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ラ・メトリの書  作者: 柚田縁
第四章 ファースト・リンケージ
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22.移ろいゆくもの

 よく知りもしない建物の中を闇雲に走ったところで、迷子になるだけとわかっていたハジメは、そんなに遠くまで逃げるつもりはなかった。


 背後から靴音が迫ってくる。レイナとミレイだ。或いは、無意識に二人を待っていたのかもしれない。


 ハジメは足を止めた後、敢えて振り返らず途方に暮れたみたいに背中を丸めて、佇立した。

 靴音は徐々にゆっくりになって、吐息の音が聞こえてくる。


「ごめんなさい、うちのしぶちょ……イサクが」


ミレイがそう言った後、初めて彼は振り向いた。


「いいよ。こいつが全部悪いんだ」と、レイナを指差す。


「何やねん」


「こっちこそ何やねん、だよ」


レイナは不機嫌そうに、そっぽを向いた。

 そんな彼女を見て、ミレイは微笑んだ。その後、ハジメに尋ねた。


「二人はこの後、ポリスに行くの?」


「そうだけど」


「今から行っても、夜になるわ。今日はここに泊まっていったら?」


ハジメは首を横に振った。

 ミレイもその返事を予想していたのか、それ以上この件については何も言わなかった。その代わりに、「じゃあ、ちょっとこっちに来て」と、二人をどこかへと(いざな)った。


 第二フロアまで階段で降り、まっすぐに続く廊下を進んでいく。そうして、彼女が立ち止まった扉には、『ReD-0301E』とあった。どうやら、ミレイの自室らしい。


「ちょっと散らかってるから。ここで少し待ってて」


彼女は中を見られないよう素早く扉を開け閉めして、部屋へ消えた。

 中でゴトゴト音を立てて、何かを探しているようだった。


 数分が経ち、音が止むと彼女が部屋から出てきた。その手には、深緑色をしたラグビーボールのような形をした物体がある。


「これ、お土産に持って行って」


受け取ったハジメの手から、レイナはその塊を引っ手繰った。


「何や、これ?」


「ラプラスの真理、グランディスタ支部で開発された、携帯用コテージよ。これなら、今日中に着けなくても、野宿しないで済むわ」


 ハジメは、レイナから携帯コテージを引っ手繰り返すと、彼女に礼を言った。


「いろいろ、ありがとう」


「うううん、こちらこそ」


誰からともなく、三人は歩き出した。その歩みは非常に緩慢で、誰もがこの後訪れる別れを遠ざけようとしている。


 階段を1フロア下り、一階の廊下を進む。皆、口を開く事が出来ないまま、遠くの眩しい光に目を細めた。


 一層重い足取りで後ろから着いて来るレイナが、ポツリと言った。


「ここで、お別れなんやな」


ハジメは、彼女の呟いた言葉に少しばかり驚いた。

 ギリギリになるまで駄々をこねて、ミレイに無理を言って、一緒に来させようとするに違いない、そう踏んでいた。けれど彼女は、この別れを受け入れているみたいだ。


 ハジメは予想外の発言をした彼女が、今どんな顔でいるのか、興味を持った。そして、歩きながら、後ろを向いた。


 そこにあったのは、これまで彼が目にした事のないような、表情で笑う彼女の姿だった。

 眩しさとはまた別に閉じかけた眼の隙間には、金色の宝石みたいに瑞々しく輝く瞳が覗き、目尻の辺りは僅かに濡れていた。

 左右の口角も横に広がっていて、引き吊った様子は少しも見られない。

 それが、彼女の本心からくる気持ちの表れだった。


 とっくに立ち止まって、レイナを見ていたミレイは、一瞬どうしていいか迷った後、磁石の両極が引き合うような自然さで、レイナの背中に両腕を回した。


「また会えるから……きっとまた」


ミレイは、言葉を詰まらせて、レイナの小さな肩の上に顔を埋めた。


「せやな。また会えるわ」


 レイナは応えて、ミレイの後髪を梳くように撫でた。




 岩山を遠くに望む街道を歩きながら、ハジメは旅の片割れに声を掛けられないまま、自分でもよくわからず、処理も出来ないもやもやした思いを、燻らせ続けていた。


 レイナは、もう何ともないように、前方5メートルくらいを、一見脳天気そうに進んでいた。


 日は徐々に傾きつつある。

 急いだ方がいいのははっきりしていたが、彼の足取りはどこか迷いを孕んでいて、意識して歩速に気を回しても、気が付けば元のようにゆっくりとした歩みになってしまう。


 彼はふと見上げた太陽に、レイナの瞳を思い返していた。金色に輝いていた、あの時の瞳だ。


「ハジメ、何しとんねん! 日ぃ暮れてまうやないか!」


レイナの声で我に返ったハジメは、自分がいつの間にか歩みを止めていた事に気付いた。


「あ……、悪い」


彼は気を入れて足を動かし始めた。

 レイナは満足げに頷くと、彼女の歩速で先を急いだ。


 それから数分後に、また同じ事が起こった。


「あ……、悪い」


ハジメの返事は、判を押したように同じだった。

 さすがに様子がおかしいと思ったレイナ。


「具合でも悪いんか?」


そう言って彼女が今来た道を戻り、ハジメの方に近付いてくる。

 どういう理由か、彼はその途端心穏やかではいられなくなった。


「い、いや、別に何ともない! 元気だ!」


彼は片足を後ろに下げ、右手を横に振った。


「そない言うても、変やで?」


レイナはハジメの目の前でピタッと止まって、右手を額に当てた。


「熱は……」


ハジメはその手を、纏わり付く羽虫をあしらうように、思わず払ってしまった。

 彼は急に冷静になって、今し方自分のした事を猛省した。


「す、すまん。悪かった」


レイナは烈火のように怒り出す。彼はそう思っていたが、彼女は意外にも嫌な顔一つしなかった。


「これでも変やない言うんか? 自分」


 ハジメは、確かに自分がおかしい事を認めざるを得なかった。

 彼が口を開こうとした時、突然、空が暗くなった。二人は、ほとんど同時に空を仰いだ。真っ黒な雲が太陽を覆い隠し、強い風がその黒雲に吸い込まれるように吹き出した。


「なんだ?」


「なんやろな。……ん?」


彼女は耳の後ろに手を当てた。


「どうした?」


「聞こえるわ。何か甲高い音が」


ハジメは彼女と同様に、耳に手を当てて注意深く音を探し出した。

 何も聞こえない。だが、彼女の聴覚と彼のとでは、能力が大きく異なっている事を、彼は既に知っていた。

 レイナには確かに何かが聞こえていたのだ。


「ははー。これは多分、サイレンやな」


「サイレン? 何だろうな」


 急に、風向きが変わった。その風は、さっきまで吹き荒れていたものとは少し違う匂いを運んでいた。例えるなら、草木を芽吹かせる暖かな春風といったところだ。


 ハジメは無意識に風上に目を向けた。すると、そこには見覚えのある老人の姿があった。


「あんた、確か……」


彼がその先を言う前に、目の前の老人は珍しく健脚で近付いてきたかと思うと、こう告げた。


「ポリスへ向かってはならぬ!」と。

読んでくださってありがとうございます!

またのお越しをお待ちしております。

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