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ラ・メトリの書  作者: 柚田縁
第一章 セヴンス・エスケープ
11/182

11.アニマ

扉によって隔たれた二人。ナナは躊躇いながらも、レナードの言った通りその場を離れた。

よろしければ、ぜひ読んでいってください。

 ナナは、固く閉ざされた鉄の扉を、長い間凝視し続けた。

 途端に、感情が堰を切ったように溢れ出した。

 自分でも訳の分からない悲鳴にも似た声を上げながら、重い鉄の扉を押したり叩いたりした。

 けれど、その扉を挟んだこちらとあちらは、存在する次元が異なっているかのように反応は無く、しんと静まり返っていた。

 叩き続けている右手が痛む。血が滲んでいるかもしれない。それでも構わずに、彼女はわめき散らして扉を叩き続けた。


 やがて、力なく膝が折れて、床に座り込んでしまった。

 レナードの腕が、廊下に敷き詰められた石畳の上に、音も無く転がった。それを彼女は、大切な自分の半身であるかのように拾い上げて、胸に抱いた。

 腕の転がった場所には、どろっとした液体が青白い光を放っている。

 ナナは、レナードの腕をよく見てみた。

 丁度千切れた場所から、石の床に付着した液体と同じものが流れ、滴り落ちていた。それはさっき、レナードが大剣を突き立てた騎士の体から、溢れ出したものと同じだろう。

 ナナは、ほとんど使い物にならなくなっている、心のほんの片隅を使って考えた。この液体は一体なんなのか。


 じっと見ていると、気が付いた事があった。

 青白い雫が、止めどなく落ちている。その一滴一滴を目で追いかけていると、不思議な事に消えていくのだ。

 ついさっきまで、床石に付着していた液体も、もう消えてしまっている。

 蒸発しているのではない。床に落ちた青白い液体は、染み込んで消えていくのだ。

 従って、青白い水溜りも見つからない。


 ナナはそこで、一つの答えに行き着いた。

 レナードが言っていた、機械に心を与えるもの、アニマ。

 この液体こそが、彼ら機械をヒトに変える、アニマなのだ。

 その事実は、彼女を尚更不安にさせた。これを失ってしまえば、彼等は人でなくなる。つまりそれは、彼等にとっての死を意味する。

 片腕を失ったレナードもいずれは。


 彼女はその滴り落ちる液体を、片方の小さな掌で受け止めようとした。しかし、見る間に、その光る液体は手をすり抜けて床に落ち、染み込んで消えた。

 ナナはいたたまれなくなって立ち上がった。もう一度扉を叩こうと、今、出し得る全ての力を込めて、拳を握って腕を振り上げた。

 しかし、そこで彼女は動きを止めた。そんな事をしても、無意味だという事に気が付いたから。


(自分に今、できることは)


ナナは悲しい程、自分に出来る事が無いと思い至り、情けなくなった。


 扉が完全に閉ざされる直前に、レナードが言った事を思い出した。


『ナナ、行ってください』


 この場所を離れる、つまり逃げる事以外、何も出来ない。

 ナナは、自分を奮い立たせる為に拳を使った。目の前に立ちはだかる鉄扉に対して。

 それは、今までで一番痛い一撃だったが、それで彼女は何かのしがらみから解放された。

 そして、扉の前から立ち去った。

 彼女の立ち去った跡では、床にしみ込んで消える直前のアニマが、静かに燐光を放っていた。


 それから、どれくらい彼女は薄暗い廊下を走っていただろう。レナードと一緒に歩いていた時には、それほど遠い道のりではなかったように感じていたのだが。

 上がらない足がもつれて、ナナは勢いよく転んでしまった。両手、両膝、そして額をも地面にぶつけてしまった。


「うっ!」


やがて、地面に接触し、それぞれの部位が熱くなって激しく痛んだ。

 レナードの片腕が転がっていく。


 漫然と目の前に続く道を選んで進んできた。それは、闇雲と言っても否定できないくらい、いい加減なものだった。

 出口に辿り着く道順など、彼女にはわからない。理屈では、来た路を戻ればいいだけの事だが、レナードの後を着いていくだけだったあの時の彼女に、道順などを覚える余裕など無かったのだから。


 気が付くと、擦り傷の痛みがわずかながらひいていた。その代わり、体全体が冷えていくのを感じた。冷たい石廊に体温が奪われているのだ。

 痛みがひいていったような気がしたのも、そのせいだろうと、彼女は一人納得した。

 このまま、廊下の一部になれたらどんなにいだろう、そんな非現実的な誘惑にさえ、囚われそうになってしまう程、心が弱っていた。

 しかし、あの扉を後にした時の決意は、まだ燻っていて、消えてはいなかった。

 うつ伏せのまま立ち上がろうと、両手を胸の辺りまで引き、膝で体を支え、腕立て伏せの要領で力を込めた。


 その時、音が聞こえた。

 ナナは、咄嗟に耳を澄ました。しかし、音がどこから聞こえてくるのかわからず、耳を迷わせる。

 そのうち、音が石の地面を通じて聞こえてくる事に気が付いた。

 今度は、迷わず片方の耳を廊下に押し付けた。

 複数の足音が聞こえた。追っ手だ。

 ナナは、跳ね上がるように立ち上がった。

 静けさに慣れてしまった聴覚は、細かな音まで拾い集めてしまう。

 石廊の中を通り抜けていく風の音、靴と地面の間で擦れる砂粒のじゃりじゃりした音、彼女自身の呼吸や鼓動まで。

 そんな中、追っ手の足音は、何よりもいや増して聞こえてきた。

 もう、すぐそこまで迫っているような圧力を彼女は感じた。

 走るにしても、闇雲ではいけない。

 これまで感じていなかったプレッシャー。そして、耳に届いていなかった音。それらが、ナナの進むべき路を限定していく。

 ナナは転がされたままの、レナードの腕を拾い上げると、まるで導かれるかのように、一本の路を選び、走り始めた。


 廊下を進むに連れ、横に逸れる路が少なくなっていくのに気が付いた。

 何か嫌な予感がしていた。

 だが、迫り来る音の恐怖に、彼女の思考はまともに働こうとはしない。

 路は一本になり、遠くに明かりが見えた。

 その部屋には、扉が無かった。その為、そこがどういう部屋なのか、遠目にも判別できた。

 そこで、レナードが前に言った言葉が蘇ってきた。


『この施設のおよそ八割が、我々を生み出すこの子宮であるが故……』


 施設の八割に、この部屋も該当しているらしい。

 ナナは立ち止まった。

 そして、何をどうして、この部屋にやって来たのか。彼女は僅かの間、考えた。

 答えはすぐに出た。


(これは、罠だったんだ)


 ナナは追っ手の足音から遠ざかるように、道を選んできた。その結果が、この部屋。

 初めから、ナナはこの部屋に来るよう、追っ手等に導かれていたのだ。

 ナナは一度振り返った。

 追っ手達の足音は、徐々に大きく聞こえてくる。

 彼女は観念して前を向くと、明るく光を放ち続ける部屋の敷居をくぐった。

 その部屋は、器の間と呼ばれている。

読んで頂き、ありがとうございます。またのお越しをお待ちしています。

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