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ラ・メトリの書  作者: 柚田縁
第一章 セヴンス・エスケープ
12/182

12.人形の心

罠に嵌まってしまい、ヒトが生まれ来る場所、子宮の間へと追い詰められたナナ。そこへ、追っ手となる騎士団の剣が迫る!

よろしければ、読んでいってください。

 つい先頃、目見えた景色とほとんど変わらない、異様な光景があった。

 液体で満たされた透明な球体の中、空っぽの人形が浮かんでいる。そして、それらが部屋中に居並んでいる。

 よく観察すれば、形成されている人形達の体格や顔形、また、成長度合いなどが、少しばかり違っている事に気付けたかもしれないが、この時のナナにそんな余裕は無かった。

 何しろ、彼女は罠に落ちている事に気が付いた、鼠そのものだったのだから。

 せいぜい、どこか隠れる場所を見つけようとするくらいしかできなかった。もっとも、どこまでも透明な景色が広がっている中で、物陰一つ探し出すのは不可能に近い。


 ナナが冷静さを欠き、奥へ逃げ惑っている間に、鉄くずをぶちまけたような追っ手の足音は、更にけたたましさを増していた。

 彼女は観念したように振り返ると、壁際に背中を密着させた。


 やがて、広い空間に、甲冑を身に纏った追っ手達の姿が、部屋の明かりに照らされるようになった。

 ナナは絶望の中、レナードの腕をぎゅっと強く抱きしめた。

 大柄な騎士たちは、寸分もずれる事なく、横一列に並ぶと、そのまま凍り付いたように動かなくなった。

 ナナは膝をガクガクと震わせながら、状況が動き出すのを、ただ見守った。


 間もなくして、悠然とした足音が一組、まだ廊下の方から聞こえてきた。

 彼女は、その暗闇の向こうを凝視したまま、身動き一つ取れない。

 袖からスポットライトに照らされた、中央に出てくる舞台役者よろしく登場した一人の騎士は、他の者たちとは異なる存在感を纏っていた。

 甲冑のデザインも少し凝っており、一目でリーダー格の騎士である事が窺えた。さながら、騎士団長といったところだろう。

 団長の歩みに合わせ、騎士達が作る綺麗な列の中央が割れていく。そして、彼は隊列の一番前に立った。


 そこで、彼女はふと気付いた。

 彼らは皆、大柄で、その上ゴテゴテとした甲冑を身に付けている。

 一方で、人形の入った透明なガラス球は、この部屋全体に所狭しと並んでいる。

 果たして、彼らはこの球と球の間を通って、ナナのいる場所まで辿り着けるのだろうか。

 どう見ても、彼等の図体では、球と球の間を通る事が出来ない。

 ほんの僅かだが、絶望の中に希望を見出したように思われた。


 ところが、次の瞬間、彼女は絶望の奈落へと蹴落とされる事となった。

 騎士団長は前方を向いたまま、右腕を頭上に振り翳し、下ろした。

 その合図を皮切りに、列を成した騎士たちは、前進を始めた。そして、彼等の故郷であり、今もなお仲間達が作り出されているそのメトラを、何の躊躇いもなく破壊した。


(な……何なの? 自分の仲間を)


 そこで、ナナは思い出した。ここで生み出されている彼らが、ヒトではなく、まだ人形である事を。

 次々と砕かれては、踏みしだかれる球体の欠片と中の人形達。


「嫌、こっち来ないで! どっか行ってよ!」


叫びは、ガラスのくだける音に掻き消されて、彼女自身の耳にさえ届く事は無かった。

 恐怖に慄きながら、壁際を右往左往する、守護者を失ったか弱き少女。

 一方、巨大な剣で、次々と球体を破壊しては前進して来る追っ手達。

 いつの間にか、彼女は部屋の片隅まで追い詰められていた。

 

