12.人形の心
罠に嵌まってしまい、ヒトが生まれ来る場所、子宮の間へと追い詰められたナナ。そこへ、追っ手となる騎士団の剣が迫る!
よろしければ、読んでいってください。
つい先頃、目見えた景色とほとんど変わらない、異様な光景があった。
液体で満たされた透明な球体の中、空っぽの人形が浮かんでいる。そして、それらが部屋中に居並んでいる。
よく観察すれば、形成されている人形達の体格や顔形、また、成長度合いなどが、少しばかり違っている事に気付けたかもしれないが、この時のナナにそんな余裕は無かった。
何しろ、彼女は罠に落ちている事に気が付いた、鼠そのものだったのだから。
せいぜい、どこか隠れる場所を見つけようとするくらいしかできなかった。もっとも、どこまでも透明な景色が広がっている中で、物陰一つ探し出すのは不可能に近い。
ナナが冷静さを欠き、奥へ逃げ惑っている間に、鉄くずをぶちまけたような追っ手の足音は、更にけたたましさを増していた。
彼女は観念したように振り返ると、壁際に背中を密着させた。
やがて、広い空間に、甲冑を身に纏った追っ手達の姿が、部屋の明かりに照らされるようになった。
ナナは絶望の中、レナードの腕をぎゅっと強く抱きしめた。
大柄な騎士たちは、寸分もずれる事なく、横一列に並ぶと、そのまま凍り付いたように動かなくなった。
ナナは膝をガクガクと震わせながら、状況が動き出すのを、ただ見守った。
間もなくして、悠然とした足音が一組、まだ廊下の方から聞こえてきた。
彼女は、その暗闇の向こうを凝視したまま、身動き一つ取れない。
袖からスポットライトに照らされた、中央に出てくる舞台役者よろしく登場した一人の騎士は、他の者たちとは異なる存在感を纏っていた。
甲冑のデザインも少し凝っており、一目でリーダー格の騎士である事が窺えた。さながら、騎士団長といったところだろう。
団長の歩みに合わせ、騎士達が作る綺麗な列の中央が割れていく。そして、彼は隊列の一番前に立った。
そこで、彼女はふと気付いた。
彼らは皆、大柄で、その上ゴテゴテとした甲冑を身に付けている。
一方で、人形の入った透明なガラス球は、この部屋全体に所狭しと並んでいる。
果たして、彼らはこの球と球の間を通って、ナナのいる場所まで辿り着けるのだろうか。
どう見ても、彼等の図体では、球と球の間を通る事が出来ない。
ほんの僅かだが、絶望の中に希望を見出したように思われた。
ところが、次の瞬間、彼女は絶望の奈落へと蹴落とされる事となった。
騎士団長は前方を向いたまま、右腕を頭上に振り翳し、下ろした。
その合図を皮切りに、列を成した騎士たちは、前進を始めた。そして、彼等の故郷であり、今もなお仲間達が作り出されているそのメトラを、何の躊躇いもなく破壊した。
(な……何なの? 自分の仲間を)
そこで、ナナは思い出した。ここで生み出されている彼らが、ヒトではなく、まだ人形である事を。
次々と砕かれては、踏みしだかれる球体の欠片と中の人形達。
「嫌、こっち来ないで! どっか行ってよ!」
叫びは、ガラスのくだける音に掻き消されて、彼女自身の耳にさえ届く事は無かった。
恐怖に慄きながら、壁際を右往左往する、守護者を失ったか弱き少女。
一方、巨大な剣で、次々と球体を破壊しては前進して来る追っ手達。
いつの間にか、彼女は部屋の片隅まで追い詰められていた。
騎士達の一列だった並びは崩れ、ナナを取り囲むように扇形の隊列になった。
もう、一番近い騎士までの距離が、五メートル程になった頃、彼女は恐ろしさの余り、レナードの腕を投げつけた。
けれども、意外に重たいその腕は、相手に届きさえしなかった。
コロコロと床に転がる腕からは、未だに青白く光る液体が染み出し、零れていた。
騎士たちはそれを、本当に何でもないように、容赦無く踏み砕いていく。あるいは、見えてすらいないのかもしれない。
ナナには、もう何も無かった。
現実から逃げ出すように、強く瞼を閉じた。それでも、迫り来る圧力を感じ続けていた。
再び目を開いた時、騎士達の長剣は、すぐ目の前にあって、弧を描いて無数の切っ先が突き付けられていた。
それを見て、ナナは綺麗なフラクタル模様を見るように、美しささえ感じた。
彼女は心の中で、小さく己を笑った。これから自分に突き刺さって、死を与える為の光景から、美を見出す、そんな自分が可笑しかったのだ。
だが、ナナから生を奪う為に突き付けられた刃は、彼女の全身を貫く事をしなかった。まるで時間が止まったように、騎士等は動かなくなっていた。
