着が遅れていましたので、時間短縮の為、仕方なかったのです。では、何からお話ししましょう」
ハジメは、一番謎だった疑問を尋ねた。
「ラプラスの真理の基地がどうしてここにいる」
「それは、この基地が飛空艇としての機能を併せ持っていたからです」
「そんなの見ればわかる。俺が聞きたいのは、フィレスタ・マスター直々の依頼に、テロリストの基地が動員されている理由だよ!」
イオは珍しく焦っているようで、挙動不審に見えるくらい周囲をキョロキョロと見回すと、小声で言った。
「あまり大きな声で言わないでください。特に、テロリストなんて……。誰が聞いているかわからないんですから」
「じゃあ、この件は……」
小声で返すハジメに、イオは頷いた。
「私の独断で招聘しました。何しろ、今は戦時中で、使える飛空艇がないんですよ。軍の飛空艇はほとんど国境付近か、首都近郊の防衛任務に当たっておりましてねぇ。だから、私に心当たりがあると言って」
「そういえば、言っていたな。ここの支部長とは知り合いだとか」
「はい。彼には大きな貸しがありましたから」
「もし、軍の誰かにバレたらどうなるんだ?」
ハジメの問いに、彼は深刻そうに表情を固めて、返した。
「私の順風満帆な出世街道が、その時点で閉ざされます」
「なんだ、それくらいか」
「なんだ、それくらいか。ではありません!」
「んー? 声が大きいんじゃないか?」
イオは口を手で押さえ、ハジメは意地悪そうに笑った。
ふと、何かのアラームが小さく鳴った。
「どうやら出航準備が整ったようです。そろそろ、この部屋をブリッジに移動しましょう」
「あ、待て待て。もう一つ聞きたい事がある」
その時、部屋全体が大きく震えたかと思うと、上方向に引っ張られる力を感じた。イオの言った通り、部屋がブリッジに移動を始めたらしい。
「仕方ありません。もう一つだけ、ですよ」
「ここの支部長はどこに行ったんだ?」
「彼は、機関室です。今回のフライトの機関長ですから」
(大丈夫なのか?)
彼の思った『大丈夫』は、支部長の能力を心配しての事ではない。前回会った時に、具合が良くない様子だったからだ。
そうしている間にも、部屋の振動は小刻みになって、やがて、ブリッジ・ルームが天井の方から見え出した。同時に、全面のディスプレイが光を放ち始めた。
読んでくださってありがとうございます!
またのお越しをお待ちしております。