騎士達の一列だった並びは崩れ、ナナを取り囲むように扇形の隊列になった。

 もう、一番近い騎士までの距離が、五メートル程になった頃、彼女は恐ろしさの余り、レナードの腕を投げつけた。

 けれども、意外に重たいその腕は、相手に届きさえしなかった。

 コロコロと床に転がる腕からは、未だに青白く光る液体が染み出し、零れていた。

 騎士たちはそれを、本当に何でもないように、容赦無く踏み砕いていく。あるいは、見えてすらいないのかもしれない。


 ナナには、もう何も無かった。

 現実から逃げ出すように、強く瞼を閉じた。それでも、迫り来る圧力を感じ続けていた。

 再び目を開いた時、騎士達の長剣は、すぐ目の前にあって、弧を描いて無数の切っ先が突き付けられていた。

 それを見て、ナナは綺麗なフラクタル模様を見るように、美しささえ感じた。

 彼女は心の中で、小さく己を笑った。これから自分に突き刺さって、死を与える為の光景から、美を見出す、そんな自分が可笑しかったのだ。

 だが、ナナから生を奪う為に突き付けられた刃は、彼女の全身を貫く事をしなかった。まるで時間が止まったように、騎士等は動かなくなっていた。

 しかも、やっとの事で動き出した彼等は、どういう訳か剣を下ろして、後ろを振り返った。


 彼女は不思議に思ったが、その理由を彼等の肩越しに見た。

 奇妙だった。

 さっきまで濡れそぼって、転がっていた人形達が、虚ろな目をして立っていたのだ。

 一人や二人ではない。その部屋にいる何人もの人形が、雨後の筍のように、あちらこちらで立ち上がり始めた。

 騎士達は、ナナに背を向けた。その内の一人が、一歩後ずさるのを見た。

 やがて、裸の人形達は、ぎこちない動きではあったが、よたよたと歩き始めた。

 初めは、ふらつきながら足を動かして、半径五〇センチメートルくらいの範囲を頼りない足取りで回っていたものの、次第に、同じ方向へ進み始めた。

 ナナの方へ。

 騎士たちは、みんなして彼女から離れ始めた。


 衝突。

 人形達は、動きが緩慢で、おまけにおぼつかない足取りをしていたので、騎士達の圧倒的な力で、人形たちは切り倒されていく。


(えっと、これは仲間割れ? うううん、でも)


 ナナは、今ここで何が起こっているのかわからず、呆然と立ち尽くしていたが、ハッと我に返った。

 そして、今自分が何をすべきなのか、思い出した。レナードの為にも、逃げ延びるのだと。


 彼女は全力で走り始めた。さっきまで震えていた足に鞭打って。

 人形達と闘っている騎士の脇下をくぐり抜け、闇雲に振り回される刃先を避け。

 戦場となっている部屋の中央を抜け、出口だけを見据えて走った。

 しかし、そこに最後の難関が立ちはだかった。

 騎士団長だ。


 ナナは少し離れた場所で立ち止まり、背の高い鉄の塊のようなその門番を睨み付けた。


「ここを通す訳にはいかぬ」


 彼は仮面の向こうから、くぐもった声でそう言うと、剣を抜いて構えた。

 この騎士が、剣を振り上げた時。その瞬間を、ナナは重要視した。一度だけでも回避できたら、最終ラインを突破できる。ナナは、そう確信した。

 騎士団長は、ナナに聞こえるくらいの息を吐いて、剣を大きく振り上げた。


(今だ!)


彼女は振り下ろされる刃から逃げた。


 キンッ!


 金属音が響く。振り下ろされた一撃目が、床を叩く音。

 ここまで来るのと同じように、ナナは騎士団長の脇を通り抜けようとした。その時。

 カランッ!

 剣は床に転がった。ナナの視線は、床に横たわった長剣に奪われた。


「あっ!」


 太い腕が、彼女の体をやすやすと絡めとった。

 騎士団長は、剣を始めから使うつもりはなかったのだ。ナナが、隙を付いて駆け出してくる事を、彼は知っていた。

 だから、彼は剣を捨て、その万力のように強い腕で、彼女を捕えるつもりだった。

 騎士団長は、ナナの首を片手で掴むと、そのまま絞めてきた。

 余りの強い力に、呻き声一つあげる事も叶わなかった。

 仮面の上からも、彼が笑っている姿が想像できた。


 やがて、薄れゆく意識の中で、グランディスタ・マスターが言った言葉を思い出していた。

 彼は、彼女を捕えろとは言わなかった。始末しろと言った。

 今になってその意味を、ゆっくりと実感した。

 意識が途切れるその直前、体が揺れた。そして、喉元の痛みが和らいでいく。

 彼女は思い切り息を吸い込んだ。そして、激しく咳き込んだ。

 正気に戻ると、ナナは床に転がっていた。

 すぐ横には、騎士団長が同じ様に、また、人形たちが三人転がっていた。


 ここでも、彼女はこの部屋で何が起こっているのか、考える余裕を持てないでいた。

 ただ、今ならば逃げる事が出来る。

 ナナは、急いで立ち上がった。

 だが、走り出そうとした時、騎士団長はナナの足を掴んだ。

 ナナは地面に膝と手を強打し、四つん這いになった。

 一方の騎士団長は、反対の手で、転がっていた剣を取り、膝立ちした。彼は、左手でナナの片足を掴み、右手で剣を握り締めている。


 終わりだと思った。だが、不思議と恐怖はなかった。寧ろ、安らかでさえある。

 剣は振り上げられ、そして、下ろされた。

 何の変哲もない、起こるべくして起こっている現象。

 後は、人間の少女が、この世界から一人いなくなるだけ。

 ところが、そうはならなかった。


 振り下ろされた刃をその身に受けたのは、先ほどまで倒れていた人形の一人だった。

 ゆっくりと崩れ落ちる体。

 その体は、血もアニマも吹き出さない。

 静かな崩壊だった。

 そこへ、同じ様に倒れていた器の二人が、団長に殺到した。


 もう、彼女を縛り付ける者は誰もいない。

 ナナは、今にも泣き出しそうになりながら、湧き上がってくる思考を敢えて押し殺し、誰も守る者のいなくなったゲートを、持てる力を振り絞りながら、走り抜けた。

読んで頂き、ありがとうございました。またのお越しをお待ちしています。

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