26.真の意図
再び目が暗い場所に慣れた時、黒い雲は本当に消え去っていた。そうわかるのは、空が一面星空に変わった為だ。
あの光が一体何であったのか、考えるよりも先に気が付いた事があった。ちょうど地上で輝く星々のようだったポリスの夜景が、いくら目を凝らしても見えなくなっていたのだ。
ハジメは、ただならぬ予感に背筋を冷たくしながら、横で外の闇を見続けている男に、独り言を口にするみたいに尋ねた。
「ポリスの明かりが見えない」
少佐は一旦、ハジメに目線をくれたが、またすぐにまっすぐ外の方へ顔を向けた。
なんだか、いつものように気味悪く笑うのではないかという気がしたが、それは間違いだった。
彼は、注意深く見ていないとわからないくらい僅かに目を伏せ、「そうですねぇ」と言ったきり、口籠ってしまった。
ハジメの背筋はいよいよ冷たく凍りついて、胸騒ぎが収まらない。表情も上手く作れず、結果、中途半端に顔を歪ませる形となった。
そのまま彼は、惑うようにレイナへと顔を向けた。彼女も、機能停止したようにピクリとも動こうとしないで、窓の外に広がる暗がりを注視し続けていた。
振り返って少佐に目を戻したハジメは、素人が初めて見た台本を朗読するように、少しも感情の込められていない口調で、訊いた。
「それも、守秘義務なのか」
観念したように、少佐は答えた。
「いいえ。朝になればわかることですからねぇ」
「じゃあ、どこへ消えたんだ!」
その発言に、彼自身驚いた。心の奥底で、ずっと否定しては表に出ないようにしていた、一種の答えに近い考えが、思わず口を突いて出てきたからだ。
少佐は、冷静な瞳で彼を見据えると、息を吐きながら控えめな声で言った。
「そうです。あのポリスは消えました」
「消え……た?」
全身に力が入らず、彼は立っているのがやっとだった。両腕は、そよ風に揺れる洗濯物のようにゆらゆら揺れた。
「嘘つけぇ!」
素早い足音と共に放たれたレイナの感情的な声にも、彼の心は動こうとしなかった。
「消えたんやないやろ。あれは、どう見ても消したんやないか」
いつもの棒読み口調に戻った彼女だったが、その手は、男の胸ぐらを掴んでいた。
「放してください」
「あたしはこの目で見たんや。空から光が降ってきたかと思たら、みんな溶けるみたいに消えよったんや!」
ハジメは彼女のその言葉に、目を覚まされた。考えたくはなかったが、やはりそうだったのだと。
「放してください」
繰り返し、少佐はレイナに手を放すよう言った。けれど、彼女は怒りを剥き出しにして、少佐を睨み続けるだけだ。
「仕方ないですねぇ」
彼は目を閉じ、溜息を吐いた。そして、一拍ほど置いて、レイナの悲鳴と一緒に電流の青白い光が瞬いた。
「すみませんねぇ。ですが、さすがに良い目をお持ちのようです」
レイナは尻餅をついて尚、鋭く研ぎ澄ませた目で少佐を見上げている。
少佐は彼女を一瞥した後、重い足取り歩き出した。どこかへ行こうとしている歩みではないようだ。
「先程の白い光は、『星の光』と名付けられています。煉獄の炎を発展させた、フィレスタの新たな技術でしてねぇ。遥か上空に浮かべたジェネレータから生み出される高純度エネルギーを蓄積し、地上へ向けて一気に放出するという、まぁ、単純な仕組みです。ただ、扱うエネルギーがあまりにも強大でして、今の所、制御するのが困難なのですよ」
「それこそ守秘義務なんじゃないか?」
ハジメは、苛立ちから茶々を入れた。
レイナは既に立ち上がっていて、ハジメの半歩後ろで、目を伏せている。
「確かに守秘義務ですねぇ」
彼は息を殺しながら、クックと笑った。
「しかし、これくらいの情報は、餞別だと思って頂いても構いませんよ」
「餞別だと? そんなもの、もらう義理もないんだけどな」
少佐は不気味に笑ったが、とっくに慣れていたハジメには、もう何の意味も持たない、単なる彼の悪癖の一つだった。
「もう、ズバリ言いましょうか。私は、あなた方と取引をしたいのです。その為に、お二人をここへお招きしたのですよ」
ここでやっと、まだわかっていなかった謎の答えが、少佐の口から語られた。
「そんなもん、乗れる訳ないやろ!」
レイナがハジメを盾のように扱いつつ、抗議する。
「俺も同感だ」
ハジメも同意した。
「まぁまぁ。せめて取引内容を聞いてからでもいいではないですか」
「じゃあ、聞こうじゃないか。取引内容は何だ?」
「知りません」
ハジメの後ろで、肩を落としながら溜息を吐いたレイナ。彼もまた、そうしたかったのだが、これ以上相手の好きにさせてなるものかと、辛うじて踏み止まった。
少佐は、呆れ返る二人の姿を見て満足げにウンウンと頷くと、話を続けた。
「まぁ、私は優秀な交渉人ではないのでねぇ、取引の内容は一切聞かされておりません。私が与えられた任務は、お二人を交渉人のおられる場所までご案内することですよ。ですから、会って頂けますか?」
「……俺達に、選択肢があるのか?」
「ふふふふふ」
(脅迫じゃないか)
ハジメは、胸の内で呟いた。
「では、今日のところはこの天文台で、お休みくださいねぇ」
「待て」
ハジメは、当に踵を返そうとした少佐を呼び止め、尋ねた。
「交渉人はどこにいるんだ? それくらい、聞かせて欲しい」
「第二ポリスですよ」
その答えに引っかかった彼は、一瞬混乱し、それが驚きなのだと遅れて自答した。やがて、引っかかったものが、一気に口から出て行った。
「第二ポリス? そんなものがあるのか? じゃあ、今消えたのは、第一なのか?」
「そうですねぇ、……第二ポリスについてですか。フィレスタには、いくつかポリスがありますよ。今し方消滅したのは、仰る通り第一ポリスです。アクエリールの宣戦布告直後、第二ポリスへの遷都が指示されました。まだ、全てが完了した訳ではありませんが、『星の光』による人的被害はほとんどないと思ってもらっても構いません。ですから、いわば、第一は囮のようなものですねぇ」
「そう……なんか?」
レイナは若干震える声で、言った。
「そうですよ」
少佐は答えた後、ニヤリと笑った。
レイナは、素早くハジメの陰に隠れた。最早、少佐は彼女の反応で遊んでいるようだ。
ハジメもほっと胸をなで下ろし、顔に微笑を浮かべた。
「では、これでいいですか? 好きなところで休んでくださいねぇ」
「待て」
ハジメはもう一つ気に掛かる事を尋ねるつもりで、引き止めた。
「今度はなんですか?」
「この天文台、見た限りだと、どこもかしこも埃にまみれているんだけど」
「確かに。しばらく利用されていませんでしたからねぇ。……掃除用具ならありますよ」
自分でやれ、という事らしい。
ずっと耐えていたハジメは、そこでついに肩を落とし、陥落した。
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