しかも、やっとの事で動き出した彼等は、どういう訳か剣を下ろして、後ろを振り返った。
彼女は不思議に思ったが、その理由を彼等の肩越しに見た。
奇妙だった。
さっきまで濡れそぼって、転がっていた人形達が、虚ろな目をして立っていたのだ。
一人や二人ではない。その部屋にいる何人もの人形が、雨後の筍のように、あちらこちらで立ち上がり始めた。
騎士達は、ナナに背を向けた。その内の一人が、一歩後ずさるのを見た。
やがて、裸の人形達は、ぎこちない動きではあったが、よたよたと歩き始めた。
初めは、ふらつきながら足を動かして、半径五〇センチメートルくらいの範囲を頼りない足取りで回っていたものの、次第に、同じ方向へ進み始めた。
ナナの方へ。
騎士たちは、みんなして彼女から離れ始めた。
衝突。
人形達は、動きが緩慢で、おまけにおぼつかない足取りをしていたので、騎士達の圧倒的な力で、人形たちは切り倒されていく。
(えっと、これは仲間割れ? うううん、でも)
ナナは、今ここで何が起こっているのかわからず、呆然と立ち尽くしていたが、ハッと我に返った。
そして、今自分が何をすべきなのか、思い出した。レナードの為にも、逃げ延びるのだと。
彼女は全力で走り始めた。さっきまで震えていた足に鞭打って。
人形達と闘っている騎士の脇下をくぐり抜け、闇雲に振り回される刃先を避け。
戦場となっている部屋の中央を抜け、出口だけを見据えて走った。
しかし、そこに最後の難関が立ちはだかった。
騎士団長だ。
ナナは少し離れた場所で立ち止まり、背の高い鉄の塊のようなその門番を睨み付けた。
「ここを通す訳にはいかぬ」
彼は仮面の向こうから、くぐもった声でそう言うと、剣を抜いて構えた。
この騎士が、剣を振り上げた時。その瞬間を、ナナは重要視した。一度だけでも回避できたら、最終ラインを突破できる。ナナは、そう確信した。
騎士団長は、ナナに聞こえるくらいの息を吐いて、剣を大きく振り上げた。
(今だ!)
彼女は振り下ろされる刃から逃げた。
キンッ!
金属音が響く。振り下ろされた一撃目が、床を叩く音。
ここまで来るのと同じように、ナナは騎士団長の脇を通り抜けようとした。その時。
カランッ!
剣は床に転がった。ナナの視線は、床に横たわった長剣に奪われた。
「あっ!」
太い腕が、彼女の体をやすやすと絡めとった。
騎士団長は、剣を始めから使うつもりはなかったのだ。ナナが、隙を付いて駆け出してくる事を、彼は知っていた。
だから、彼は剣を捨て、その万力のように強い腕で、彼女を捕えるつもりだった。
騎士団長は、ナナの首を片手で掴むと、そのまま絞めてきた。
余りの強い力に、呻き声一つあげる事も叶わなかった。
仮面の上からも、彼が笑っている姿が想像できた。
やがて、薄れゆく意識の中で、グランディスタ・マスターが言った言葉を思い出していた。
彼は、彼女を捕えろとは言わなかった。始末しろと言った。
今になってその意味を、ゆっくりと実感した。
意識が途切れるその直前、体が揺れた。そして、喉元の痛みが和らいでいく。
彼女は思い切り息を吸い込んだ。そして、激しく咳き込んだ。
正気に戻ると、ナナは床に転がっていた。
すぐ横には、騎士団長が同じ様に、また、人形たちが三人転がっていた。
ここでも、彼女はこの部屋で何が起こっているのか、考える余裕を持てないでいた。
ただ、今ならば逃げる事が出来る。
ナナは、急いで立ち上がった。
だが、走り出そうとした時、騎士団長はナナの足を掴んだ。
ナナは地面に膝と手を強打し、四つん這いになった。
一方の騎士団長は、反対の手で、転がっていた剣を取り、膝立ちした。彼は、左手でナナの片足を掴み、右手で剣を握り締めている。
終わりだと思った。だが、不思議と恐怖はなかった。寧ろ、安らかでさえある。
剣は振り上げられ、そして、下ろされた。
何の変哲もない、起こるべくして起こっている現象。
後は、人間の少女が、この世界から一人いなくなるだけ。
ところが、そうはならなかった。
振り下ろされた刃をその身に受けたのは、先ほどまで倒れていた人形の一人だった。
ゆっくりと崩れ落ちる体。
その体は、血もアニマも吹き出さない。
静かな崩壊だった。
そこへ、同じ様に倒れていた器の二人が、団長に殺到した。
もう、彼女を縛り付ける者は誰もいない。
ナナは、今にも泣き出しそうになりながら、湧き上がってくる思考を敢えて押し殺し、誰も守る者のいなくなったゲートを、持てる力を振り絞りながら、走り抜けた。
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